芥川龍之介

 来年2027年は、芥川龍之介が自殺して「100周年」だ。

「ぼんやりとした不安」で死んだ、そうだ。分かるような、分からないような。

嫌いな陸軍・役人が国民の思想に手を突っ込んんでくるようになって、それがますます激しくなる、という不安、不満、絶望か?あるいは和魂が洋才に蹂躙されることを恐れたか?

1892年生まれ。日本が「坂の上」に上るのを目撃した人。坂の上からどこにどうやって落ちるんだろうか、そもそも本当に落ちるんだろうか、などと不安になったのか?

それにしても、「坂の上」にたどり着くまでの明治の教育は素晴らしかった。芥川の作品を読んでいても、知識・教養の厚みに圧倒される。そして何より、「腑抜け」でなかった。

1921年(大正10年)「世の中と女」「売文問答」以下。

今の世の中は、男の作った制度や習慣が支配しているから、男女によっては非常に不公平な点がある。その不公平を矯正するには、女自身が世の中の仕事に関与しなければならぬ。ただ、不公平と言う意味は、必ずしも、男だけが得をしているという意味ではない。いや、どうかすると、私には女の方が得をしている場合が多いように見える。たとえば相撲である。我々は女の裸体はめったに見られないけれども、女は、相撲を見に行きさえすれば、いつでも逞しい男の裸体を見ることができる。これは女が得をしている場合であると思う。

相撲の話で思い出したが、いつか、「人間」という雑誌の表紙の絵を、2枚、警視庁の役人に見せたところが、一つの絵は女の裸体画だから許可することはできない。もう一つの絵は、男の裸体画だから表紙にしてもよい、ということになった。ところが、その絵は両方とも女の裸体画で、一方を男の裸体画と思ったのは祝福すべき役人の誤りだった。

まだそういう皮相の問題ばかりでなく、男女関係の場合などでも、男は何時も誘惑するもの、女は何時も誘惑されるものと、世の中全体は考えやすい。が、実際は存外、女の誘惑する場合も…言葉で誘惑しないまでも、そぶりで誘惑する場合が多そうである。

こういう点は、現在、男のやってる仕事を女もやるようになったらば、男の冤罪を晴らすことができるかもしれない。私は、こんな意味で女が世の中の仕事に関係するのも悪くないと思っている。つまり、女は女自身、男と生理的及び心理的に違っている点を強調することによってのみ、世の中の仕事に加わる資格ができると思う。

もしそうでなく、男も女も違わないという点のみを強調したらそれはただ、在来、男の手に行われた仕事が、一部分、男のような女の手に行われるというのに過ぎないから、結局、世の中の進歩にならないと思う。

また世の中の仕事に関与するとなると、女は必然に女らしさを失うように思う人がある、が、私はそうは思わない。なるほど、在来の女らしい型は壊れるかもしれない。しかし、女らしさそのものはなくならないはずだ。

こういう例を使っては女性に失礼かもしれないけれども、狼は人間に飼われると犬になるには違いない。しかし、猫にならないことは確かである。在来の女の型は失っても、女らしさは失われないことは、なお、犬が泥棒を見ると食い突くようなものであるだろうと思う。

しかし、これは大義名分の上に立った議論である。もしそれ私一人の好みを言えば、やはり犬よりは狼がいい。子供を育てたり裁縫したりする優しい牝の白狼がいい。

「売文問答」

編集者:私の方の雑誌の来月号に何か書いてもらえないでしょうか?

作家:だめです。このごろのように病気ばかりしていては、とうてい何も書けません。

編集者:そこを特に頼みたいのですが。

(この間に書かば一巻の書をなすべき押し問答あり)

作家:・・・というような次第ですから、今度だけは不承してください。

編集者:困りましたね。どんなものでもいいのですが。・・・2枚でも3枚でもかまいません。あなたの名さえあればいいのです。

作家:そんなものを載せるのは愚じゃありませんか。読者に気の毒なのはもちろんですが、雑誌のためにも損になるでしょう。羊頭を掲げて狗肉を売るとでも、悪口を言われてごらんなさい。

編集者:いや、損にはなりませんよ。無名の士の作品を載せるときには、よければよい、悪ければ悪いで、責任を負うのは雑誌社ですが、有名な大家の作品になると、善悪とも責任を負うのはいつもその作家に決まってますから。

作家:それじゃあなおさら引き受けられないじゃあありませんか。

編集者:しかしもうあなたくらいの大家になれば、一作や二作悪いのを出しても声明の下がるという患いにないでしょう。

作家:それは5円や10円盗まれてもくらしに困らない人がある場合、盗んでもいいという論法ですよ。盗まれる方こそ、いい面の皮です。

編集者:盗まれると思えば不快ですが、義捐すると思えばかまわんでしょ。

作家:冗談を言っては困ります。雑誌社が原稿を買いに来るのは、商売に違いないじゃありませんか。それはある主張を立てているとか、ある使命を持っているとか看板は色々あるでしょう。が、損をしてまでも、その主張なり使命なりに忠ならんとする雑誌は少ないでしょう。売れる作家ならば原稿を買う、売れない作家ならば頼まれても買わない・・・というのが当たり前です。してみれば作家も雑誌社には、作家自身の利益を中心に、断るとか引き受けるとかするはずじゃありませんか。

編集者:しかし、十万の読者の希望も考えてやってもらいたいのですが。

作家:それは子供だましのロマンティシズムですよ。そんなことを真に受けるものは、中学生の中にもいないでしょう。

編集者:いや、わたしなどは誠心誠意、読者の希望にそうつもりなのです。

作家:それはあなたはそうでしょう。読者の希望にそうことは同時に商売の繁盛することすから。

編集者:そう考えてもらっては困ります。あなたは商売商売とおっしゃるが、あなたに原稿を書いてもらいたいのも、商売ばかりじゃあありません。実際あなたの作品を好んでいるためもあるのです。

作家:それはそうかも知れません。少なくともわたしに書かせたいというのは何か好意も交じっているでしょう。わたしのように甘い人間は、それだけの好意にも動かされやすい。書けない書けないと言っていても、書けば書きたい気はあるのです。しかし安請負いをしたら最後、ろくなことはありません。私が不快な目に遭わなければ、必ずあなたが不快な目に遭います。

編集者:人生意気に感ずと言うじゃありませんか。一つ意気に感じてください。

作家:できあいの意気じゃ感じませんね。

編集者:そんなに理屈ばかり言っていずに、ぜひ何か書いてください。私の顔を立てると思って。

作家:困りましたね。じゃあなたとの問答でも書きましょう。

編集者:やむを得なければそれでもよろしい。じゃあ今月中に書いてもらいます。

(覆面の人、突然二人の間に立ち現わる)

覆面の人:(作家に)貴様は情けない奴だな。偉そうなことを言っているかと思うと、もう一時の責めふさぎに、でたらめでもなんでも書こうとしやがる。俺は昔バルザックが一晩に素晴らしい短編を一つ、書き上げるところを見たことがある。あいつは頭に血が上がると、脚湯をしてはまた書くのだ。あのすさまじい精力を思えば貴様なぞは死人も同然だぞ。たとい一時の責めふさぎにしろ、なぜあいつを学ばないのだ?(編集者に)貴様も心掛けはよろしくないぞ。見掛け倒しの原稿を載せるのは、アメリカでも、法律問題になりかかっている。ちっとは目前の利害の他にも高等な物のあることを考えろ。

編集者も作家も声を出すこと能わず、茫然と覆面の人を見守るのみ。

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