麻生さん、物言う天皇を恐れてるって・・・?
麻生太郎は「愛子天皇」を心底怖れている…"悠仁さまの資質"問題を避け続ける政権に国民が抱く強烈な違和感と題してプレジデントオンラインに島田 裕巳が以下(抜粋):
皇族としてふさわしい、あるいは皇族として国民の期待に応えられるのが「どういった人物なのか」については、まったく論議されていないのである。
もちろん、それを議論しはじめると、さまざまなことが言われるようになり、収拾がつかなくなるかもしれない。
だが、皇位を継承して天皇に即位すれば、憲法が規定するように、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となるわけで、どんな人物でもいいというわけにはいかない。
それと関連するのが、悠仁親王に対する「帝王学」の問題である。悠仁親王が今上天皇の子であれば、陰に陽に帝王学を施され、国民もその過程に接していくことになる。ところが、悠仁親王は今上天皇の甥であり、何かの機会に天皇と同席する機会はほとんどない。
そこが、愛子内親王との決定的な違いである。
したがって、国民のあいだに、悠仁親王は本当に帝王学を授けられているのだろうかという疑問が湧いてくるのだが、麻生副総裁も、保守派の論客も、それについて問題にすることはまったくない。悠仁親王に帝王学が授けられるように状況を変えることは試みられていないし、提言すらされていないのだ。
血がつながっていさえすれば、その人物像や在り方を問う必要はないのだろうか。皇室に養子に入った旧宮家の人間の子どもなら、どんな人間でも、場合によっては天皇に即位し、日本の象徴になることができるのだろうか。
その点はまったく問われていないのである。それは謎ではないだろうか。
なぜ、保守派は、天皇や皇族が何もしないことを望むのだろうか。それは、自分たちが政治を行う上で、あるいは自分たちの主張を展開する上で、天皇や皇族が発言したり、何らかの行動を起こすことが邪魔になるからである。
最近も、それがはっきりとした出来事があった。
それは、4月29日に行われた「昭和100年記念式典」においてである。その場には、天皇皇后が臨席していたにもかかわらず、天皇の「お言葉」はなかった。それは違和感を抱かせるものだったが、すぐにそれが官邸の意向であることが判明した。
天皇がそこで挨拶をすれば、昭和の時代に起こった戦争に言及し、平和の貴さを強調したことであろう。高市早苗首相としては、それを怖れたのだ。自分が推し進めようとしている政治に対して、天皇が圧力をかけるような結果になるからである。
高市首相も、小堀名誉教授のように、天皇には居てさえすればいいと考え、宮中での祈り以外不要だと考えているのではないだろうか。
それが、保守派全体の考えであり、だからこそ、天皇の象徴としての在り方や行動の仕方については議論されず、ひたすら血による継承だけが問題にされるのである。
養子案は、女性天皇や女系天皇を阻止するために持ち出されたものである。
もしも国民が待望する「愛子天皇」が実現し、「お言葉」が発せられれば、それは政治家や保守派の論客に大きな圧力になる。麻生副総裁などは、それを本心から怖れているのではないだろうか。
---------- 島田 裕巳(しまだ・ひろみ) 宗教学者、作家 放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。 ----------
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「どういった人物なのか」
憲法が規定するように、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となるわけで、どんな人物でもいいというわけにはいかない。
どんな人間でも、場合によっては天皇に即位し、日本の象徴になることができるのだろうか。
自分たちが政治を行う上で、あるいは自分たちの主張を展開する上で、天皇や皇族が発言したり、何らかの行動を起こすことが邪魔になる
<<まず、「プレジデント」って、こんな浅薄な軽い雑誌だったか?もっと重々しくてしっかりした雑誌だったように思うが。麻生太郎は怒るだろうなあ。国民が抱く強烈な違和感って、そりゃあ、島田さん一人でも「国民」だけどさぁ…フェイクだろう。ファクトチェックしたの?売れそうだからこんなおかしなキャッチコピーを付けたに違いない。
島田さんは、戦後民主主義については浅く学び、天皇の歴史についてはほとんど学んでいないのではないか?
まず、天皇が人間であること、その「人間」が国の象徴となることの矛盾について気づいていないのか?国の象徴って、人間でなく、神なのだ。もし、民主的に「象徴にふさわしい人間」を選ぶのなら、民主的に皇室なんて無関係に大衆の中から自薦他薦、立候補して人気投票すればいいのだ。(例えば、アメリカでトランプみたいのが選ばれたのは、正しくアメリカの今を象徴しているわけだ。)・・・だから、これからタトゥーが流行れば一番格好のいいタトゥーをした人が「象徴」として選ばれてもOK、という具合だ。
時の権力者が何もできない天皇が都合がいい、と幼い子を天皇にしたなんてことは当たり前に行われてきた。不思議なのは、そんな無力な天皇を抱える制度が日本において、千年以上続いてきた、ということだ。この史実が日本を象徴的に語るものだろう。浅薄な憲法論議など忘れて、まず、「何故、日本人は天皇制を長年続けてきたの?」を問うべきだろう。(歴史を振り返れば、天皇が元気いっぱいで天皇親政を行うと世が乱れる、という気がする)
天皇の歴史を振り返れば、天皇と民主主義とは相いれない何かがある、とすぐ気づくはずだ。それを憲法では都合よく便宜上「象徴」と言いくるめただけだ。(憲法草案を作ったのは歴史なんてものに興味のないアメリカの若者だったが、当時の日本人には天皇が温存されるというだけでうれしかったのだ)
長年の歴史を否定して、ご都合主義で選ばれる天皇なんて止めちまえ、とするのもいっそ民主的だ、とも思うのだが。。。
一回、民主主義やら憲法から離れて、純粋に天皇制だけ取り上げて、続けるべきか、止めるべきか、続けるとしたら民主主義や憲法とどう折り合いをつけ、併存するのか、討議したらどうだろう。(憲法にも、天皇制は国民の総意に基づく、としてあることだし・・・)
そして、こういう憲法に触れるような基本的な論議ができないのが日本人なんだな、これが日本の”民主主義”なんだ・・・もっとも天皇制と民主主義なんて併存するものじゃあないから、議論するだけ無駄なんだけど。
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