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6月, 2025の投稿を表示しています

みうらじゅん@現代ビジネス

  「ボケに回れない」からついつい「 ケンイコスギ 」になってしまう…みうらじゅんが説く「老い」を受け入れる心構え というタイトルで以下:みうらじゅん得意の「地口」というのか「もじり」というのか・・・相変わらず面白い。そして”ロック魂”。 眉間の皺、通称「ミジワ」が可愛い顔文字に ――加齢現象としては、眉間の皺も増えてきます。 眉間の皺、通称「ミジワ」ですね。僕にもけっこう深いミジワがあって、10年くらい前までは漢字の「米」と読めました。それが、だんだん神社の鳥居の形になり、最近ではケータイの顔文字\(^o^)/みたいに変化してきました。かつて眉間の皺と言えば、こわいイメージがありましたけど、途端に可愛く見えてくるでしょう(笑)? ――世間的には、皺はないほうがいいとされていますが、顔文字ならあってもいいですね。 せっかく育て上げて可愛くなったんだから、これからは積極的に出していこうと思います。やっぱ、いくつになっても笑ってもらおうという気がないといけません。でも昨今の流行はボケよりもツッコミのほうでしょ。漫才師だったら、ツッコミのほうが司会もできて、仕事も多いイメージがあるからでしょうけど。でも、人はいずれボケになるんです。ずっとキレのいいツッコミばかりしていたら、 急にボケになった時、間に合いません 。おもしろくボケられるよう、ここも日々の修行が大切になります。 ――SNSなんかを見ていても、みんなツッコミになりたがります。 揚げ足を取ったり、非難をする、それは一方的なツッコミですから。なんて言いながら、僕も上京するまでは自分のことツッコミだと思ってたんです。子供の頃からスクラップ帳に貼ってた仏像の写真は、大人から「すごいね」って言われて、調子に乗ってたんです。その仏像スクラップを、東京で知り合った、いとうせいこうさんに意気揚々と見せたら、開口一番「あんた、どうかしてるよ!」って、ツッコミを入れられたんです(笑)。 さらに、高校生の時までに400曲くらい自分で作詞・作曲した曲を吹き込んだカセットテープがありまして。それを今度は山田五郎さんに延々聞かせたところ、また「どうかしてるよ!」って。ようやく僕がツッコミやすいボケだと気付いたんです。本当、ようやくね(笑)。以来、僕はボケ人生にシフトすることにしました。 ――ボケになることも、老化も、恐れず受け入れた...

安田武「型の日本文化」②

この本は昭和46年~53年にかけて様々な雑誌に書かれたものを集めたもの: 以下抜粋:  近代日本が、自国の過去を一切否定して、ただひたすらに欧米「先進国」の例を範とし、これにおのれを擬そうと腐心した歴史は、しかしさながら、敗戦後初めてのことではなかった。明治9年、わが国に西洋近代医学を移植すべく招かれたドイツ人医師ベルツは、その日記にこう誌していた。  ところが、何と不思議なことには・・・現代の日本人は自分自身の過去については。もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした。」と私に言明したものがあるかと思うと。またあるものは、わたしが日本の歴史について質問した時、きっぱりと、「われわれには歴史はありません。我々の歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。 だが私の真意はいま、日本の近代を宿命的に支配した欧化主義思想の軽薄さを指摘して却って国粋主義的な発想を鼓吹することにあるのではない。私たちの「近代」にとって、真実の不幸は、こうして「文化」が学問・思想の領域であれ、あるいは電気器具やナベ釜といった類であれ、常にそれは「よそ」からやってくるものという観念が、知識人・一般庶民層を問わず、いつか暗々裏に、人々の間で固定してしまった、ということにあるはずである。 >> 戦後も日本人は昨日までの「天皇陛下万歳」を捨てて「マッカーサー万歳」になった。つまり、ご利益があるものが神様なのだ。明治新以降は、神様はもっぱら、「よそ」から来るようになった。 「文化」は、農民がその土地をよく耕すことによって、よき収穫を得るように。私たちが日常の生活それ自体、その周辺を丹念に「耕す」ことによってしかありえないはずのものなのだ。それが、あのキケロのいう、あるいは三木清が指摘した「教養ある人間性の総体」ということであり、「礼儀作法から初めて、敵の間でも守られねばならない正義の規則」ということであり、「動物的本能を文化的慣習に変ずる」ことであった。 暮らしとは、季節と共にあった。季節は自然の中にある。自然を「征服」することが文化なのか、自然と「融和」するこtが文化なのか。少なくとも、この国では後者であった。「すきっとした水でない。曇りがある」水が、大音や西山の琴・三味線の糸づくりに合うものだった。「ナイロ...

倉本圭造さんと御田寺圭さんの対談@現代ビジネス

「保守派を論破する」「リベラルに失望する」だけでは前には進めない…ポスト・ポリコレ時代に最重要となる「メタ正義」とはなにか? と題して以下(対談): 二人の対談を見ると、「日本もまだまだ捨てたもんじゃない」と思える。そうだ、老人は絶望しとけばいいが、若い人はそうはいかない。 ・トランプの当選を嘆くのではなく、「何故当選したの?アメリカで何が起きてるの?」と考えること。 ・ポリコレを嫌ったり無視する人間をバカにしないこと ・敵を論破することでなく、問題解決しようとすること ・ 財務省解体デモを笑うのでなく、「彼らは何故そんなことをする(言う)のか?」を考えること ・クルド人問題も「政府が悪い」で片づけず、具体的な解決策を積み上げることが重要。そういう人たちの活動・言動は地味になりがちだから「拡声器」が必要なこと ・政治家に直接会って「陳情」すること ・ れいわや参政党は批判され、馬鹿にされているが、支持者はかつての共産党や社会党(公明党)の支持者のように、熱心に友人や親せきに投票を依頼する ・ アメリカでは、既存メディアも新興メディアも全部マネーゲームに放り込まれ、SNS的に煽りまくらないと生きていけなくなり、その結果として国全体が分断されてしまったが、日本はそこまで状況が悪化していない・・・まだ脈がある(かな?) (前略)   倉本  私は全くもってトランプ支持者ではなく、むしろ必死に反対している側ですが、御田寺さんが「予言」していたようなリベラル側の欺瞞性や独善性が、アメリカでは回り回ってトランプ再選という結果につながってしまったのは否定できません。 トランプのダメなところは無限にあげられると思いますが、それより「なぜ彼が選ばれるのか」という“原因”の部分に真摯に向き合い、新しい本当の理想を立ち上げ直す必要がある——というのが、私の言論活動の根本テーマのひとつですね。 「リベラルが労働者の味方をやめてしまった」 御田寺  日本では2016年のトランプ大統領の初当選時にも、トランプ氏の当選を予測する、あるいは当選の理由を正確に分析するメディアや識者はほとんど皆無でした。それは日本から見るアメリカ像、取材源がエリート層の世界に偏っていたからでしょう。 トランプの最初の大統領就任直後、オンラインゲーム上で10年ほど交流していたアメリカ人の青年に話を聞いたことがあ...

不気味な株高

 日経平均は40000円を超えた。あっという間だ。去年の7月、史上最高の42000円に達しそれから8月5日の31000円への暴落。全く同じことが7月か8月に起きるのではないか? NYダウも44000ドルに迫るが、今年1月末史上最高の45000ドルのあと、4月7日、36000ドル。 ユルマズさんは今年夏以降、株価は急落すると。8月かな?9月かな?下げに転じて1月もしくは2月だ。 不気味だけど、下げたら買う準備もしとかなくちゃ。

売名のために学校を利用するのは許されない・・・『市議』を利用するのはいいの?

  石丸新党の新人、視察先の高校で政党PR 学校側の抗議で動画削除 と題して毎日新聞に以下:(6月27日) 参院選(7月3日公示)に全国比例で立候補する予定の、地域政党「再生の道」の新人、浦野仁氏(30)が、山形県内の私立高校を訪ね、生徒たちに政党などについて語った動画をネットに投稿していたことが判明した。学校側は動画の公開を知らなかったといい、専門家は「 売名のために学校を利用するのは許されない 」と批判している。  動画は26日にユーチューブにアップされ、学校側が抗議した後に削除された。浦野氏はX(ツイッター)で「 公選法上の問題はない 」と主張した上で「確認不足で高校側にご迷惑をおかけした。申し訳ございません」と謝罪した。  学校によると、浦野氏の関係者から「部活動を視察したい」と依頼があり、10日ごろに浦野氏ら数人が学校を訪問。顧問教諭から部活動について説明を受けた後、部員に約15分間あいさつしたという。  削除前の動画を毎日新聞が確認すると、浦野氏は、再生の道代表の石丸伸二氏の政治主張を紹介。「再生の道を聞いたことがある人はいますか」と呼びかけ、「僕みたいな若い人とかを公開オーディションで選んだ」「国民の皆さんに選んでいただけたら、しっかり仕事ができる」と発言していた。  動画には多くの生徒の顔が映っており、生徒に浦野氏の印象について尋ねる場面もあった。動画は教諭らが内容を確認してから公開される取り決めになっていたが、実際には確認前に公開されたという。  顧問教諭はあくまで部活動の視察と認識していたといい、「実際に訪問した際の様子と動画の内容があまりに違っていて驚いた。公開の段取りなども事前の説明とまったく異なっていた」 と憤っている。  千葉大の藤川大祐教授(教育方法学)は「無許可での公開や、売名のために学校を利用することはあってはならない。公の場に顔を出せない生徒がいるケースもある」と指摘した。 >> 売名のために学校を利用するのは許されない ・・・それなら、売名のために市議会や市議会議員を利用するのは許されるのか???? 公選法上その他、法的に問題がなければいいのか??? 教祖様の市長時代の決めゼリフの通りを胸に刻んでくれ。問題は法ではない。恥だ。 以下のように最高裁で敗訴し、法的に問題があったことが確定しても「蛙の面にション便」で恬として恥...

マイバスケットが閉店

10年位前か、セブンイレブンのマネをしたのかどうか知らないが、家の周りでマイバスケットが数百メートルおきに2,3軒できた。そしたらセブンイレブンがそのマイバスケットを挟むように2,3軒できた。セブンに負けたのだろう、家から一番近くのマイバスケットは5,6年前に閉店に追い込まれた。 今日、数百メートル離れた別のマイバスケットの前を歩いていたら、上さんが「3割引きだって。閉店セールらしいよ」と叫ぶ。 夕方7時前でもう大して商品が残ってない中、ラーメンとイカフライを購入。店の中に”本日午後8時に閉店”と貼ってある。上さんと「もっと早く気づいていればよかったのに・・・」などと言い合った後、「虫の知らせ」で、もう一回何か残ってないか探してみる。生クリームやらチーズやら購入。支払いを終えた上さんが「やけに安い・・・」とつぶやく。レシートを見たら、なんと3割引きの3割引き、つまり約半額になっていた。どうも、7時過ぎからは3割引きの3割引きにしたらしい。 久しぶりに興奮した。

安田武「型の日本文化」

 安田武「型の日本文化」に「間」の芸として紹介されている、志ん生の「あくび指南」「強情灸」を聞く。「間」といっても志ん生演じる江戸っ子の「間」は、せわしない。気の短けえ、威勢のいい「間」だ。ゆっくりとした間ではなく、むしろ空白を取り去ってしまうような「間」。 これが江戸っ子の粋だ。つまり、命だ。江戸っ子を江戸っ子たらしめている何物か、だ。「のり」と言ってもいいかもしれない。 江戸っ子を滅亡させたのは明治維新だ。安田武さんによれば、明治維新以来、日本を日本たらしめていた何物か・・・間とか型・・・を日本人はどんどん破壊しつくして来た。関東大震災や大東亜戦争は、外から日本文化を破壊したが、明治維新は内から日本文化を破壊したと。 進歩、科学、言葉、話し合い、コミュニケーション、合理・・・そういったもので日本人は、日本文化を破壊してきた。 1890年生まれの志ん生は、かろうじて破壊しつくされる前の”江戸っ子”を体に残していた。志ん生は安田さんのような、江戸っ子好きにとっても代わるもののない存在だったんだろう。

Art Pepper "Violets for your furs"を聞く

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 YouTube様が勝手にマイミックスリストなるものを作ってくれる。今まで俺が視聴したヤツをどういう基準か知らないが選んでくれて順番に自動的に再生できる。 YouTubeのAI様のお作りになったミックスリストの先頭が松田聖子の”蒼いフォトグラフ”だ。2曲目が天地真理”水色の恋”。仰せに従って再生する。何曲か聞くうち、Marty Paichの”I get a boot out of you"というアルバムに収録された”Violets for your furs"が始まった。「俺こんなの聞いたかなあ?」と思いながら聞いていると、アルトサックスのソロが始まる。いいアルトだなあ、と思っていたらやっぱりArt Pepperだった。 PaichのPepperに対するリスペクトがよくわかるアレンジだ。Pepperに「どうぞ、気の向くまま、気のすむまで吹いて頂戴」という気持ちが現れている。Pepper以外の「その他大勢」のバンドメンバーはほとんど音を出さない。 久しぶりに、ヘンテコなアルバムジャケット写真も見ることができた。 この手の、女の肉体を前面に押し出した映像が流行ったのは1980年代までか?(最盛期は1970年代?)昔の映画やTVドラマを見てると、「ここで女の裸か?いらねえだろう!」という場面も多い。このアルバムが出たのが1959年。60年代以降どんどん露出が激しくなった。この写真も嫌いではないが、特別いいとも思わない。ただ、何十年か前はこういうのが許され、また流行ったんだ、という思い出、感傷に浸るだけだ。Political Correctnessやら多様性やらComplianceやらが流行る前の「古き良き時代」を懐かしむよすがだ。 閑話休題: マイミックスリストなんてのを提供されると、YouTubeも捨てたもんじゃない。宣伝ばっかりで嫌にもなるが。 俺はYouTubeって、アーカイブとしてならとってもいいもんだ、と思う。しかし情報源やら教育には向いてないように思う。言い方を変えれば志向や思考や指向や嗜好を固めるのはYouTube(ネット)以外の手段がいいと思う。いいもの、悪いもの、好きなもの、嫌いなものを識別し選択する能力ができるまではYouTube やらSNSは害が大きいと思う。 問題は、生まれてこの方、YouTube やらSNSによって教育されてき...

これじゃあ、石丸君にバカにされる

テレ朝NEWSに以下:   共産党の中央委員会総会が開かれ、田村委員長は来月20日の参議院選挙で「自民党政治を終わらせるため躍進する」と強調しました。 共産党 田村委員長 「目前に迫った参議院選挙を、日本共産党の躍進で、衆議院に続き参議院でも自公を少数に追い込み自民党政治を終わらせ、新しい希望ある政治を作る展望を開く選挙にしていこうではありませんか」  田村委員長は「比例代表で650万票、得票率10%以上、5人の議席を必ず獲得する」と目標を掲げました。  選挙区では「東京、埼玉、京都の現有議席は必ず確保し、さらに前進を図っていきたい」としました。  他の野党との連携については「立憲民主党の野田代表と党首会談を行い、参院でも自公を少数に追い込むために連携することで合意した」と述べ、全国で32ある一人区での野党候補者の一本化に向けた協力を進めていく考えを示しました。 >> さて、「自民党政治を終わらせた」あとは誰が”政治”するのか?共産党が自民党のあと、”政治”をするのか?そしてそれはどのような政治なのか?それを示さないでただ、「終わらせる」だけじゃあ国民は困る。(共産党支持者・共産党員だけは喜ぶが・・・) そこを指摘しないで「○○さんがこう言いました」と不偏不党に、事実のみ書かれても意味がない・・・ もっとも、石丸教祖も何万人だか何十万人だかの信者だけを相手にパフォーマンスして、信者だけが喜んでYouTubeを見てくれればいいんだろうが・・・ 俺は共産党にも、石丸教祖にも是非”政治”をしてもらいたいと思っている。そして赤っ恥をかいてもらいたい。

イランをWikiる

イスラエルやアメリカに攻撃されたイランのイスファハーンって、確か美しい古都だったよなあ、と思い出してイランをWikiる。やっぱりイスファハーンって16世紀にはぺルシアの首都だった。いわば、京都みたいなもんだ。そこに核施設を作るのも、それを爆撃するのも、俺の理解を超えている。 イランて、ギリシア、ローマ帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国、ロシア、イギリス、フランス、そして油田発見後はアメリカ、イスラエル・・・によって蹂躙・翻弄されつづけてきた。日本だって明治維新の後、下手すれば同じ運命だったかも知れない。イランの歴史をなぞってみると、とても日本人には共感、理解しがたい国際関係を経験した、と痛感する。 日本は、明治維新で日本が徹底的に割れずに内乱を回避したから、なんとかなったんだ。お上に弱く、同調圧力・まとまるのが好きな日本人だったから明治維新も、戦後の占領も様々な問題点は抱えつつもイランのような悲惨な目には合わなかった。 それがよかったのか悪かったのか?敗戦後、生きながらえるために天皇以下進んでアメリカのポチになった日本。歴史的な試練・経験からか、また、宗教ゆえなのか、アメリカに屈することをよしとしないで戦争を続けるイラン。石油が出るというのも、また良しあし。 日本の歴史を振り返れば、日本人が好戦的・個人主義的だった時期は2回ある。 その① 3、4世紀から7世紀まで。7世紀末、藤原不比等が天皇家を取り込んで藤原家による天皇継承システムを確立するまで蘇我氏、大伴氏などの豪族が乱立。天皇家自身でも後継をめぐって内紛した。 その② 15,16世紀の戦国時代。 イランではこういった「俺が俺が」の利己主義・個人主義が横行する時代が普通なのだ・・・というか、日本だけが例外なのだ。 様々な王朝が次々と国を支配し、また海外列強に蹂躙・翻弄された歴史・経験を持つ中国とイランは親和性があるのは理解できる。  イラン: 紀元前は、イラン人がゾロアスター教を国教としてペルシア帝国を作る 紀元前330年、アレキサンダー大王(ギリシア)に滅ぼされる 226年から651年まで続いたササン朝ペルシャはローマ帝国と戦い、キリスト教を弾圧 651年ササン朝はイスラム教徒との戦争で敗れ、崩壊した・・・王子が中国(唐)に亡命 その後、イラン系、トルコ系のイスラム教徒が入れ代わり立ち代わり王朝を作る 1...

イスラエル・イラン・アメリカ停戦

朝日新聞に以下:   イランは23日夜、中東カタールの米軍基地に対してミサイル攻撃を実施した。米軍によるイラン国内の核関連施設への攻撃に対して報復した形だ。トランプ米大統領はSNSへの投稿で、イラン側から早期に攻撃の通告を受け、米側の死傷者はなかったと明らかにし、「これ以上の憎悪が広がらないことを願っている」と述べた。  イランの精鋭部隊「イスラム革命防衛隊」の発表によると、「米国の犯罪政権によるイランへの軍事的侵略および国際法違反に対し、革命防衛隊はカタールのアルウデイド基地に強力で破壊的なミサイル攻撃を実施した」という。  一方、トランプ氏は攻撃後の投稿で、「我々による核施設の破壊に対し、イランは予想通り非常に弱い反応を示し、我々は効果的に対処した」と述べた。トランプ氏によると、イランから発射されたミサイル14発のうち、13発を迎撃し、1発は異なる方向に向かった。死傷者はなく、米側への損害もほとんどなかったという。「イランが事前に通告を発したおかげで、人的被害を回避でき、イランに感謝する」とも述べた。  トランプ氏は「今後、イランは地域の平和と調和に向けて進むだろう。イスラエルにも同様の行動を強く促す」との考えを示し、中東情勢のさらなるエスカレーションは避けたい思いをにじませた。  米メディアによると、トランプ氏はイランの攻撃を受け、ヘグセス国防長官やケイン統合参謀本部議長らと協議したという。米国防総省当局者は23日、「アルウデイド空軍基地が本日、イランからの短距離、中距離弾道ミサイルによる攻撃を受けた」とし、現時点では米側の死傷者は確認されていないと述べた。  中東の衛星放送局アルジャジーラによると、アルウデイド空軍基地は米中央軍の前方司令部で、中東最大の米軍基地。約1万人の兵士が駐留しているという。カタール政府は、イランからのミサイルを迎撃したとしている。  米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)は3人のイラン当局者の話として、イランが攻撃による被害を最小限に抑えるため、カタールに事前に通告していたと報じた。当局者らは、イランは象徴的に米国への報復を行う必要があったと指摘。そのうえで、すべての当事者が事態から手を引けるような形で実行したと主張した。  イランは、2020年に革命防衛隊のソレイマニ司令官が米軍に殺害された後、報復として在イラクの米軍基地を...

マスコミは生成AIの「下請け工場」になる? メディアの活路どこに

 朝日新聞に AIやアルゴリズムに詳しいメディア論研究者の宇田川敦史・武蔵大准教授に聞いた記事。(以下抜粋);  AI企業やプラットフォーマーが重視する指標は、「何が人間にとって必要か」ではなく、「何がアテンションエコノミー(関心経済)に資するか」です。信頼性や正確性より、アテンション(注目)です。 ジャーナリズムの本質はそうではありません。「この情報は、注目は集めないかもしれないけど、市民にとって大切だ」と価値判断をするわけです。  民主主義を支える情報とは何か、公共的で大事な価値観とは何かを考え、社会に提供しようとするメディア企業の力は、依然として重要です。「ユーザーのニーズ」という視点でしかモノを考えなくなると、非常に危うい。  メディア企業としての命脈が一度途絶えてしまえば、再び育てるのは簡単なことではありません。生き残るために、伝統メディアの持つ価値とは何かが、逆説的に問われていると思います。  ――逆説、ですか。  つまり「身体性」です。AIはまだ、生身の体を持っていません。  ジャーナリズムの根本は現場に直接行くことですよね。人の話を聞き、光景を見て、情報の裏取りをする。AIやプラットフォーマーが持ち得ない価値です。  最近の伝統メディアを見ていると、現場のジャーナリズムの大切さが忘れられているんじゃないかと感じることがあります。 釣り見出し、こたつ記事は自滅への道  ――どういうことでしょう。  プラットフォーマーの理屈に絡めとられていないかと。時に、「アテンションエコノミー」の渦の中に自ら飛び込んでいる印象があります。「釣り見出し」をつけたり、「こたつ記事」を量産したり。ウェブで収益を上げなければいけない経済的な問題もあるので、一概に否定はできませんが、ユーザー側に「結局アテンション目当てか」と見えてしまうのは、よくないことです。   メディアの価値の源泉は、最終的に読者や視聴者に何を提供できるかです。それにきちんと対価をもらうビジネスにしなければいけない。  メディアと生成AIの共存という意味では、例えばメディア企業が持っている「記者を現場に送る力、裏取りする力」を元に、LLM(大規模言語モデル)を自分たちで作る方向もあり得る。「Chat(チャット)GPTじゃなくて朝日新聞AIに聞いた方が、ニュースに関しては正確な情報が出てくるよね」とい...