マスコミは生成AIの「下請け工場」になる? メディアの活路どこに

 朝日新聞にAIやアルゴリズムに詳しいメディア論研究者の宇田川敦史・武蔵大准教授に聞いた記事。(以下抜粋);

 AI企業やプラットフォーマーが重視する指標は、「何が人間にとって必要か」ではなく、「何がアテンションエコノミー(関心経済)に資するか」です。信頼性や正確性より、アテンション(注目)です。

ジャーナリズムの本質はそうではありません。「この情報は、注目は集めないかもしれないけど、市民にとって大切だ」と価値判断をするわけです。

 民主主義を支える情報とは何か、公共的で大事な価値観とは何かを考え、社会に提供しようとするメディア企業の力は、依然として重要です。「ユーザーのニーズ」という視点でしかモノを考えなくなると、非常に危うい。

 メディア企業としての命脈が一度途絶えてしまえば、再び育てるのは簡単なことではありません。生き残るために、伝統メディアの持つ価値とは何かが、逆説的に問われていると思います。

 ――逆説、ですか。

 つまり「身体性」です。AIはまだ、生身の体を持っていません。

 ジャーナリズムの根本は現場に直接行くことですよね。人の話を聞き、光景を見て、情報の裏取りをする。AIやプラットフォーマーが持ち得ない価値です。

 最近の伝統メディアを見ていると、現場のジャーナリズムの大切さが忘れられているんじゃないかと感じることがあります。

釣り見出し、こたつ記事は自滅への道

 ――どういうことでしょう。

 プラットフォーマーの理屈に絡めとられていないかと。時に、「アテンションエコノミー」の渦の中に自ら飛び込んでいる印象があります。「釣り見出し」をつけたり、「こたつ記事」を量産したり。ウェブで収益を上げなければいけない経済的な問題もあるので、一概に否定はできませんが、ユーザー側に「結局アテンション目当てか」と見えてしまうのは、よくないことです。

 メディアの価値の源泉は、最終的に読者や視聴者に何を提供できるかです。それにきちんと対価をもらうビジネスにしなければいけない。

 メディアと生成AIの共存という意味では、例えばメディア企業が持っている「記者を現場に送る力、裏取りする力」を元に、LLM(大規模言語モデル)を自分たちで作る方向もあり得る。「Chat(チャット)GPTじゃなくて朝日新聞AIに聞いた方が、ニュースに関しては正確な情報が出てくるよね」という世界だって、あり得るわけです。

――悲観しすぎてもダメだと。

 生成AIの登場で変わる部分も確かにありますけど、私自身はそこまで悲観はしていません。いくらアテンションエコノミーの世の中でも、ただただ暇つぶしで心地よいものだけを皆が求めているかというと、そうではない。

 いま何が起きているのか、正しい情報は何か、というニーズは絶対に無くなりません。メディア不信が広がっているのも、「期待の裏返し」だと思います。

 「正しいことを知りたい」というパッションがあるからこそ、「マスコミがウソをついている」という言説にニーズが生まれます。楽しいもの、注目を集めるものだけで情報空間を埋め尽くしてはいけない、と多くの人が感じています。

 この社会に確実に存在する、「民主主義社会で市民が知るべきものを提供することの価値」をどう広げていくか、メディアは問われています。

うだがわ・あつし 1977年生まれ、日本IBMや楽天勤務を経て武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授。

>>

宇田川氏、今年48歳。

メディアの価値の源泉は、最終的に読者や視聴者に何を提供できるかです。それにきちんと対価をもらうビジネスにしなければいけない。

いま何が起きているのか、正しい情報は何か、というニーズは絶対に無くなりません。

民主主義社会で市民が知るべきものを提供することの価値

などと言ったことを無邪気に信じているのか?

俺は山本夏彦さんに従い、「記者は読まれる記事を書く」を信じる。

いま何が起きているのかを正しく知ることは不可能だ。正しいか否かではなく、受けるかどうか、好きかどうかだろう。ロシアとウクライナ、どっちが正しい?イスラエルとイラン、どっちが正しい?確かに「正しい情報」は必要だ。ただし、「正しいと信じたくなる」情報だ。

今、日本では民主主義社会が成り立っていると思うのか?政治家や官僚を非難する者ばかりで政治家や官僚を目指す者のいない日本社会は民主主義社会か??

コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

長嶋追悼:広岡さん

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)