『カッサンドラの日記』27 選挙は独裁と相性がいい

表現者 クライテリオン 7月5日 橋本由美さん 

(前略)

多数決が民主政治なのか? 

 そこで考えなくてはならないのが、「多数決」は信頼できるシステムなのか、ということである。学生時代から「9割の人がYESというときは、疑ってみる」ということを繰り返してきた私にとって、「民意」は相当に怪しいものに見える。勿論、すべてが怪しいわけではない。異常気象や大気汚染が困るとか、役所の対応とか、物価の上昇とか、常識的にごもっともということはたくさんある。しかし、選挙の争点の「政策」になると、簡単ではない。政策には、法律や行政の仕組みや時間的制約や財政状況やいろいろな知識が必要で、それぞれに複雑な「数字」が出てきて、よほど関心を持って勉強していないとわからないことばかりだ。勉強している人は「少数派」だ。「多数派」の一般庶民にわかるのは「減税」「物価安定」「不公平是正」などの大雑把なフレーズや、ハコものや鉄道・道路などの目に見えるものである。だから、公約も「美しく住みよい街」「お年寄りにやさしい街づくり」「子育てに寄り添う街」というような至って曖昧な題目になる。そういえば「マニュフェスト!」と大合唱したことがあるが、あれはなんだったのだろう。

 政策の具体的な話はさっぱりわからないけれど、ワンフレーズのイメージでわかったような気になって投票する。それが「多数」の「民意」になる。学級委員や自治会の役員のように、少人数のそれぞれが知り合いで「人柄」や「適性」で選べるならば多数決も有効だが、1400万人が住む大都市の東京では、流動する多数の住民が理解できる人物や満足する政策なんてあるわけがない。大都市の直接選挙は人気投票による確認でしかない。共有するものがない人々の、バラバラの「いま」「ここ」で選ばれる候補者は、「祭り」の主演役者である。

 敵を攻撃する「熱狂」は独裁政治を招く。ヒトラーの選出やトランプ現象が典型である。8年前の選挙で「戦う女」が売り物だった百合子さんも同様だ。一方で、プーチンや香港の選挙のように、選択肢のない通過儀礼に過ぎなくても、選挙結果は専制に正統性を与える。選挙は民主的な手段であるはずなのに、民衆の熱狂的な「喝采」によって選出されるか、諦めによって承認されるかという、別々の道路標識を辿っても、行き着く先には「独裁」がある。多数決というのは、それほど恐ろしい。

 時間の連続性を失うと常識がわからなくなる。瞬間瞬間で損得のスウィッチングを繰り返すとき、そこには自分しかいない。コスパやタイパは時を惜しんでいるのではなく、時の連続性を切り刻んで捨てているだけだ。常識は連続性のなかにある都知事選の「掲示板事件」に愕然として眉を顰める人々には常識が働いている。外苑の俗悪な再開発を嫌う人々には、歴史を惜しむ気持ちがある。まだ、常識が残っているうちに——「熱狂」や「諦め」で衆愚が独裁を招かないうちに、時の奥行きを見つめて何かを学び取り、一人ひとりが賢くなる努力をするしかない。「瞬間」に弄ばれずに、じっくり腰を据える時間が必要だ。

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異常気象や大気汚染が困るとか、役所の対応とか、物価の上昇とか、常識的にごもっとも

常識は連続性のなかにある都知事選の「掲示板事件」に愕然として眉を顰める人々には常識が働いている。外苑の俗悪な再開発を嫌う人々には、歴史を惜しむ気持ちがある

この人はまだ、常識が生き残っていると思っていて、常識を死滅させてはいけない、と言う。

俺は常識は死滅した、復活しない、と考えている。(つまり絶望している)

異常気象、大気汚染、役所の対応、物価の上昇・・・「常識的にごもっとも」とは思わない。まず、フェイクではないか?と疑うし、スウェーデンのトゥーンベリとかいう自閉症の女も信じられない。単なる流行りすたりだ。(俺は流行りすたりに敏感でそれに乗っかろうという輩も否定しない。バカにはするけど)

どうしたら「時の奥行きを見つめて何かを学び取り、一人ひとりが賢くなる努力をする」なんていう芸当ができるのだろう?できもしないこと、意味のないこと、単なる言い換え・・・をしたり顔で言うって、TVのコメンテーターのすることだ。

バラバラの「いま」「ここ」で選ばれる候補者は、「祭り」の主演役者で、祭りを楽しんでいると、行き着く先には「独裁」がある。多数決というのは、それほど恐ろしい。

・・・民主主義ってその程度のモノだろう。コスト、手間暇、対応スピード等を考え合わせると、独裁の方が断然優れている。選挙が大切なのは、祭りの主演役者が選ばれて支配者になって行う独裁がいやになったらピリオドを打てる手段だからだ。だから、選挙も多数決も必要だ・・・もっとも、中国のように、選挙も多数決もなくても、何回も革命(=支配者の交代)を繰り返して来た国がある。一方で日本のように、支配者が変わらなくてもその言う事がほとんど180度変わる、なんて国もある。

ただ、多数決って、多様性の否定だ。自由と平等が二律背反なのと同様、多数決=民主主義と多様性も二律背反だ。

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