談志師匠の対談(「作家と家元」中公文庫より)
①色川 武大との対談(1987年)
談志:(前略)日本人て、基準がないんだよ。
色川:ある点で、日本人というのは、その必要が薄いということも言えるんだね。西洋のああいう遊牧民族では、まず能力主義になるでしょう。そうじゃなければ生きて行かれないから。そうすると、どこかに枠を決めないと野放図になっちゃうんだよね。だから、持続していくためには神みたいなものが必要欠くべからざるものにねる。ところが、日本人というのは島国で、それこそ農耕民族だし、地面から生えてくるわけだよ。だから、自分である程度コントロールしちゃう。そうすると、他に何か規制するものがそれほど必要でなくなっちゃう。
談志:それをバランスと言っているんでしょうね。われわれはバランスのとれた国民であるてなこと言って。バランスの取れた国民なんだけど、そのバランスを、その都度その都度のバランスを捜さなければならないからな。
色川:そうそう。だから、それが逆に、風邪ひいて40度ぐらい熱がある時に考えたことと、平熱の時に考えたことを、どっちも自分と思わなきゃならないという不思議なね、どうも不便も出てくるわけ。(後略)
②伊集院 静との対談(2006年)
談志:(前略)昔、志ん生師匠に「師匠、いてくれるだけでいいいよ」って言ったことがあるんですよ。志ん生がいればいい、志ん生を愛してる、見てるだけでもいいよってね。今それと同じようなことを言ってくれるファンも多いんですよ。いてくれよ、談志がいてくれるだけでいいんだと。(略)
伊集院:今のファンドの連中なんかを見てると、とにかくてめえのもんじゃねえものをどっかへ移す。そこから得るものを狙っているっていうんで、TBSであろうが阪神であろうがモノはなんでもいいという。死の商人とは言わないけれども、やつらはその程度のものだろうと底が見えてしまうんです。
談志:昔の死の商人はね、ドイツのクルップでも三菱でも、モノをこしらえてましたよね、兵器であろうが何であろうが。あいつら、何もこしらえてないよね。バーナード・ショーとかマーク・トウェインとかあの頃の時代の誰かの文句だろうけども、「私は株の売買ブローカーを人類と認めない」と発言したのがいましたね。やっぱりあたしたちはそういう教育を受けたんですね。つまり、カネ、カネって言うヤツは良くないヤツだ、恥さらしだと、カネは必要なんだけれども、志ん生師匠も「カネが仇の世の中で、どうか仇に巡り合いたい」なんてことを言って笑わせてましたけども、それは恥なんだという教育がなされてましたな。だから腹が立つんでしょう。ただ、その教育がはたして正しかったのかどうなのか。あの状況に対してはそういう教育をしないとしょうがないからしてたとするならば、それを根底にして文句を言ってるわたしは時代遅れじゃないのかとか、そういう反省もいくらかあるんですけれども。
伊集院:そんなことはないでしょう。師匠がですね、こらダメだと感じたものは大体ダメなんですよ。
談志:あ、嬉しいね。だから、ジョークに「世の中にカネで買えないもんがあるのを知ってるか、おまえ」「知らない。教えてくれよ。いくら出しゃあいい」っていうのがあるんだけどね。それと同じような勘違いすんのもいるね。恥も外聞もねえのかなと。ただ、仕事の話ですけどね。あたしも含めて芸人がね、とにかくしゃべって、30分でも独演会の2時間でもやってそこで貰って来るカネがありますね。もちろん向こうに言わせりゃ頭脳を使ってる仕事と言うかも知れませんよ。でも、仕事ってのは、そうじゃないと。もっと言ったら、しゃべったり書いたりなんかしてんのも仕事じゃないと。よく女優なんかが「今、お仕事が忙しくて」なんて言いますが、お仕事じゃあねえんだ。あんなもの。仕事ってのは、やっぱりツルッパシ持って大地と戦ってるやつとかね。大海原ん中でもって網を放り込んでるやつとか、ああいうのを仕事と言ってね、どうも今、仕事と言ってるのは仕事じゃないような気がするんだけど。
伊集院:仕事じゃないですね。
談志:ましてこっちは好きなことやってるわけですからね。どうも正面切って仕事っていうのはね。だから、仕事の概念をもういっぺん変えて、体でやったカネのほうが高くてですな、頭でやったカネは安いっていう風にならねかなと思うんです。あれにしたらどうですかね。大昔みたいに大きな石にね、ああするとそんなに集めようとは思わないんじゃないかという気がするんだけどね。これ持っていかないとダメだと。で金持ちは石担ぐんだ。そうすると、少なくとも数字じゃない。カネは重さであると。(略)
伊集院:国がおかしくなってくるときは、いわゆる規定できない不安が増大していくんです。一番の根っこは階級差ということなんだけれども、たとえばあそこにでかいビルがあって、なんであいつらだけがいい思いしてるんだよという話になるんですね。どうして俺たちはいつまでたってもこんなことしてるんだと。やっぱりあいつらつぶそうよってね。それでなきゃ、よその国がきてちゃんとつぶしてくれるんじゃないですかね。ちょっと頭を働かして考えると、ああいうファンドとかやってる連中のカネの出所はどこだっていうと、あとで大きい国から「はいはい、よくやりました」って集金に来るていう寸法になってたりするんです。おめえも少しはいい思いをしただろうっていう形で終わって、あとに六本木ヒルズみたいな塔だけが残る。だけどもそれはそれで壊しにいこうぜ、という話になってね、カネを与えられない人間の発想から云うと、天誅組も悪くねえじゃねえか、やっちまえというね。これは、平等を愛する心なんだと。(略)
さっきの仕事の話でいうと、ツルハシ持ったり、板子一枚下は地獄だって網張ってる人間に対して、「あんたら大変だったろう、はい、どうぞ」って言って手渡してやるのが、カネだろうし、権利と言うものだろうという事ですよ。そう考えると、どうも今の連中は誰も「どうぞ」なんて言ってないんです。すると、これはやっぱり悪業だろうと。業は業ですから、不満な奴があいつらを倒しゃあいいんだと。そこには有無を言わさない道理があるよっていう話で、これはあと数年のうちに出て来る。
談志:前はね、これは俺が斬るというんで、天誅である、って誰かがやったわけでしょう。ズバッて。そういう怖さみたいなものも世間にあったんだけどね。
伊集院:そこの肝みたいなものをみんな取っちゃったから。でも肝はね、どんな生き物にもあるんだから。(略)
談志:仕事って何なのか。こういうジョークがあって、「君はうちの会社で働きたいのかい」「いや、働きたいという事よりも仕事が欲しいんですよ」って。ちょっと微妙なジョークなんですけど、とりあえず仕事場だけ欲しいということですね。そういう時代もあった。そのころはそれがジョークになったわけですね。会社で地位なんて欲しくないと、思うんですが、仮にみんなそうなっちゃっても何とか世の中、経済はもつんじゃないですかね。
伊集院:今の体制だと。世の中って言うものは結局回っていくと。
談志:うん。今変なことを思い出したんですがね、小松左京さんのSFでこんな話があったんですよ。日本人がみんなだらしがなくなっちゃって、誰も真面目にやらないと。だから、外国から親書が来ても「ようよう」なんてでたらめに書いちゃうから、向こうは怒って攻めてきたりなんかする。攻めてくると「いらっしゃい」なんてことを言って、ダダダダッてやられると「シェー!」なんて言って死んで、拍手がきたりなんかしてね。で、攻めて来たほうの司令官が国会で演説する。「日本人よ。真面目にやれーッ!」ってね。そうすると「いいね。真面目にやるなんざあ、今どきいいですな。サインしてください」結局、あきれけえってみんな引き上げちゃったと。ただね、たしか、その間に経済だけはちゃんとしていた、という一文があったはずなんです。これ面白くてね。経済だけはその間ちゃんとしていた。そうなると経済ってのはそんな程度のもんで何とかなるんじゃないかって気がしてね。これは石原(慎太郎)にも言ったジョークなんですが、地方から来たのが都庁を見てこう言う。「すごい建物ですねえ。こん中でどのくらいの人が働いてんですか」すると「多くとも半分以下だろう」と返って来る。知事は「その通りだ」っつってましたけどね。半分以下もいねえっつてたかな。何とか持ってるんだ。仕事をあんまり欲しがらない連中は、何とかやって半分以下の働く側に入ろうと思わない。そこに入ったら大変だ面倒だって思って敬遠しちゃうのか、それとも半分は遊んでられるはずなんだけど、どうも遊んでられる様子でもねえからっていうんで入ったら辞めちゃうのも出て来てると。一流企業でも、もうそうなってるんじゃないかと。革命とおんなじようなもんで、5,6人いりゃいいんで、あとの半分以上の奴らは、その程度なんじゃないですか、会社ってのは。
伊集院:まあ、フンコロガシみたいなもんでね。自分の体の大きさの時はコントロールできていろいろやるんだな。そのうち段々と大きくなってくると、他のフンコロガシが手伝ってくれるんだね。ところがね。ある許容を過ぎるとダーッと下がって行くんだね。あわてて追いかけて行くんだけども、あんまり大きくなりすぎる自分だけで処置のしようがないらしいんだ。おそらく、そういうような感じに日本は今なっとるんだろうと。ファンドの連中もやってることはおんなじもんで、儲けるのはどんどん儲けたほうがいいに決まってますけど、最後は糞のところでとどまっていられりゃあいいと思うだけで。
談志:転がっちゃうか。
伊集院:でかいフンコロガシ狙ってる他の生き物がきて、パッと食べられちゃうオチじゃないかっていうね。そのときに、私はなるだけ離れておきたいなと。同じフンコロガシとしては。違うところから、「あ、あいつは食われたか」っていうね。ただ、一番最初の話の戻しますと、どうもあんまりよくないって師匠がおっしゃったのは、その糞の大きさみたいなのが根っこにあるんじゃないかと。なんでひっくり返るのか私はわからないけれどもね、今ある状況が、地震なのか、何だか分からないけれども、ころっとひっくり返ることをどうも予期なさっているんじゃないかと。武田泰淳が上海のフランス租界かどこかにいたとき、中国の千年を超えた歴史、文明、文化が一夜でつぶれた。日本軍がドーンときたらいっぺんでつぶれちゃった、と。文化とか文明なんていうのは一晩で壊れるんだ。なんだ、そういうことだったのかっていう事を書いているんです。私はそれに非常に驚いたんですがね。大体においがするんじゃないですかね。これは変だなという。それをにおえる人たちだけが、ちょっとあんばい悪いんじゃないかっていうね。ただ、こういうところに結論を持ってくると「暗い対談だったなあ」って話になるんですが。
談志:ウソか、ホントか知らないけど、ウナギ飼っとくと、一割のストロングなウナギができるんだってね。あとは弱いんだって。で、その一割引き上げちゃうと、またそん中から一割出て来るって言うんだね。そうすると、なんだ一割いりゃあいいのかってことになってきて、その一割がファンドのフンコロガシがでかくなっちゃうようなやつでなくてね、ちゃんとした一割にしなけりゃなんねえなと。
伊集院:任せときゃいいんだと。
談志:ちゃんとした一割がどこにいるのかっていうのが問題なんだろうけども、まあ、世界中で誰か強いのがいりゃ、日本もなんとかそこでくっついて九割のウナギで食っていけるのかってね。
◎いてくれるだけでいいいよ:
俺も会社にいた時、そう言われたことが2回ある。ただし、それは「アンタが口を聞くとロクな事を言わないから黙ってろ」というニュアンスであった。黙って口をへの字にして腕組みかなんかしてると相手がビビる、という感じかな?
◎あと数年のうちに:
この対談が行われたのが2006年。村上ファンドとかホリエモンなんていう訳の分からぬ輩が飛び出してきた。2008年リーマンがあって民主党が政権を取り、2011年大地震があって再び自民党が政権を取り返した。これらをもってフンコロガシの糞が転げ落ちて、「ホントの仕事」をする人たちが報われるようになったか?いやまだだ。
◎今、仕事と言ってるのは仕事じゃない、カネは重さである、仕事場だけ欲しい
仕事をあんまり欲しがらない連中は、何とかやって半分以下の働く側に入ろうと思わない。そこに入ったら大変だ面倒だって思って敬遠しちゃうのか、それとも半分は遊んでられるはずなんだけど、どうも遊んでられる様子でもねえからっていうんで入ったら辞めちゃうのも出て来てると。
ホントの仕事(=働く):衣食住というか、生きるのに必要なモノ、コトに関わる事。
ウソの仕事:カネを生きることに必要と勘違いしてカネ欲しさでやる事・・・最近の若者は、カネをたくさん得られそうな会社・ポジション(談志師匠に言う「仕事場」)にいることが生きることに必要と勘違いして転職する。
大昔の様にカネを大きな石にするってのはカネは生きるのに必要ない、と思い出させる。
さて、生きるのに必要なモノ、コトに関わるその仕事の大きさを何でどうやって計るのか?今は、「自由」が行き過ぎて、その尺度、ものさしがカネになってしまっている。これじゃあ矛盾しているし、疎外される人がたくさん出て来るし、格差が広がるばかりだ。
かと言ってお役人や政治家が決めるってのは不自由だ。適当なものさし、尺度は誰がどうやって作るのか?「自由」では駄目だ。共産主義や社会主義でもダメそうだ。マルクスの言った「能力に応じて働き、必要に応じて報われる」ってのは非現実的な空想か?
コロナで少しは仕事ってのは毎日会社に行って仕事するふりをすることじゃない、という事、だから都会に住む必要もない、という事に気づく若者が現れたのは良いことだ。
最後の談志師匠の「ちゃんとした一割がどこにいるのかっていうのが問題なんだろうけども、まあ、世界中で誰か強いのがいりゃ、日本もなんとかそこでくっついて九割のウナギで食っていけるのかってね。」これが今の俺の考えに近い。有為で優秀な若者が日本を見捨てないで政治家や官僚になってくれれば…戦争に負けてアメリカに肝を抜かれた日本よ、どこへ行く?そそろそ肝が生えてきてもい頃ではないか。それがダメならアメリカの次の「誰か強い」のを捜すべきか?
いっそのこと、小松左京作品にあるように、「与太郎国」になるか・・・平和憲法の国なんだから。
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