笠信太郎「ものの見方について」より

笠信太郎さんの「ものの見方について」は昔、教科書に載っていたような気がする。読み直してみると面白かったので以下、紹介:この文章が書かれた1950年当時、戦勝国としてしたたかに生き残ったイギリスの自由や民主主義が、明治生まれの文化人?である笠信太郎や長谷川如是閑にとっては、直接戦って強さを実感し、また占領されてその実態を肌で知ってしまったアメリカとは違う、まぶしい憧れの対象であったように思う。 

人間中心

しかし、バランスの取れた考えを持つということは、それがいかに偉い人間の頭脳の産物であっても、他人の手で出来上がった考えや学説を、そのまま鵜呑みにし、それに帰依してしまったのでは、できにくいのであって、あくまで自分が自分の考えの主人であり、考えの支え主でなければできないことである。またその考えは、釘止めされて固定したものではなく、現実の発展に伴って、自分と一緒にいつも「歩いて」いなければならぬ。足が一つの所にとどまっていては、現実の方は発展するから、その現実の動きを取り入れることが出来ない。それでは、現代の思想としてはプロポーションを欠いたものになる。1900年頃の自由主義の思想が、そこにとどまって、今日まで「歩いて」きていなかったら、今日の大きな現実である社会主義的な事実は考えの中からスッポリぬけてしまっていたであろう。それでは現代イギリス人の考えとしては、均衡の欠けたものとなる。そこで、昔の王党トーリーが、イギリスでは2世紀を越えて今日まで「歩き」つづけてきて、今日の保守党となっているわけで、途中で参らずに、その立場なりに今日生きて行ける所以である。それは思想の保持者が一つ所にとどまらずに、「歩いて」きたからであり、歩きながら周囲を見回して、「考えて」きたからである。そこに、思想が直接にその人のものであるという意味で、人間中心という関係が出て来る。ある一定の固定した「思想」が中心でなく、動いている「人間」が中心で、人間が思想を支えているのであって、反対にある一定の固定した「思想」が人間を支えているのではないという関係が出て来る。ある一定の思想で人間が支えられている場合には、その人間に思想の自由はないが、人間が色々変化し発展する現実や色々の学説の中から、それそれの重みを見分けて自分の思想を作って歩く場合には、はじめて人間の自由があり、ほんとうの意味で思想の自由があるということになろう。

妥協と言うこと

この思想の自由があて、はじめてイギリス人のいわゆる「妥協」ができるということになる。「妥協する」ということは、我々日本人の慣習では、何やら節操のない態度や、自己を裏切るようなことを連想させるし、ドイツやフランスなどでも、やはり自己の敗北を意味するような節があるが。イギリスではそうではなく、すこぶる積極的な意味がもたらされている。「わたし」と「あなた」とが妥協できるということは、それによって自分が敗れるのではなく、相手を満足させ、相手との調和を取り、自分も相手も一歩前進することができるのである。これができるのは、自分という人間が思想の主人公であるからであり、またその思想はたくさんの側面をもち多角的であるからである。自分の考え方や自分の思想が、多角的であるから、その一角を切り捨てることによって相手方と妥協しても、それによって自分の思想が破綻をきたすということにはなかなかならない。元々個別的に存立するバラバラの思想を自分が中心となって繋ぎとめているのであるから、それらの思想のなかの一部分を切り捨てることは、必ずしもむずかしいことではない。その思想を繋ぎとめているものが、何か自分から離れた客観的な「論理」の糸というようなものではなく、実は自分自身であるから、何か自分が承知なら、その思想をある程度まで修正することはできるはずである。これは勢い、同じ生活圏にある者の間には、だいたいの共通の考えが成立する所以でもあろう。それとは違って、論理の網の目で張り回されて身動きならぬように固定した思想が、逆にわたしを捉えているのであったなら、相手とこの妥協をやるのは、容易なことではない。これが、イギリスで、妥協のできないということがよくないとされている所以であって、イギリスの政治家が妥協を政治上の徳と見る所以でもある。ラスキーはなどがスターリンを評して、その頑強な非妥協的な態度を救い難いものと評している理由であろう。イギリス人から見ると、そこに思想を枢軸としない社会、相手をも含めた全く人間中心の社会があるわけであり、そこに、理屈倒れの観念的な自由ではない、実質的な自由が、成立するのである。

イギリスの「自由」

こういった「自由」は、ドイツにもなければ、フランスにもない。ドイツの自由については詳しくはあとで述べるが、それが個々の人間から離れた、いわゆる「ドイツの秩序」のなかに包含され、その秩序が維持される限りにおいてそこに個人個人の自由があるというふうにみられると見られるとすれば、フランスの自由は、直接に個々の人間に結び付き、個々の人間によって主張されるべきものではあるが、そこには自分と同じように自己の自由を主張する他の個人との間の調和が、十分には予定されていない。そこで、フランスでは、個人個人が自由を主張する結果が、十八世紀この方、目立って社会的な闘争の形を生んできているし、それがしばしば産業的活動をはばむような結果にもなってきているが、イギリスでは、その自由が社会的な摩擦となることが少なく、むしろ社会の展開の動力となっている。ドイツ人は、自由を求めて動き出す場合にも、どこか観念中心といったところがあって、自分のことは忘れて、思想で決められたまま、もっしぐらに歩き出し、そして壁にぶち当たってはじめて気が付くというふうであるが、イギリス人はあくまで思想や観念を排して人間中心で行こうとするのであるから、従ってその人間関係をうまく舵取って行くということが、すこぶる重要な関心事になって来る。このイギリスの自由とそれをめぐっている人間関係は、イギリス人の平成の言葉使いにもよく現れている。直接の部下でもない限りは、イギリス人は決して、こうせよ、ああせよ、と命令するようには言葉を使わない。May we suggest to you that you may perhaps wish to do such and such a thing ?(かくかくのことを多分あなたがなさりたいだろうということを、あなたに暗示いたしてもよろしいでしょうか?)といった回りくどい表現は、どんな場合にも、事柄は各個人のそれぞれの意志が結局に於いて決定するものだという「自由」の形式を厳格に守ったものだと見てよいだろう。人間と人間との関係をうまく舵とって行く行き方は、そういうわけでイギリス人に独特なニュアンスをなしている。被圧迫者に対しても、イギリス人は少なくとも表面上それが人間でないかのようには振舞わない。むろん時には、それが形式だけに流れ、腹の中は違う、という場合がないとは言えまい。しかし、形式としては、他人の自由意志をまず考慮に入れて、いわば人権を立てた形をとる行き方であって、それはイギリスの植民地支配を成功させていた一つの要諦でもあったとも見られよう。

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自分が自分の考えの主人、自分という人間が思想の主人公、だいたいの共通の考えが成立する:妥協できるのは、相手(自分以外の人)もまた、自分同様、借物や流行りものの思想でなく、自分の頭で考え抜いた思想の持主である場合のこと。そうであるなら、相手(自分以外の人)ともだいたい共通の考え=常識が成り立ち得る

スターリンを評して、その頑強な非妥協的な態度:ロシア人は、自分が自分の思想の主人ではない。父親や偉い人、強い人が自分の主人である。スターリンのように皆の主人、強い父親を演じなければならない人は、頑なになる。ロシアに限らず、日本においても、ロシアと同様で、主人のつもりの人は頑なで非妥協的になる。議論や妥協が成り立つためには、自分だけでなく、相手も「自分が自分の考えの主人」であるという信頼が必要だ。

事柄は各個人のそれぞれの意志が結局に於いて決定するものだという「自由」:いわゆる「自己責任」。この自由が徹底すれば不公平となる。自由と公平のせめぎあいが始まる。

植民地支配:イギリス人は植民地の人間を”人間”と見ていたのか?少なくとも奴隷は人間とは見ていなかったと言える。日本人捕虜は人間と見られていなかった、という元捕虜の証言がある。ただし、イギリス人は動物でも動物愛護の精神で大切にする傾向がある。


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