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嗚呼、大瀧詠一!

 わがYouTubeが大瀧詠一の歌う「うれしい予感」を繰り返し再生する。くせになる。ふと、「御本家」の”ちびまる子”版の渡辺満里奈を聞くと、やっぱり、渡辺満里奈の方が断然いうまい。 上さんは大瀧詠一の歌うバージョンの方が味があっていい、と。 本当に大瀧詠一って面白え!どうもコーラスに大瀧の声が・・・COPILOTによれば、以下: 作曲・プロデュース:大瀧詠一 コーラスアレンジ:山下達郎 シングル版:男性コーラスあり(大瀧詠一参加) 

嗚呼、日本人の民主主義!

文春に山根基世が以下(10月8日付け)・・・山根さん、うまくてずるい。こういう風に書かれちゃあ、「上皇様夫婦推し」にならざるを得ない。 (前略)印象深いのは、1975年、初めての沖縄訪問です。7月の酷暑の中、お二人は「ひめゆりの塔」を前に戦争体験者のお話に聞き入っていらした。したたる汗を拭くこともせずに、じっと。  そのご夫妻に向かって火炎瓶が投げ込まれました。騒然とする中、動揺もみせずお二人は静かに、次の訪問地に向かいます。沖縄の怒りに直面したその日の夜、上皇さまは、事前に ご自身で考え抜いて書かれたメッセージ を発表されました。 「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが 長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていく ことをおいて考えられません」  悲惨な歴史を忘れてはいけない。沖縄のために、自分たちは生涯を尽くさねばならない。11回に及んだご夫妻の沖縄訪問には、並々ならぬ思いが込められています。  被災地の慰問のあり方も、ご夫妻によって大きく変わりました。それまでは、正座した被災者を前に、立ったまま励ましの言葉をかけるのが通例でした。1959年の伊勢湾台風の際、上皇さまはお一人で被災地を訪れました。美智子さまが妊娠中だったからですが、この時上皇さまはスーツ姿で立ったまま、被災者に労いの言葉をかけておられました。  それが変わったのは、 1986年に起きた三原山噴火の時です。立ち上がれない被災者を前に、美智子さまが「どうしたの?」と心配するように、屈んで膝をつかれたのです。すると、上皇さまも同じように膝をついて、被災者に語りかけられた。  当時、この光景を見て、 皇室の権威を貶めると批判する声 もあがりました。それでも、ご夫妻は自らのスタイルを貫き通した。 そうせずにはいられない、お二人の温かい人間性 を感じます。(略)   ここ数年、私は子供たちの言葉を育てる活動をしていますが、目標は、 「自分で見て、自分で考えて、自分の言葉を語る」子供を育てること。それが、民主的な世の中を築くための第一歩 だと思うからです。これは、上皇さまの家庭教師・ヴァイニング夫人が最初に上皇さまの心に刻んだ教えでもあります。  どこにもお手本のなかった「象徴」。上皇さまは、ご自身で考え抜い...

朝日と毎日

 文春10月8日付け「新聞エンマ帖」に以下: >>俺の茶々 ★朝日と毎日の明暗  収入が右肩下がりになる中、メディアとしていかに存在感を維持するか。聞くところによれば、読売新聞は政治部の記者を増やした。SNSの発達で情報発信が民主化されたが、政治家へのアクセス権は以前と変わらない。ならばメディアの権限を政治報道に傾けるという。  9月の自民党役員人事・内閣改造の報道をみると、最大の焦点だった鈴木俊一幹事長の続投を他社に先駆けて報じるなど、読売が目立った。老川祥一主筆と高市早苗首相の極秘会談を踏まえた政権側の情報提供もあったのかもしれないが、「数の力」のローラー取材も効いたのだろう。  かたや朝日新聞や毎日新聞の政治部は減り続けているが、人事報道では明暗が分かれた。  まずは明。秀逸だったのは、 毎日 の9月17日朝刊三面の大型記事だ。首相が来秋に予定される自民党総裁選での再選を見据え、党内唯一の派閥を率いる麻生太郎副総裁に頼る体制を継続したが「双方の思惑含みの連携にはひずみも見られ、一枚岩とはほど遠いのが現実だ」と分析した。  この「ひずみ」の描き方がうまい。首相は「麻生氏の人事への関与について周囲に不満を漏らしつつも、その意向に配慮せざるを得なかった」。具体例として、 麻生氏が将来性を買う小林鷹之政調会長の続投を挙げ、「官邸側では小林氏を閣僚で起用する案も浮上していたが、小林氏からの続投希望を受けた麻生氏の後押しもあり、早々に再任が固まった。麻生氏にとっても、閣内より目が届きやすい党内の要職にとどめた方が、影響力を行使しやすいとの思惑もあった」 とした。「閣内より目が届きやすい党内の要職」といった細やかな表現で、高市氏と麻生氏との心理戦が読み取れる。  さらに、麻生氏と良好な関係にあり、茂木敏充外相にも近い梶山弘志総務会長の起用にも触れ、「党四役のうち幹事長、政調会長、総務会長はいずれも麻生氏と関係が近い布陣となった」と分析。これまで以上に党が「麻生色」になったことを明確に認定した上で「 首相と麻生氏は強い盟友関係というより、政権を取るという『打算』で結ばれた側面 が強いのは否めない」とした。この「打算」という記述も切れ味がいい。  毎日の記事の特長は、事実を漫然と並べず、その事実に補助線を引き、政権が抱える強みと弱みを構造的に分析している点である。記者の...

沖縄とイスラエルは似てるby與那覇潤

 文藝春秋Plusの対談動画で、與那覇潤が面白いことを言っていた。 イスラエルは長年差別され、ホロコーストの対象となった。それが今や敵対する周囲の国を攻撃し、大量殺人する。あたかも自分たちにはそうする権利があるかのように。それが行き過ぎて、彼らを差別したことを反省し、彼らに同情してきた国々を敵に回すようになっている。 沖縄は長年差別され、日本で唯一の市街戦まで行われた。その後も米軍基地とされ本土が1952年に”独立”したのに対し、1972年までアメリカ領だった。それが今やアメリカ軍基地に反対し、反対(抗議)活動において死人が出ても反省の色も見せない。あたかも自分たちにはそうする権利があるかのように。それが行き過ぎて、沖縄を差別したことを反省し、彼らに同情してきた人々を敵に回すようになっている。 アンナカレーニナの書き始め、「 幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である。」というくだりに関し、「幸福な家庭における”幸福”には、共通したものがある」と言う意味ではない、と。「幸福な家庭は『自らを幸福だ』と感じるところが似ているのだ」と。 コロナ対策で学者・専門家たちが「自分たちが正しいから言う事を聞け」という態度を取り、リベラル政権が同調したのが反発を呼び、リベラルの衰退につながった。 東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授が差別的な投稿をして、批判されると、謝罪ぜず、「分からない奴が馬鹿だ」、みたいな態度を取ったのがその典型。反権威・反差別を訴えるリベラルが実は権威的・差別的なのだ。

ムニエルという調理法を発明した人に感謝

 小ぶりの舌平目が2枚パックで300円。(もともと400円が夕方の安売りだ)これを2パック購入。当然ムニエルで。他の喰い方を知らない。 付け合わせもいつもの通り、マッシュポテトとレタス&トマトのフレンチドレッシングサラダ。これに、ガーリックトースト。 舌平目に塩コショウ。薄力粉を茶こしを使ってかける。バターを溶かしたフライパンで焼いてムニエルに。 マッシュポテトはインスタント。牛乳とバターをレンチンしたところに、フレーク状のマッシュポテトの元を加え、混ぜる。これで十分うまい。 みじん切りにした玉ねぎをレンチン。冷えたところでレモン汁、ワインビネガー、リンゴ酢、塩、胡椒、オリーブ油を加えてフレンチドレッシング。レタスを手でちぎり、トマトはくし切り。 舌平目のムニエル、実にうまい。俺は食い物って大きい方がうまいと思ってきた。大概の食い物は大きい方がうまい。この舌平目は小さいからどうかな、と思っていたが、そんなことはなく、実にうまい。上さんの言う通り、舌平目のムニエルって皮を食うものだ。この舌平目、皮の塩梅が実に良い。尻尾はそのままむしゃむしゃと食う。ムニエルって皮を香ばしく焼くための調理法だと考えると、大きな舌平目より小さい舌平目の方が体積当たりの表面積が大きく、皮が多くてムニエル向きだし、薄いから火の入りも早い。ムニエルを発明した人に感謝。

ワタリガニ安いぞ

 去年くらいから、国産と思われる大きなワタリガニを見かけるようになった。かつてはベトナムだか中東あたりの小さな貧弱なワタリガニしか売ってなかった。 国産の大型ワタリガニが今年は何故か安い。昨日、幅30cmくらいはあろうかという大きなワタリガニが3割引きで200円で売られていたから迷わず買う。ワタリガニクリームパスタだ。100ccの生クリームも買って準備。 ワタリガニは適当に解体。半分に割って、食えそうもないところは外す。足は包丁でたたいて割る。ミソは別に置いとく。 フライパンににんにくのみじん切りを投入し加熱。香りが出たら缶入りトマトをぶっこんで煮詰める。 別のフライパンににんにくのみじん切りを投入し加熱。香りが出たら解体したカニを投入。ブランデーでフランベし白ワインで酒蒸しに。 スパゲティーが茹で上がる直前に、トマトソースにカニミソを入れて加熱し、次に生クリーム投入。最後にカニの酒蒸しも投入。塩で味付けしたらソース完成。 久しぶりに食ったがやっぱりうまい。大きなワタリガニは腹の肉が結構食べ応えあり。足も少しは肉が入ってる。(小さなワタリガニは出汁と香りだけで肉なんて食えなかった) 閑話休題: レシピにカニの甲羅をスパゲッティと一緒に茹でろ、とある。その通りにしたが赤くなった甲羅をどうすればいいんだろうか???スパゲッティーの上に乗せて飾るのかな?

保坂正康「秩父宮と昭和天皇」

 1938年の西園寺の言葉「まさか皇室の御兄弟にかれこれ言うことはないけれども、しかし取り巻きの如何によっては、日本の歴史にときどき繰り返されたように、弟が兄を殺して帝位につくというような場面が相当に数多く見えている。かくの如き不吉なことは無論ないと思うけれども、また今の秩父宮とか高松宮とかいう方々にかれこれ言うことはないけれどもあるいは皇族の中に変なものに担がれて何をしでかすか分からない・・・ >>226事件の時など、秩父宮が陸軍に担がれて昭和天皇に代わって天皇になろうとしている、などという噂があった。(保坂はこの本では秩父宮自身にはそんな気はなかった、陸軍が秩父宮を利用しようとしてそういう噂を流し、それを昭和天皇も信じていた節がある、とする)万世一系が聞いてあきれる。親子兄弟で殺し合っても皇統は続いているって???国民はそれを知った上で万世一系とか言う天皇の皇統をかけがえのないものとするか???天皇が偉いのは万世一系じゃあない。権力など振りかざさず、ひたすら祖先神に国民の幸福を祈り、それがまあまあいい結果をもたらしているからだろう。 東条と対立関係にあった石原莞爾は昭和15年8月の東条人事によって予備役に追い込まれ、陸軍から追われてしまった(略)もし秩父宮が参謀本部にとどまっていたら、これらのほとんどのことに天皇の直宮として異を唱えたであろう。特に北部仏印進駐には、対英関係を重視する考えから決して容認しなかったに違いない。(略)戦後、石原莞爾は「秩父宮殿下が疾病に倒れなかったら大東亜戦争は起こらなかったかもしれない」と語った。 >>この本では東条は悪者、昭和天皇もその東条をコントロールできなかった無能者という描き方。これには違和感を感じるが、秩父宮を正しくて良い者と描こうとするとそうならざるを得ないか? (日米開戦の直前、)勢津子妃の意を受けて、加瀬はふたりの大使に会いに行った。その折の模様を加瀬が近衛文麿と細川護貞との三人の会食の席で披露したと、細川護貞「情報天皇に達せず」の中に書かれている。加瀬がアメリカ大使館に行くとグルー夫妻は衣服を着替え起立した上で宝石箱と勢津子妃から託されたメッセージを受けた。グルー夫妻はしばらくは顔を上げなかった。涙を流していたのだ。グルーは加瀬に「日本皇室の殊遇に対し心から感謝する」と言った。グルーは日米交換船でアメリカに...