文春に山根基世が以下(10月8日付け)・・・山根さん、うまくてずるい。こういう風に書かれちゃあ、「上皇様夫婦推し」にならざるを得ない。 (前略)印象深いのは、1975年、初めての沖縄訪問です。7月の酷暑の中、お二人は「ひめゆりの塔」を前に戦争体験者のお話に聞き入っていらした。したたる汗を拭くこともせずに、じっと。 そのご夫妻に向かって火炎瓶が投げ込まれました。騒然とする中、動揺もみせずお二人は静かに、次の訪問地に向かいます。沖縄の怒りに直面したその日の夜、上皇さまは、事前に ご自身で考え抜いて書かれたメッセージ を発表されました。 「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが 長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていく ことをおいて考えられません」 悲惨な歴史を忘れてはいけない。沖縄のために、自分たちは生涯を尽くさねばならない。11回に及んだご夫妻の沖縄訪問には、並々ならぬ思いが込められています。 被災地の慰問のあり方も、ご夫妻によって大きく変わりました。それまでは、正座した被災者を前に、立ったまま励ましの言葉をかけるのが通例でした。1959年の伊勢湾台風の際、上皇さまはお一人で被災地を訪れました。美智子さまが妊娠中だったからですが、この時上皇さまはスーツ姿で立ったまま、被災者に労いの言葉をかけておられました。 それが変わったのは、 1986年に起きた三原山噴火の時です。立ち上がれない被災者を前に、美智子さまが「どうしたの?」と心配するように、屈んで膝をつかれたのです。すると、上皇さまも同じように膝をついて、被災者に語りかけられた。 当時、この光景を見て、 皇室の権威を貶めると批判する声 もあがりました。それでも、ご夫妻は自らのスタイルを貫き通した。 そうせずにはいられない、お二人の温かい人間性 を感じます。(略) ここ数年、私は子供たちの言葉を育てる活動をしていますが、目標は、 「自分で見て、自分で考えて、自分の言葉を語る」子供を育てること。それが、民主的な世の中を築くための第一歩 だと思うからです。これは、上皇さまの家庭教師・ヴァイニング夫人が最初に上皇さまの心に刻んだ教えでもあります。 どこにもお手本のなかった「象徴」。上皇さまは、ご自身で考え抜い...