原武史「日本政治思想史」

昭和維新は、「日本国は、他の国と違い、万世一系の天皇が仁政を行い、国民は皆幸せに暮らす国」であるはずなのにそうなっていない、という不満、疑問から発した。仁政が行われないのは、天皇の取り巻きが悪い(君側の奸)か、天皇自身に徳がない、と言う事になる。「戦後民主主義」で教育された俺は、昭和維新は単に、貧困にあえぐ人々を放置した政治家や官僚に対する絶望が原因、と考えて来たが、それは正しくなくて、天皇制の理想が行われていない、という現実に絶望したのが原因だ。

上述の昭和維新の発想は、ピーターティールの思想に近いところがある。つまり、間違いを犯さないない神様のような人による正しい政治が行われるのが理想なのに実際には行われていない、という絶望に発することだ。

大正天皇の后、貞明皇后は昭和天皇の「洋風」なところが気に入らなかった。終戦の御聖断が下る直前にも日本の勝利を祈っている。「秩父宮の方がお気に入りだった」という説があるのもうなづける。こんな姑がいたら、昭和天皇の后(香淳皇后)は大変だったろうな。美智子妃の比じゃあなかったんじゃないか?1951年貞明皇后改め節子が死去すると、香淳皇后の外見に変化が生じた。着る服は専属のデザイナーのものになり、パーマもかけるように。

北一輝は「万世一系の我が国体においては主権は天皇にありと一貫す。是れ、少しも解釈にあらず、万世一系の天皇に主権が所在するがゆえに主権は天皇にありというものなり。」…問答無用。分かる奴には分かる。

「国体」は、「万世一系」の天皇を統治の主体とする概念ではあっても、言説によって教義や世界観をはっきりと定義することができず、「君民一体」の空間を通じて視覚化されることで身体ごと実感されるものであった…国体護持のため、多くの年中行事が行われた。日本の植民地支配も、植民地の臣民が、その行事に同じ時間に天皇と一緒に参加している、という一体感が君民一体を演出した。この時、天皇は言説を弄さなかった。天皇制は言説でなく、視覚による支配だった…「俺の背中を見ろ」「俺から盗め」と同根。昭和の会社でも多くの社内行事を行って社員に余計なことは考えさせず、「一体感」を演出しようとした。

視覚による天皇支配は、平服の大柄なマッカーサーの隣で直立する貧弱な体で礼服を着た天皇の写真で覆った。

子いわく、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。之を道びくに、徳を以てし、之を斉(ととの)うるに礼をもってすれば、恥じありて且つ格(いた)る…正しく美しい行動様式や音楽によって民を感化する政治の方が、言葉によって法を定め違反者を権力で罰する政治よりも優れている…

儒教では政治は上(天子)からの支配だが、近代天皇制では政治が下(臣民)からの奉仕としてとらえられる。下からの「献上事」を上が「聞し召す」、つまり受け取ることで両者の一体感が生まれる。そして天皇自身も皇祖神に献上する。

住宅を爆撃で破壊された日本とソ連は戦後「団地」と団地~都心を結ぶ鉄道網を作った。日本の団地では家電の普及により暇になった主婦が政治活動に励むようになる。亭主は会社に通って働く。古代ギリシャでは、女が家で働き、暇な男は政治活動をした。この団地に共産党や創価学会が入り込んだ…母親の息子を兵隊にとられるのは嫌だ、という感情を政治的に利用して「平和」を切り口とした。

昭和天皇は、神道を捨ててキリスト教に改宗することを考えていたのではないか?…キリスト教系の教育を受けた美智子妃の選択もそういう文脈でとらえるべき…皇太子・美智子婚約には香淳皇后を含む女性皇族は美智子は平民でありかつ、カソリック教育を受けている、と反対した。三島由紀夫は美智子と見合いして断られた、という説がある。そしてそのことが戦後の皇室批判につながったという俗説も…

出雲大社の千家尊福(せんげたかとみ)は、復古神道を大成した平田篤胤の思想を受け継ぎ、生前の世界である「顕明界」は天皇が治めているのに対し、死後の世界でありる「幽冥界」はオオクニヌシ(大国主)が主宰しているとして、前者に対する後者の優位を主張した…人は死ぬとオオクニヌシによって生前を調べられ、地獄に行く者と天国に行く者に分けられる。天皇もその例外ではない…1880年の段階で、対立する「伊勢派」から「反国体」のレッテルを貼られた。

大本教は、スサノヲが日本を治めるはずだったのに、アマテラスが孫のニニギを降臨させて奪い取った、と考えた。大本教の教えでは、女の御世継ぎがよい、と。そうしておけば、腹から腹へ伝わっていくのだから、その血統になんの間違いはない。もし男子の世継ぎとすれば、一方の妻の方にて夫に知らさず第二の夫を拵(こしらえ)えていた場合、その生まれた子はどちらの子か分からぬ、と…当然大本教は弾圧された。

幕末、日本近海に現われた西洋の外圧が日本の国という国家意識を呼び起こし、水戸学者・会沢正志斎の「新論」を産んだ。

朱子学には万物にそれぞれの本来のあり方を意味する「理」があるとするが、日本ではこの理が嫌われた。現実の成り行きに抵抗することはできないという無常観が支配的だった。

丸山真男は世界の神話にある宇宙創造の基底に「つくる」「うむ」「なる」という3つの基本動詞があるとし、「つくる」論理の磁力が強いために「うむ」が「つくる」に引っ張られるユダヤ=キリスト教系列の神話に対して日本神話では「なる」論理の磁力が強く、「うむ」を「なりゆく」過程に引きこむ傾向がある、とした。

日本語の「自然」と中国語の「自然」や英語のネイチャーとは異なります。丸山は「もちろん、漢語の自然が人為や作為を俟たぬ存在だという意味では、”おのずから”の意に通じている。けれども、英語や中国語では物事の本質、あるべき秩序というもうひとつの重大な意味があるのに対して、「おのずから」はどこまでもおのずからなる、という自然生成の観念を中核とした言葉であって、事物の固有の本質と言う定義にはなじまない。」と言っている。

あるべき理想を目的としているわけではないので、結果として不断に連続する「いま」を肯定して行くことになる。

富永仲基は「今の文字を書き、今の言を使い、今の食物を食らい、今の衣服を着、今の調度を用い、今の家に住み、今の習わしに従い、今の掟を守り、今の人に交わり、もろもろの悪しきことを為さず、もろもろのよきことを行う」ことこそが「道」であると。

「進歩」は未来の理想実現を目指すのに対し、「進化」は究極目標は無く、時間軸で言えば過去も未来もなく、「いま」が無限に継起し続けることになる。



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