吉野源三郎「平和への意志」

 吉野源三郎「平和への意志」より:

「平和への意志」は、1946年1月号から岩波書店から出された月刊雑誌である「世界」の編集人、吉野源三郎が「世界」にまえがきや編集後記として書き残した文章を綴って一冊の本にしたもの。1946年は、新しい憲法が論議され、解放感・自由感が溢れていた。それが冷戦が始まり、国連が怪しくなって、憲法9条と対になっていた国連軍による安全保障も怪しくなり、「世界」に掲載された全面講和すべしという意見は無視され、単独講和となり、米軍が駐留し、1952年の総選挙では吉田ドクトリンに反対するリベラル政党の応援をしたが、吉田自由党はかとうじて過半数議席を維持した…。ついに1954年自衛隊が誕生するに至り、悲観的というか投げやり・シニカルになりそうな気持を奮い立たせて読者よ、日本人よ自分の頭でじっくり考えてくれ!という嘆きとも叫びともつかない文章が増えていく。ここに、戦後日本のリベラリズムの高揚と挫折がみごとに描かれている。今の野党は、吉野さんが書き残した「古証文」を後生大事に引用しているケースが多いが、それに共感する日本人は急速に少なくなった。

今にして思えば、1950年の全面講和論で盛り上がった時期が日本のリベラルの絶頂期ではなかったか?全面講和が果たせず、やや投げやりになったリベラルは、一部が過激化する。そして1960年安保闘争に負け、投げやりが失望・絶望に変わって、1970年前後の過激派の反体制活動に至って世論の支持を完全に失う。(そのなれの果てが沖縄あたりで基地反対運動をしている)

朝日新聞の高橋純子などが、したり顔、Woke顔で自民党政策を正面から非難・批判するのでなく「どうなってるんでしょうねぇ」みたいな記事を書くのも、この吉野さんの嘆きとも叫びともつかない文体・スタイルの真似ではないか?よく言えば、自分の意見を正直に表明して読者自身が自分の頭で考えるのを邪魔したくない、ということだろう。悪く言えば、「アンタはどう考え、どうしたいの?ハッキリしろ!」だ。ご本人も十分に自覚していると思うが、もう「オールド」なんだ。

以下抜粋。

1946年1946年6月号 編集後記

言論はいま、かつてなく自由である。どんなラディカルな言説も、そのために迫害を被る恐れはない。このことは国民の政治的活動と思想の生長とにとって、それこそ建国以来前例のないよい条件である。しかしまた、それだけに言論は今までとは別な大きな責任と課題とを負ったと思う。ラディカルな立場、いや単に穏健な自由主義の立場からの言説でさえも、直ちに狂暴な弾圧危険を冒さずには発表できなかった時代にはそれらの立場からの言説は、ただそれだけでもこの不当な強圧に対する抗議としての意味を持ち、またそれが敢えて危険を冒して発言されることによって思想を裏打ちする誠実を実証することができた。ところが、こういう圧迫や迫害が除かれた今日では単に進歩的な立場に立つというだけでは、あるいは単にもっとも急進的な見解を代表するというだけでは、言論は自己の権威をうちたてることができない。立場や傾向だけで思想家の存在意義が認められた時期は去ったのである。かつては荒れ狂う弾圧の下に進歩的な傾向を堅持しているだけでも容易な事業ではなかったが、併しまたそれによって思想はかえって「人に訴えて」自己を立証する途を持った。だが、今日ではそれが望めない。スターリンがトロッキーを非難していったように、革命が攻勢を取って進行している時期に勇敢に戦うことは困難なことではなく、「こういう時期には最も遅れた人間でも英雄になれる」のである。民主主義革命が強力な庇護の下に進行している今日、民主主義的立場に立つことは、それだけなら難しいことではない。従ってそれだけでは人に訴えることはできないし、大衆の信頼を獲得することもできない。進歩的な立場と傾向とをもって登場する言論は、与えられた自由の下に、新たな権威を打ち立てるため、今までとは別な覚悟を必要としてるようである。・・・このことは雑誌の編集についても同様であると思う。私たちは編集の方針を進歩的に保つだけではなく、それから先の努力によって、この雑誌の存在を確立してゆきたいと思う。

>>スターリンだ、トロッキーだなんて名前が飛び出すと、ギョッとする。吉野さんに言わせれば、ソ連の政治家だって公平に取り上げるべきだ、と言う事だろう。彼は「進歩」を信じていた。(吉野さんに限らず、沢山の人が進歩を信じていた。それが当たり前だ、と)でも、吉野さんが後に絶望するように、日本人は環境変化に応じて進化はできても、普遍・不変の目標に向かって進むという進歩はできなかった。

1946年10月号 編集後記

連合軍総司令部から治安維持法その他の弾圧法令廃止の指令が出たのは、昨年10月4日のことであった。終戦にはなったものの、この日まではまだ何一つ活発な政治的運動は見られなかったのが、この日を期して、日本の社会は俄かに動揺し始めた。様々な政治運動が急速に延び始めるのと同時に、労働運動も堤を切った水のようにたちまち全国に広がり、旧い制度に対する批判的言論も漸く大胆さを回復した。10月4日という日は、振り返ってみると、終戦後の日本に一つのハッキリした時期を画した忘れがたい日である。そして1年たった今、新たな憲法が議会で審議され、9月の貴族院では国体が変革されたか否かという問題を巡って盛んに論議が行われた。

1948年4月号 まえがき

世界を二つに引き裂く大きな地隙が陶器の表面に広がるひびのように世界地図の上に現われてくるとともに、国際連合の機能に対する憂慮と疑念とが至る所に兆し始めている。ギャラップの世論調査によれば、1945年日本の降伏直後に「われわれの生涯にふたたび大戦があると思うか」という質問に対し「あると思う」と答えたアメリカ市民は100人中38人であったのに、その後わずか1年で同じ調査は、米ソ両国の協力を可能とすると信ずるものが一人もなく、国際連合に満足を表する者は、全回答者の半数に満たないこと、また、65%に達する多数が「今後25年のうちにアメリカは再び戦争に巻き込まれるであろう」と信じていることを明らかにした。(略)だが一体、半世紀の間に二回までも世界的規模の戦争を経験し、あれだけ深刻な、あれだけ大量な悲惨をなめたあげく、その生々しい記憶の消えないうちに生まれて来た国際的善意・・・国際連合を生み出したところのあの善意・・・も、わずか2年で阻喪していくようなのであったのだろうか。(略)この疑問に対して、ここに紹介するアインシュタイン、バートランド・ラッセルの二つの論文は、力強い回答を与えてくれる。共に「ユナイテッド・ネーションズ・ワールド」に掲載されたもので、読者は、我々の時代の知性と良心を代表する人々の間に、情勢の悪化にもかかわらず、いや悪化しているゆえになお一層、平和を守ろうとする善い意志と課題を追って離さない熱意が強く燃えているのを認められるであろう。

>>これが書かれた1948年において既に、冷戦は始まっていて、不戦の決意はもうダメか、と悲観論が出て来た。これをなんとか抑えつけようと、「ユナイテッド・ネーションズ・ワールド」に掲載された、アインシュタイン、バートランド・ラッセルの論文を紹介している。このカタカナ言葉の羅列、連続がいかにも日本らしい。欧米では…「出羽の守」だ。アメリカ人も戦争に巻き込まれるって言うのか?アメリカ人なら戦争はこっちから仕掛けるものだろう。イスラエルに弱みを握られた大統領が戦争するのは「巻き込まれる」か?

1949年3月号 平和問題特集について

(略)われわれはまだ占領下にあって国際的な発言権ももってないし、また、敗北によって転落したわれわれの国際的地位と国力から言っても、今日当面の戦争危機に対して、われわれはほとんど何らの決定力を持ちあわせていないと言えよう。次の大戦はわれわれ日本人が起こそうとして起こせるものでもなければ、また、危機がいいよ切迫した上は、これを食い止めるようとして食い止め得るものでもないであろう。しかし、それにもかかわらず、次の大戦は、決してわれわれを局外において、われわれだけを平穏に残してくれるような形では進行しないであろう。また、その戦争の深刻さは、バートランド・ラッセルの言葉をもってすれば、全人類を荒廃の中に叩き込み、人類の歴史を原始的な段階まで逆行させるであろうとまで言われているのである。その意味では戦争と平和の問題は依然として我々自身の重大問題である。そして我々の力がどんなに微弱であるにせよ、およそ我々自身の運命に関する問題を回避してわれわれの自主性、われわれの独立はあり得ないであろう。このギリギリの自主性すら失った場合、そのときこそ我々は完全に亡国の民になるのである。(略)我々がその後入手した報道によれば、ユネスコ発表のあの生命そのものが、立場を異にした学者の間の非常に粘り強い努力の結果漸く到達されたものであるという。難点はアメリカの社会心理学者とマルクス主義者と双方から提出され、会議は最初の10日間殆ど絶望と思われる状態に停頓したが、なお平和への希望を捨てずに続けられた2週間の折衝によって、あの意見の一致を見たということである。このことは我々にとって、一つの明るい兆しをしめしてくれることではないだろうか。我々もまた善意の勝利を信じ続けたい。

>>戦争に巻き込まれる論の原点か?戦争に負け、一人前と扱われない日本だが、他国が起こした戦争に巻き込まれる…80年近くたっても、リベラルは、いまだに「戦争に巻き込まれる」と言う。俺には戦争はするもので巻き込まれるもんじゃあない、と考えており「巻き込まれる」という言い方は気に入らないが、「戦争はすぐ世界中に広まる」という仮説があったのだ。我々自身の運命って、当時の人たちが口癖のように言ってたんだろうね。政治家や軍人に任せていたら、ひどい目に遭った、というのがトラウマだった。自分たちの運命を”自分事”とし、意見の違う人とも”熟議”すれば道は開ける…これがリベラルだ。でも、これじゃあオールドと馬鹿にされる。俺は、政治家や軍人や役人の質を上げることを考える。まず、馬鹿にしないことだ。若者にとって、政治家や軍人や役人を憧れの職業にすることだ。

1950年4月号別冊「三つの声明」読者へ訴う

1945年8月15日、我々はすでに無意味に陥っていた抵抗を打ち切り、連合国に対して無条件に降伏した。それは10年にわたる暴虐の歴史の終末であり、日本の人民にとっては目前に迫っていた強制的自殺行為からの解放であった。同時にこの日は、全世界の人々にとっても、6年間にわたって地球を覆っていた戦雲がついに吹き払われた喜びの日であった。我々はあの日を思い出そう。廃墟の町に初めて電灯の覆いを取り去った夕べの、あの解放感、あの気の遠くなるような安堵感を、もう一度思い返そう。そのとき、われわれは戦争によってほとんどすべてを失い、生活は極度の貧困の中にあった。それでも、我々は平和な生活が取り戻されたというだけで、もう戦火がわれわれを脅かすこととがなくなったというだけで、あれだけ深く心を揺さぶられたでないか。それはただ我々一人一人が、自分の生命の危険を免れ得たというだけの喜びでなかった。われわれは年老いた近親や、いといけない子供たちの上を思い。、彼らが今や戦争の非人間的状態を脱して静かにその生涯を閉じたり、怯えることもなく、育って行けることになったことを、あれほど深く安らかな感じで喜んだではないか。人間が人間らしく生きて行けるための、なくてはならない条件としての平和・・・人間的生活の大きな可能性としての平和…を、われわれはあの日、実感をもって知った。そして、この実感は、国境を超え、皮膚の色を超えるあの普遍的・人間的共感と、一筋に通じ得るものであった。われわれは、またあの8月15日以後今日に至る4年8カ月の間に、我々がどうにか築き上げて来た一切のものを思い起こそう。灰燼のまだ残っている街に、小さな家が無数に立ち並び始めた。その小さな家の一つ一つに、どれだけの労苦が注ぎ込まれていることか。どれだけの切ない思いや辛抱が畳み込まれていることか。長い間眠らされていた平和産業の諸設備も、いまや、つまづきながらも動き始めた。その大小さまざまな工場に、4年余の歳月は、みな10年にも20年にもあたる苦闘の歴史を刻み込んでいる。そればかりではない。われわれは日本の社会に、それこそ建国以来始めて公然と民主主義の原則…人間尊重の原則…を打ち立てた。人民の一人一人に譲渡しがたい権利のあること、その一人一人の自由が何物にも勝って貴重であり、いかなる権威もこれを侵しがたいことが、われわれの社か生活の原理としてはじめて宣言され、初めて制度として打ち立てられた。

>>1945年8月15日、日本人は解放された。解放したのは連合軍だ。これ、GHQの洗脳によってそう思いこまされてるんじゃないか?アントニオ猪木は「元気があれば何でもできる!」と言ったが、「平和があれば何でもできる!」だ。COPILOTによればリベラルの主な意味1. 政治的な意味(一般的な定義):個人の自由や人権を尊重する(以下略)…だと。リベラルって、ここが難しい。国は二の次、三の次になる。ところが、国を守り維持しないと個人も自由もあり得ない。その後の日本のリベラルは、「国なんてどうでもいい(自民党に任せときゃあいい)」に落ちた。

これらの一切を、我々は改めて思い返そう。そして、われわれがいま置かれている状況を見直そうではないか。戦争の黒い影がまたも地球を脅かしはじめている。不吉な予感が全世界の民衆の胸を、またもや暗く圧しはじめている。戦争への準備…各国の軍備は、人間の科学的知識の精髄と、史上前例なき巨大な生産力とを動員して、またも唸りを立てて前進し始めた。われわれは、これをいわゆる「世界の大勢」として、抗しがたいものとして、ただ受け入れるほかはないのであろうか。かつて、我々の多くは、日本が満州に侵出し、中国を侵し、太平洋戦争に突入して行くのを、やはり抗しがたい大勢として見過ごさなかったろうか。われわれは再びあの大きな過失を犯したくない。われわれはむしろ、戦争と平和に対するわれわれのあの実感を、素朴に信じようではないか。そして、その実感の上に立って、われわれが極度に惨めな状態の中から漸くにして築き上げてきたものを再び戦火の中に投じるかもしれない一切の危険に対し、大胆に問いかけようではないか・・・「何故か何のためか」と。

>>抗しがたい大勢…無常観が染みついた日本人は、その時々の風の吹く方向にそよぐ。風にそよぐ葦だ。

およそ、我々自身道理に訴えて承服できることだけを承服し、道理に訴えて納得できない事柄に関しては率直に抗議する事・・・こういう気骨ある精神を我々民衆が備えることこそ、民主主義の根本的な前提ではないだろうか。説得によってことを処理して行くという民主主義的政治の原則も、このような民衆の存在を待ってはじめて効果を上げるのである。だからわれわれは、いま、われわれを再び戦火の中に巻き込むかもしれない世界的危機に臨み、われわれの民族の運命を1世紀…いや、数世紀にわたって決定するかも知れない講和の問題に直面して、やはりこの原則的態度を保持しようではないか。いまこそ、この自主的な精神をふるい起こし、かつて全国民の運命にかかわる問題の決定を、少数無能の政治家や無思慮の軍人の手に委ねてしまったあの過ちを二度と再び繰り返さないようにしようではないか。このことは、また同時に、長い間われわれの上にのしかかっていたあの野蛮な勢力を粉砕し、我々に現在の自由を与えてくれた連合軍と、連合軍を組織した諸国民との善意に対する、われわれの最も誠実な答えでもあるのである。

>>日本人よ、講和問題については無常観を捨てて、自分の頭で理想を考え、どうしたらその理想に近づけるのか考えよう!それが日本を解放してくれた連合国に対するお礼だ。→日本を解放してくれた連合国(アメリカ)の洗脳によって、大半の日本人は自分の頭で考えることができなくなった。政治家や軍人(官僚)を育てられなかったから日本は間違えた→その後、リベラルはメディアと一緒になって政府や官僚のすることを非難・批判するばかりで、有為の若者が政治家や自衛隊員や官僚になるのを妨げた。

われわれはなぜ再び戦争の暗い影におびえなければならないのか。我々の子供たちは罪もないのに、なぜもう一度あの非人間的な窮乏にさらされなければならないのか。我々の平和に対する、この切実な願いはどうしたら貫徹されるのか。この平和への希望が踏みにじられないためには、講和はどんなものでなければならないか。どんなものであってはならないか。これらの素朴であるが、それだけにまた困難な問いに対して、われわれは腹の底から納得の行く答を求めようではないか。「世界」編集部がここに、ハーヴァード大学オールポート教授以下8名の社会科学者による戦争原因についての声明と、平和に関する日本の科学者50数氏の声明と平和問題談話会の講和問題に対する声明とをあわせて読者にお贈りするのも、以上の問いに対する答えを見つける上に、一つの参考に資したいという考えからである。もちろん、3つの声明は、それぞれある一定の答えを与えている。しかし、その一定の答えを読者に強いることは私たちの本旨ではない。また、それは出版社の限界を超えるとも言われよう。むしろ、私たちの念願は、これらの声明が材料となり、日本のいたるところにおいて、今日われわれが直面している重大な問題に関する活発な国民的討議が行われることである。その意味で、今日最も考慮に値する言論を広く国民に伝えることは、出版に携わる者の一つの義務であると信ずる。

>>活発な国民的討議…最近、国会で行われているのは議論であって、討議じゃあない…COPILOTに「議論と討議の違い」を聞く。議論:自分の考えを述べたり、他人の意見を批評したりして論じ合うことを指します。目的は、意見交換を通じてより良い結論や理解に近づくことです。討議:特定のテーマについて結論を出すために、参加者が意見を出し合い、是非を検討するプロセスです。討議では、参加者同士が対等な立場で意見を尊重しながら、問題解決や情報共有を目的に進められます…つまり、議論は結論を出すことが目的じゃアない…最近国会で行われているのは確かにパフォーマンスだ。本来、結論を出そうとするなら「討議」すべきなんだ。かなり前から「討議」が使われなくなったのは、話し合ったって結論なんか出やしない、ということが自覚されてきたからか?とはいえ、国会で行われているのは議論ですらない。単なる「言いっ放し」だ。

1950年3月号に「講和問題についての平和問題談話会声明」を発表した後も、談話会は討論を進めていた。この年の6月に朝鮮戦争が始まり、とりわけ安全保障について「中立不可侵」の問題が論議の対象となっていた。この平和問題談話会の「三度平和について」は、討議を踏まえて同年9月にまとめられ、12月号の誌上で発表された。各章の表題及び文中の「こみだし」は次の如くになっている。第1章 平和問題に対する我々の基本的な考え方・・・「戦争は本来手段でありながら、もはや手段としての意味を失ったこと」「原子力戦争は、最も現実的たらんとすれば理想主義的たらざるをえないという逆説的真理を教えていること」「思考方法が平和の問題に重大な関係を持つこと」「問題提出の仕方によってその処理の方向が変化すること」第2章(略)米ソ両国とも極力全面衝突を回避しようとしていること「『二つの世界』をどう理解してもそこから武力的衝突の必然性は出てこないこと」(略)第3章 憲法の永久平和主義と日本の安全保障及び再武装の問題(略)…我々は一切の戦争が放棄されていると解釈する(略)日本の安全は、国際連合によって保障されること(略)

>>ここに、リベラルの皆さんが金科玉条とする中立不可侵(非武装中立)、戦争放棄の大前提が国連軍の存在であることが書かれている。さすがに最近、「国連軍に守ってもらえばいいじゃん」なんて荒唐無稽を言うリベラルはいなくなった。だけど、「日本は自衛のためでも一切戦力はもたなくていい、いざとなったら国連軍が助けに来てくれるんだから」はオールドを一周まわってむしろ新鮮だ。第9条を守れ、というならその前提たる「国連軍正義の味方論」も、捨ててはならぬ。つまり、国連軍正義の味方=荒唐無稽=戦争放棄だ。

1951年9月号 編集後記

この編集後記を書いている7月末日、朝鮮の停戦交渉は境界線の問題を巡ってまだ了解が遂げられず、解決の日も予測できないと言われているのに、一方、国内では講和使節団の構成で政党間の交渉がしきりに行われ、既に講和はただ調印とつづく批准の手続きだけが残されているかのようである。講和条約草案の内容に関する批評は・・・賛否いずれにせよ・・・少なくとも新聞で見る限り極めて不活発である。国民の運命にとってあるいは何世紀にわたって重大な影響を残すかもしれないこのような問題についてこそ、正に国民的論議は沸騰し、その論議を尽くして国民の総意が取り出されるのが当然であるのに。(略)講和についての論議は果して真実不活発なのであろうか。それほど国民はこの問題に無関心なのであろうか。それとも論議は各所に活発に行われているにもかかわらず、それが広く紹介されないのであろうか。(略)戦後極東裁判の審理をはじめとして、近衛公の手記や「木戸日記」「原田日記」その他夥しく発表された秘録を通じて、満州事変から太平洋戦争に至る政局の真相が初めて明らかにされた。国民は自分たちの運命を決定する重大な問題について真実を知らされないばかりか,誤った知識を与えられ、自己の判断と決意とによって自己の運命を決する自由を奪われていた。今度こそ、国民が自分たちの幸不幸の岐路に立った時、はっきりと自分の決断によってことを決することができるように…私たちはそう密かに念願してきたし、その念願は今も変わらない。もちろん、この種の雑誌でどれだけの効果が挙げられるか、私たちは決して大きな自負を持たない。しかし、党派的に一定の結論を押し付けられるよりは、国民の自主的判断を促しそれに資するようにという私たちの方針を、心ある読者はきっと支持し続けてくださると思う。

>>講和を巡って活発な国民的討議が行われるべきだが、行われない。失望・当惑。ところで、解放された日本人は今や、自己の判断と決意とによって自己の運命を決する自由を満喫しているか?今度はGHQの情報統制、洗脳によって、不自由を自由と誤解していただけではなかったか?

1951年10月号 読者へ訴う

(略)思えば、満州事変から中日事変を経て太平洋戦争に至った、あの悔いても追いつかぬ経過を通じて、今日われわれが最も残念とすることは、あのような重大事について、国民の大多数がその真相を伝えられず、その事件の真の意義を知らず、自己の判断によって自己の運命を決する自由を奪われていたことである。張作霖の爆死が一部軍人の陰謀による暗殺であったことも隠蔽され、中国から東三省を奪取した行動も、満州の民衆を中国軍閥の圧政から解放して王道楽土を建設する事業と美化せられ、満州国は独立の・・・然り、独立の我が盟邦として宣伝された。それ故にこそ、国民の多くは、中国の為政者から学生、労働者、農民に至るまで挙げて抗日の運動に赴いた理由も、その心理も理解することができず、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」という驚くべき名分の下に、中国に兵を動かす我が軍部に従っていった。暴力的な中国侵略も、「防共の聖戦」と信じ込まされ、限りない惨禍を全アジアに及ぼした太平洋戦争も、「白人からのアジア民族の解放」という美名に事欠かなかった。(略)荒廃した国力もまだ充分には回復されす、国際的には全く無力の状態にある。われわれは、このような無力の状態の下に講和を迎え、また、我々が犯した大きな罪科の決済として講和を結ぶのである。講和が我々の力によって変更させ得る性質のものではないということは言うまでもない。われわれは現在の緊迫した世界情勢の中でこの講和の持つ真実の意義や、この草案から将来に予想される幾多の憂慮すべき問題に対して、一切の批判が無用だと言う事にはならない。この草案を飲むにせよ拒むにせよ、国民としての先決問題は、まずその真実を知り、その恐るべき帰結をよく承知することである。

>>当時、”草案”を読んだ人は何人いたか?日本人は、真実を知って、自己の判断によって自己の運命を決する自由を求めていたか?またその後も求めたか???今度はアメリカのプロパガンダに乗っかっていれば楽な暮らしが出来そうだ、じゃあないか??

1952年5月号

読者に訴う

昨年9月、サンフランシスコ会議で講和及び安全保障両条約が調印されてから、早くも6か月が経過した。そして、この両条約が何をもたらすか当時喧しく論じられた問題の帰結が、今や両条約の発効を待たずして、漸く事実となって国民の前に現れ始めた。第一に、今議会における予算審議の途中に発表された吉田書簡・・・これによって日本政府は中国本土との事実上の絶縁をアメリカに向かって約束した。第二に、次いで発表された日米行政協定・・・これによって我が国は、駐留軍に対して多大の便益と共に重大な権利を譲渡することとなった。第三に、予算の審議を通じて次第にその全貌が明らかになったいわゆる「防衛力」漸増計画・・・これによって、わが国が今や再軍備への途を辿り始めたことは誰の目にも疑い得なくなった。政府によって行われたこれらの重大な決定が、国会の内外にさすがに近年にない活発な論議を巻き起こしたことは、読者の知らるるとおりである。特に「防衛力」の漸増計画による警察読部隊の増強にたしては、直接に憲法第9条の規定に抵触し、憲法前文に明示されている新憲法の精神に背反するという、激しい非難が集中された。もとより政府はこれを否定し、学者の中にも憲法違反にあらずという解釈を取る論者があって、論争はまだ続けられているとはいえ、…私たちは事実を直視しよう…日本の再軍備が既に開始されているとは、一外人記者が言った通り、「東京だけを除いて、世界中のあらゆる首都で既に自明のこととなっている」のである。そして、今やこの事態に応じて国内にも、寧ろ憲法を改定して公然と再軍備せよ、という主張が漸く台頭してきた。しかし、全国民のこの上なく重要な利害に関係し、次第によっては国家の死活にかかわる、かかる重大な問題に決定を与えるべきものは、言うまでもなく、主権の存する国民以外にはない。そして国民とは、私たち一人一人を措いて他にはあるものではない。かくて私たち一人一人の前には、自己と全同胞に対する責任を自覚しつつ、深慮と勇気をもって決断せねばならぬ深刻な問題が既に迫ってきているのである。憲法を改定して規制の事実に・・・然り、国民の与り知らぬうちに着々と築かれていった既成事実に・・・これを適合させるか、それとも、憲法を守って現実の方をこれに適合させようとするか。そのいずれを取るべきか。そのいずれが正しいか。・・・この問題は、政府の政策が違憲であるか否かの判定と関係を持つとはいえ、それを越えて、より一層根本的な問題として私たちの答えを求めているのである。私たちは、もはや、この事態を曖昧に留めておくことを許されないと思う。恐らく、総選挙や国民投票の形でこの返答を求められる日も、事情によっては急速に近づくかもしれないのである。私たち国民は、そのとき悔いなき決断を下し得るために、必要な用意を今日至急に整えなければならない。また、この全国民的問題こそ、文字通り全国民的討議に移され、その討議を通じて正しい答えに到達することが必要であり、そのためにも私たちは、既に今日から能う限りの努力を傾けなければならないと思われる。本誌がここに、「平和憲法と再武装問題」に関し、百余名の識者の意見を集めて読者にお贈りするのも、この国民の判断と決意に資したいという念願からにほかならない。これらの意見は、問題を考察する観点から言っても、その結論から言っても、多種多様であって、再軍備肯定論から絶対否定論まで、憲法改定必要論から無用論まで、かなりさまざまな主張を包含している。私たちとして切にお願いしたいことは、読者がこの中に既成の答えを求めようとされず、むしろ読者自身の頭脳の中において、この一冊に肩を並べている各種の見解を必死の討論として相打たせ、それを通じて読者自身の結論と確信とに到達されることである。各人の道理に問うて納得し得ることのみを承認し、納得し得ないことに向かっては男らしく抗議するという気概は、民主主義の根本の精神であるばかりでなく、特に、大国の間に挟まれた弱小国として自分を見出さねばならない私たちにとって、今切実に必要なものではないだろうか。大国と言えども服すべき道理の存在する事を信じ、道理の上に立って主張すべきことを主張することを措いて、どこに私たちは自己の独立を保つことができよう。かかる気魄を喪失して、どうして敗戦後の挫折から立ち上がることができよう。私たちの父祖は、幕末・明治維新の国難に際し、溢るるばかりのこの気魄を以て大国との折衝に当たり、よくわが民族の独立を保ってくれたのである。

>>きれいごと言ったって国連(軍)なんて当てにならないから、アメリカ様に守ってもらおうじゃねえか、そのアメリカ様が「お前も少しは自衛の姿勢を見せろ」て言うんだから、少しは言う事聞くフリもしなくっちゃ、その代わり、食い物はたんまりくれるそうだぜ、という吉田ドクトリン。それに対して民主主義の根本の精神たる、各人の道理に問うて納得し得ることのみを承認し、納得し得ないことに向かっては男らしく抗議するという気概をもって、全面講和を求めて堂々の意見を提案したのがリベラルの絶頂期だったか?それが無視されても民主主義の根本精神なんか忘れて食うことに精を出すほとんどの日本人…吉野源三郎、失望の始まりだ。

1952年10月号 読者に訴う

近く国会が解散されて総選挙が行われることは、諸般の情勢上もはや必至の事と見なされ、新聞紙はこれに対する各政党や政界人の動きを連日報道し、選挙運動は事実上既に全国に渡って開始されているという。この来るべき総選挙の持つ意義は、戦後行われたどの総選挙にもまして重大と思われる。第一に、読者も深く心に刻んで記憶しておられる通り、現政府が4年前に獲得した多数党の威力を恃んで遂行してきた政策の中には、講和・安全保障条約の締結、行政協定の取り決め、警察予備隊の軍隊化による事実上の再軍備開始、及び破壊活動防止法の制定など、長い将来にわたって国民の運命に関わる重大な決定や、国民の基本的権利に制限を課する容易ならぬ決定が含まれていた。そしてこれらの決定に対しては、その都度各方面から激しい反対や厳しい批判が加えられ、世論は断じて全面的な支持をこれに与えてはこなかった。それにもかかわらず、国会の議席数に問われる限り、これらの反対や批判は常に少数意見として葬られ、上記の重大な決定が次々国会を通過し、発効していった。しかし、はたして4年前の投票は、今日国民がこれらの決定を充全に承認していることを保証するであろうか。4年前に示された多数が、そのまま今日、これらの政策を支持する者の多いことを証明するであろうか。そもそも4年前の総選挙の際に国民は、このような重大な決定を近い将来に予測し、それに対する賛否の態度を表明するつもりで投票したであろうか。これほどまで重大な問題を委任する意思を以て現政権を選んだであろうか。この点について、いまや疑念は一掃されねばならない。

>>少数意見として葬られ…これも今でもよく使われる野党の常套句。今この瞬間と比べれば、4年前だろうが、つい昨日だろうが、気分も考えも違うのが人間の常…つまり、投票じゃあ揺れ動く「民意」は反映されない…それなのに、投票や選挙を後生大事にする皆さん…オールドだ。せめて柄谷行人さんの言う「くじ引き」くらい導入したらどうか?と、いっても当選すること命の今の政治家のみなさんには言うだけ無駄だが。俺は、投票で多数決という仕掛けを使う限り民主主義って「有期の独裁」だと考える。4年前、8年前に決められたことが気に入らなければ歯を食いしばって選挙に勝てばよい。そしてトランプのようにどんどん反故にすればよい。

私たちは、あのように世論の沸騰した諸問題に関し、現政権の取った処置を肯定するか否定するか今こそ、間接に国会を通じてではなく、直接に私たち自身の投票を通じて、私たちの意思を表明し得る機会を持つのである。日本国民の総意が真にどこにあるか、総選挙を通じて私たちは、それを政府に確認させることができるし、また、確認させなければならない。(略)この選挙の結果によって、憲法改定の問題が急速に日程にのぼってくるであろう。平和憲法が守られるか否かは恐らくこの選挙によって決すると思わなければならない。すでに憲法の規定をくぐって開始されている再軍備の進行は、早晩憲法の改定を表面化するに違いないし、ひとたび憲法が改定されて公然と再軍備が行われはじめるとすれば、その後の我が国の政治経済があたかも堰を切った水の如く押し流して行く方向は、決して予想するに難くはない。この予想される恐るべき方向を敢えて肯定するかそれとも断固として拒否するか、その返答を求められているのである。

>>再軍備は行われたが、憲法改定はまだ。日本人て、つくづく書かれた言葉なんて軽視する人種。日本人にとって一番大事なのは「腹」。次いで話された言葉。書かれた言葉は大した意味を持たない。これじゃあ、「法による支配」は無理。当然、法律を含む役人の作る文章も理解してもらうことを欲していない。

国際的にも、日本国民がここ1,2年の政治と外交をいかなる政府に委ねるかは、決して小やかな問題ではない。それは、第3次大戦の危機をはらみながら対立している二つの世界の間に立って、日本の国民がどれだけの自主性を持ち、いかなる方針を以て対処するかを改めて世界に表明することである。しかも、今や冷たい戦争は一つの頂点に達し、局面が今後どう転換するか極めてデリケートな状況にあると言われ、ドイツと日本とは、その間にあって二つの重要な問題点を形成しつつあるのである。私たちがここ1,2年の日本の政治と外交とをどんな政治家たちの手に委ねるかは、世界の平和か戦争かにつながりを持つ大事であり、私たちが全世界の平和を求める民衆に対して負っているこの上なく大きな責任であると言えよう。私たちはあくまで戦争を食い止めようとする決意を新たにし、その観点から私たちの一票をどこに投ずるべきかを決定しなければならない。(略)私たちの国土を荒廃に帰させたあの戦争の記憶を、まだ私たちは忘れてはならない。日本を導いてここに至らせた愚かで暴慢な政治を再び蘇らせることは、死んでいった同胞の記憶にかけて私たちの忍びえないところである。私たちは政治を断じて民衆の意志に従わせねばならない。主権は国民にある。

あの戦争が再現するぞ!なんて脅しも空しく、また、善戦空しく、総選挙では吉田自由党が相変わらず過半数を取った。吉野源三郎の失望は絶望に変わり始める。

1953年3月号 編集後記

私たち日本人にいま最も必要なものは、日本人自身の目で世界の実情を考察し、日本人自身の判断でこれに対処して行く、自主的な目と判断力と決意ではないだろうか。そしてこういう日本人としての自主的な見解を打ち立てて行くために、たとえ所説が違う人々の間にも、同じ日本人としての信頼感に貫かれた意見の交換が活発に行われることができたらどんなに良いかと思う。アメリカの政策に対する批判的意見をすぐにソ連の第5列扱いしたり、ソ連の政策に対する懐疑的な見解を直ちに反動呼ばわりしたり、日本人同志の中に冷たい戦争をそのまま持ち込んで、いつのまにか肝心な日本の自主性を失うことこそ恐ろしい落とし穴である。

>>こう言うってことは、この時すでに今と同様、国会では「言いっ放し合戦」が行われていたと言う事。

1953年5月号 編集後記

アメリカにおいて共和党が政権を握り、その対外政策に一つの転換が予想され、ソ連でもスターリンの跡を継いだマレンコフがその外交方針を声明し、冷たい戦争における局面打開が今や大きく世界中の注意を引き始めている際、そもそも二つの体制の共存とはどんな意味なのか、本当にそれは可能なのか、どうしたらそれが保たれるのか、改めてこの問題を検討して、単なる希望でない正確な認識を持つことは、私たち日本人にとって今切実に必要だと思う。この正確な認識が私たちに、米ソいずれの側にせよ、強国の世界政策に対して批判の自信を与え、この自信が強国追随の卑屈さから日本人を脱却させてくれるからである。まず自分自身の目で現実を見、自分自身の判断を持つこと。それから、自分の判断によって自分の問題、自分の運命を決する自由を取り戻すこと。

>>吉野さん、繰り返し繰り返し、自由の原則を国民に訴うようになる。多分、こんなこと言ったって無駄だ、と分っていながら。

1953年7月号 編集後記

この前の戦争の時もそうだった。日本が暴力的に満州に浸出する前には、世界恐慌に続く慢性的な不況があり、失業者があふれていた。満州事変から中日事変となり、とうとう太平洋戦争に突入するまで、いわゆる非常時予算による軍拡で景気が立ちなおされ失業者は吸収されていったが、その間に日本の経済の構造が軍事的性格に変わってしまい、ちょっとやそっとで切り替えれられない方向に邁進していったのであった。サーベルをガチャつかせて軍部が国民を引きずっていったと言われるけど、軍事工業で儲けた財閥やその他の実業家たちも、あとでは余儀なく協力したのだと称するけれど、根本は、そんな勢力を生み、そういう事態に立ち至らせるだけの社会的経済的な条件が出来上がっていたからだった。同じような条件が、いま急速に出来上がって行きつつあるのではないだろうか。本誌の記事がそのことについての正確な診断に役立ってくれれば幸せである。(略)かつて総合雑誌が左翼的な言論で覆いつくされ、雑誌だけ見ているといまにも革命が起こりそうであったのに、中日事変あたりから急速に変わってきて、戦争に入る頃には国粋主義一色、国策協力の言論で塗りつぶされた。それが敗戦となると、また急転して読者のご存じのような、急進的言論の満艦飾だった。素人として私たちが雑誌をやって行くに当たり、何よりもしたくないと思ったことは、こういうジャーナリズムの浮き草的な動きだった。私たちは、自分たちの気に利かなさも勘定に入れて、読者の心理に商店を合わせてそれに投じるよりも、日本の社会の否応なしに解決を迫られる客観的な問題や、国際的な日本の地位から生じる日本の方向決定の問題に焦点を合わせ、まじめにその問題に関心を持つ人々、個人としての「どう生きてゆくか」の問題と今日の歴史的状況との対決を誠実にやって行く人々を読者として予想し、そういう方々に役に立つ知識や報道や意見を紹介してゆく方針を取ったのであった。

>>ジャーナリズム=浮き草…山本夏彦さんは、ジャーナリズムは浮き草だ、と喝破した。だって、誰だって読まれる記事を書きたいんだもん。

1953年11月号 編集後記

今月は、MSA交渉にどんな裏面の圧力がかかっているのかを中心にこの問題を取り上げると共に、国際記事ではドイツ総選挙の実相を、国内記事では内灘の問題と松川事件を取り上げた。今ドイツに復活しつつある右翼は外国の力で培養され外国のおかげで息を吹き返している。五年にわたる大戦で、ファシズムとの戦いにあれだけの惨禍を忍び、あれだけの犠牲を払った諸国民は、この皮肉をどう受け取っているのだろうか。松川事件の報告は、たとえこの事件の成り行きに深い関心を持っていても傍聴に出かける便宜をもたず、公判の経過を知るつてをもたない多数の方々のために、その後の経過をできるだけ客観的にお伝えしたものである。今必要なことは、真実がどこまで明らかになったかをつきとめることであって、アジテイションではないと信じ、敢えてこの記事を読者にお贈りする次第である。内灘の問題も、新聞の伝えるところだけを見ると、さしもの接収運動も効なく終に政府の思う通りに解決して一段落ついたように思われるが、私たちは、むしろこれからが問題なのではないかと考える。一応接収反対運動が敗北した後にそれによってはっきりと出てくる問題こそ、これからの基地問題、従ってこれからの日本にとって、一層重大な意味を持つものなのではないかと思う。戦後よく見た例であるが、ある工場で労働者がストライキに入ると、他の組合や色々な団体が盛んに応援し、終に交渉が不調に終わって組合による経営管理にまで突入し、その結果矢折れ刀尽きた形で組合側が敗れたときには、もはや職を失った犠牲者に手を差し伸べる者がなく、もしくは手を差し伸べる気持ちはあっても力がない、ということが少なくなかった。これと似た形でケリがつくにしては、既知の問題は重大すぎる問題で、内灘についての関心をここで終わらせないことが大切だと私たちは信じている。

>>MSA=Mutual Security Act/Agreement…知らなかった。これを根拠に、アメリカ様から食料をいただく代わりに自衛隊を作ることにしたんだ。内灘闘争も知らなかった。内灘についての関心はほとんど失われた。1950年代前半は、日本(当時、沖縄は日本ではなかった)から米軍を追出そうという運動がさかんになったし、ある程度アメリア軍も引いた。今にして思えばこれがリベラルの最後の輝きだった。60年安保はリベラルというより左翼活動だ。

1954年6月号 編集後記

この後記を書いている朝の新聞はジュネーブ会議の開始を伝えている。インドシナの戦局はいよいよフランスに不利になって来た。ホーチミンの攻勢も、アメリカの水爆実験も、ジュネーブ会議との睨み合わせで行われていると伝えられ、これに伴うアメリカの事前の声明はこの会議の前途を暗くしている。世界平和にとって重要な、殊にアジアの諸民族にとっては直接かかわりのある、この会議が日本人の大きな関心を引いていないのはどういうことであろう。国内では保守合同がもたつき汚職の追及は司法大臣の見苦しい処置によって行き悩み吹っ切れない者が国民の胸にくすぶったまま、花は散り青葉は茂って行く。非常に密度の濃い状態で急速に世界の状況は推移して行くのに、国内では腐臭を帯びた滞りが次第に深まって行く。せめて窓を開けて煙草の煙のこもった狭い部屋に外の空気を吹きいれるくらいの仕事はしたいと毎月努力しているのだが、そういう私たちに希望を与えてくれるのは、さしあたり若葉であり、そして青年である。

>>平和憲法は、他国の戦争もなるべくやめさせよ、と言うことになるんだそうだ。ベトナムの戦争には関心を示さない日本人。つまり、平和憲法を守ろうとしない日本人。そして造船疑獄で閉塞する吉野源三郎。

1954年8月号 編集後記

日本がMSAを受け入れる方向にハッキリと足を踏み出したのは、正に朝鮮戦争が休戦となったときであった。そしていままたジュネーブ会議の真只中で自衛隊が・・・ハッキリ戦力として…出発するというのである。一見矛盾しているように見えるこの現象の底に今日の真実があり、日本の危険な運命が潜んでいる。国内の問題も、この関係を統一的に見ることができないと、本当には捉えられないと思われる。読者がそういう理解を深めるのに適切な資料を提供することが、雑誌としては今一番大切な任務だと私たちは考えているのであるが、本月号がどれだけそれにふさわしいか。私たちには自信がない。

>>自衛隊は違憲だ、と何故書かない???朝日の高橋純子風。というか、高橋純子が訳の分からぬ、何を言いたいのか分からぬ記事を書く、その原型。

1954年10月号 読者へ

汚職に蝕まれた政治、自主性を全く欠いた外交、街頭に失業者が溢れながら虚偽に支えられた軍備が着々と進行して行き、強国に対する卑屈な従属はますます深まりつつある。一体、私たちはアジアの舞台で何を演じようとしているというのであろう。・・・こういう私たちにとって、いま何よりも切実な必要は、この惨めさを脱却すること、独立の民族にふさわしい自立を獲得する事、そして面を上げてアジアにおける平和の確立に参ずることである。

>>アジアにおける平和なんてむなしい言葉。21世紀になってもまだ、日本はアメリカの妾のまま。アメリカ様に「俺のことだけ見てろ」と言われてアジアのことなんてあんまり見ようとしない日本。独立なんておくびにも出せない日本。

1954年10月号 編集後記

先般の結核患者の痛ましい陳情運動については、新聞の報道が真実を尽くしていないという胸を打たれるような訴えが私たちのところにしきりに送られてくる。私たちの知った限りでも少なくとも少数の人々の政治的な扇動によってあれだけの騒ぎになったという見解は、真実から外れているようだ。本居宣長は百姓一揆について、「よくよく堪えがたきに至らざれば起きるものにあらず。例え起こさんと思う者ありとても、村村一致する事難く、また悪党者ありてこれをすすめありきても、洩れやすきことなれば、なかなか大抵のことにては一致しがたかるべし」と言っている。結核を療養中の人々がどんなに細心にエネルギーの消耗を避けて安静に務めるかを知っている者にとっては、あの人々があれほど一致して大衆行動を起こすに至ったのは、それこそ「よくよくのこと」があったからだとしか思えない。あのような事件を報道する場合にも批評する場合にも、まず必要な資格は、本居宣長が百姓一揆に示したような「よくよくのこと」に対する理解ではなかろうか。

1954年12月号 まえがき(周恩来会見記)

本年の国慶節に招かれて中国に渡った日本の国会議員団と学術文化視察団とは、できうればこの機会に毛沢東主席や周恩来総理と会談し、中日の国交調整や文化交流について意見をかわしたいという希望を抱いていた。特に外相を兼ねている周総理は非常に多忙であった。しかし中国の当局は日程を数次変更し、国会議員団と学術文化視察団の全員が合同で周総理と会談することになった。周恩来氏は郭沫若氏その他の要人と共に入り口に立って代表団を一人一人握手して迎えた。対談は全く寛いだ態度で、時々笑声を交えながら進行し儀礼的な堅苦しさは微塵もなかった。

>>郭沫若はWikipediaによると、その後、文革で毛沢東にいびられ、毛に迎合した、と。毛沢東の死後、1980年以降、文化革命の実態や毛沢東の失敗が日本にも伝わって来た。それまでは毛沢東、周恩来は英雄・アイドルだった。

1955年4月号 編集後記

朝鮮戦争中の話であるが、アメリカの爆撃機が大挙して水豊ダムを爆撃したことがあった。このとき朝鮮戦争はこれをきっかけにたちまち大戦に拡大するかもしれない危ない瀬戸際まで来ていた。イギリスの議会ではこのニュースを受け取ると異常な緊張を示し、連日これに対処するため激しい論議が続けられた。パリの新聞も大きくこの爆撃とその結果に対する憂慮を伝えた。ところが日本では、首相は箱根に暑さを避けて降りてこなかったし、新聞もまたこの大きな危機について何の警報も出さなかった。ヴェトナムでディエンベンフーが陥落する直前にも原子爆弾を使用しようというアメリカ軍部の提案があり、世界戦争になるかならないか、紙一重のところまできたことがある。この時にもイギリスの反対があり、さすがにアイゼンハワーも慎重な態度を取ったため危機は回避された。日本ではそんな危ないところまできたことを知っていた人が当時何人いたであろう。

>>大事なことはアメリアが教えてくれない。だって日本は自分の国を守るかどうかすら意見がまとまらない国なんだから。

1955年9月号 編集後記

四国巨頭会談が7月に行われ、帰国したアイゼンハワーはラジオで放送した。そこで彼は世界平和樹立のために喜んでソ連と協力すると言っているのだ。重い扉は確かに開き始めた。パリ協定で西独再軍備が決定して以来、ただならぬ形勢で両陣営の対抗的態勢が整えられてきた。それが一つの頂点に達した際に、・・・寧ろ達したからこそ…このような転換が求められるに至ったのだが、開きそうになかった扉をここまで押し開いたものは、やはり世界中の民衆の有言無言の願いであった。これについては本月号に掲載したサルトルの演説を是非お読みいただきたいとお思う。私たちは時々、一雑誌の力で何ほどのことができるのかと、自ら無力を嘆じることがあるのだが、最近の情勢の動きは、わずかな私たちの努力でも世論の形成を通じて何事かは成し得るということを教えてくれるようである。

>>世界中の民衆の有言無言の願いは結局むなしく、冷戦は激化した。それでも、第3次世界大戦にもならず、核兵器も使われていないんだから世界中の民衆の有言無言の願いはやっぱり力があるのか???吉野源三郎は、力がある、と信じようとした。

1955年11月号 編集後記

大きな気圧の配置が変わらなければやはり本当の秋晴れにはならない。私たちは焦らずに条件の熟成するのを待つ落ち着きと、落ち着いて条件を熟成させてゆく努力とを身につけなければならない。こんなことを自分に言い聞かせながら、私たちは重光外交をめぐる今月号を編集し、校正し、来月号の企画を相談している。全く、真面目に考えたら腹が立つことやイライラすることがあまりに多過ぎるのである。だが、日本を包む世界の気圧配置はおよそ歴史を概観できるほどの人にとっては目を見張るに値する大きな変化をとげつつある。いつまでも日本が、いまのようなダラシなさを続けていられるはずはないと思う。本誌の国際情勢についての記事がそういう天気図を読者に提供するのに少しでも役立てば本望である。

>>いつだって、世界は大きな変化を遂げつつある。そしてずっと、日本人はダラシない。それでもなんとか生き延びてきた。めでたいことだ。神のご加護ならぬ天皇の祈りのおかげ。

1955年12月号 編集後記

ペルリ渡航記に描かれた日本と、帝政ロシアの軍隊を粉砕した頃の日本との距離は、時間にするとわずか50年ばかりである。日本はあの時、長い停滞から抜け出して50年の間にそれまでの数世紀を凌駕するほどの生長を遂げた。現在の中国の20年後、30年後の成長は、私たちの歴史に徴しても想見できることである。これは、「学者たちのベタ惚れ」などといって済ませることではない。エジプトについても、同じ「奇跡」が起こらないとは限らない。
>>日本にも、中国にも奇跡は起こった。その後、少なくとも日本は長い停滞に入った。

以下、巻末の資料

1949年3月号 戦争と平和に関する日本の科学者の声明

以下の10項目はユネスコ発表の平和声明の内容を確認しつつ、我々の見解を補充して成ったものである。

我々は人類の進歩を信じる。幾多の困難と蹉跌にも拘わらず、人類は次第に自己の運命の主人となりつつある。戦争は天災の如き自然現象ではなく、その生ずると否とは、半ば人間の手中に委ねられている。我々は現実における戦争の可能性を認めると同時に我々がその知性と努力とによって戦争を防止し平和の基礎を定め得る可能性とその増大とを認めざるを得ない。世上、特に日本の一部には戦争の問題に対して宿命論的態度を取る者が多いが、我々は、あらゆる機会を通じてかかる先入見を克服せねばならぬ。平和は単なる現状維持によって獲得されるものではなく、現実の積極的改造を待って初めて確立されるものである。即ち社会組織及び思惟様式の根本的変化を通じて、人間による人間の搾取が廃止されるときにのみ、平和はわれわれのものとなることができる。元来戦争は人間がある問題を解決するために用いる一つのしかも極めて原始的な方法である。かつてこの方法は有効かつ有利と認められる時代があったにしても、現代は全く相違する。今日においては、敗戦国はもとより、戦勝国と雖も、一部の特殊な人間を除いてほとんど癒しがたい創痍を蒙る。しかのみならず、将来の戦争はもとより、必然的に原子力戦であり、細菌戦である以上、一度先端が開かれれば、人類は文字通り絶滅の運命に陥る。もはや戦争は、完全に時代に取り残された方法と化していると言わねばならぬ。

我々は平和のための教育に重大な意義を認めるものである。特に久しい間の軍国主義的支配によって荒廃した日本の教育は平和の理想を以て有効かつ光輝ある原理たらしめることによって新しい出発をなし得るだろう。我々及びその子弟が平和的方法に習熟することのうちに、日本再建の唯一の可能性は横たわっている。諸般の問題を平和的に解決する習慣を有する青少年が世界の諸国に成長して行くことは、世界平和の最も広汎な地盤を形作るものであり、日本の教育がこの事業のうちに先駆的意義を担うことは、われわれの真摯なる願いである。

>>戦争は時代に取り残された方法??これは理解不能。取り残されていようがいまいが、戦争はやめられない、ということだけは事実だと言わざるを得ない。そして、こうやって小出しに戦争するから、核兵器も使わないし、世界大戦にもなっていない。屁理屈をこねくり回して戦争はダメよ、と我慢しすぎると、暴発する。俺はアメリカの禁酒法の失敗を思い出す。体に悪くないとうまくない。たばこや酒がやめられない所以だ。戦争もそういう性格(たち)のものだ。無理して我慢しない方がよい。

いまだに沖縄では、平和を教育している。命がけで。

講和問題に関する平和問題談話会の声明 1950年3月号

一年前、戦争の原因及び平和の基礎について共通の見解を内外に表明した我々は、講和及び講和後の保障に関する最近の問題について再びここに声明を発する。我々にとって、この問題の重大性は誠に比類なきものであり、その処理の如何は思うに、日本の運命を、最終的に決定するであろう。戦争の開始に当たり、われわれが自ら自己の運命を決定する機会を逸したことを改めて反省しつつ、今こそ、われわれは自己の手を以て自己の運命を決定しようと欲した。即ち、我々は平和への意志と祖国への愛情とに導かれつつ、講和を巡る諸問題を慎重に研究し、終に各自の政治的立場を超えて、共通の見解を発表するに到った。連合軍による占領が日本の民主化に重要な刺激と基礎を与えたことは恐らく何人もこれを承認するであろう、しかしながら今後における日本の民主化に重要な一層の発展が日本国民自身の責任と創意との下においてのみ可能であることもまた疑いを入れないところである。即ち、それは、日本国民が講和の確立を通じて世界の諸国民との間に自由な交通と誠実な協力との関係を樹立することを以て必須の条件とする。今や講和の確立及び占領の終結は一切の日本国民の切迫した必要であり要求である。けれども講和が真実の意義を有し続けるには、形式内容共に完全なものであることを要し、然らざる限り、仮令名目は講和であっても、実質は却って新たに戦争の危機を増大するものとなろう。この意味において、講和は必然的に全面講和たるべきものである。この全面講和を困難ならしめる世界的対立の存することは明らかであるが、かの国際軍事裁判に発揮せられた如き国際的正義或いは国際的道義がなお脈々としてこの対立の底を流れていることは、我々を限りなく励ますものである。更に日本がポるダム宣言を受諾して全連合国に降伏した所以を思えば我々が全連合国との間に平和的関係の回復を願うは、蓋し当然の要求とみるべきである。我々の一般的結論は右の通りである。更にそれに関連して我々が真摯なる討論の末に到達した共通の諸点を左に略述するに先立ち、我々が討論の前提とした二つの公理を指摘する必要を感じる。即ち、第一は、我々の憲法に示されている平和的精神に則って世界平和に寄与するという神聖なる義務であり、第二は、日本が一刻も早く経済的自立を達成して徒らに外国の負担たる地位を脱せんとする願望である。一、日本の経済的自立は、日本がアジア諸国、特に中国との間に広汎、緊密、自由なる貿易関係を持つことを最も重要な条件とし、言うまでもなく、この条件は全面講和の確立を通じてのみ充たされるであろう。伝えられる如き単独講和は、日本と中国その他の諸国との関連を切断する結果となり、自ら日本の経済を特定国家への依存及び隷属の地位に立たしめざるを得ない。経済的自立の喪失が延(ひ)いて政治的自立の喪失の基礎となることは、論議を要せぬところであり、国民生活の低下は固より、また日本は自ら欲せずして平和への潜在的脅威となるであろう。われわれは、単独講和が約束するかに見える目前の利点よりも、日本の経済的及び政治的独立を重しとするものである。二、講和に関する種々の論議が、二つの世界の存在という事実に由来することは言を俟たない。しかしながら両者の間に一般的調整のための、また対日全面講和のための不撓の努力が続けられていることは、両者の平和的共存に対する我々の信念を更に全面講和に対する我々の願望を力強く支持するものである。抑抑(そもそも)我が憲法の平和的精神に忠実を守る限り、われわれは、国際政局の動揺のままに受け身の態度を以て講和の問題に当たるのではなく、進んで二つの世界の調和を図るという積極的態度を以て当たることを要求せられる。我々は過去の戦争責任を償う意味からも来るべき講和を通じて両者の接近ないし調整という困難な事業に一歩を進むべき責務を有している。所謂単独講和は我々と相対する二つの陣営の一方に投じ、それとの結合を強める半面、他方との間に、単に依然たる戦争状態を残すにとどまらず、更に之との間に不幸なる敵対関係を生み出し、総じて世界的対立を激化せしめるであろう。これ、我々の到底忍びざるところである。三、講和後の保障については、我々は飽くまでも中立不可侵を願い、併せて国際連合への加入を欲する。国際連合は少なくとも、その憲章の示すところについてみれば、人類が遠い昔から積み重ねて来た平和への努力の現代における決勝であり、平和を祈る世界の一切の人々と共に、我々もまたこれに多大の信頼と期待を寄せるものである。第三回国際連合総会によって採択された「世界人権宣言」に見える如く、我々が、そこに宣言せられた諸権利、特に社会的経済的権利を単に国内的にみならず、実に国際的に要求し得るということは、われわれに新たなる勇気を与えるものである。中立不可侵も、国際連合への加入も、全て全面講和を前提とすることは明らかである。単独講和又は事実上の単独講和状態に付随して生ずべき特定国家との軍事協定、特定国家のための軍事基地の提供の如きは、その名目が何であるにせよ、我が憲法の前文及び第9条に反し、日本及び世界の破滅に力を貸すものであって、我々は到底これを承認することはできない。日本の運命は、日本が平和の精神に徹しつつ、しかも毅然として自主独立の道を進むときにのみ開かれる。

結語

一、講和問題について、我々日本人が希望を述べるとすれば、全面講和以外にない

二、日本の経済的自立は単独講和によって達成されない。

三、講和後の保障については、中立不可侵を冀(こいねが)い、併せて国際連合への加入を欲する

四、理由の如何を問わず、如何なる国に対しても、軍事基地を与えることには絶対に反対する

>>憲法の平和的精神=進んで二つの世界の調和を図るという積極的態度を以て当たることを要求せられる…これが分らない。国連軍に守ってもらうには見返りに他国に向けて戦争反対運動をせよ、ということ?特定国家のための軍事基地の提供の如きは、その名目が何であるにせよ、我が憲法の前文及び第9条に反し、日本及び世界の破滅に力を貸す…これが今も残る、米軍がいれば攻撃される論だ。米軍がいなくなれば攻撃されるとも言えるんだけど…。日本の運命は、日本が平和の精神に徹しつつ、しかも毅然として自主独立の道を進む…生ける化石のような平和の精神と自主独立の道がどれだけの国に受け入れられるのか?どこにも受け入れられず、日本が滅ぶことがあっても構わないのか?俺は、平和の精神と自主独立の道と心中して滅んでも全然構わないが…

閑話休題:

冀(こいねが)い、抑抑(そもそも)、面(おもて)、延(ひ)いて…調べないと読めない漢字。なつかしくなる。なんとくなく、うれしい。

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