嗚呼、高重治香!
高橋純子しか知らなかったが、 高重治香という論説委員が朝日にいるということに今日気づいた。この人も、何を言いたいのか分からない。
以下、彼女の「論説」の抜粋とそれについていた彼女の写真を。この写真がなければこの記事にも、この人自身についても性別を含め興味が持てなかったんだが、「ラッキョウ」のようなフォルムに変形した感のある顔に、「もっといい写真はなかったのかなあ?」などと思った次第。
論説委員コラム「序破急」
各地でデモが行われる中、4月はじめ、「『デモできる社会』の意義」という社説を同僚と担当した。
「デモできる社会」とは、言論や集会の自由が保障されている社会を指す。この言葉を使う際に意識したのは、哲学者の柄谷行人さんが2011年に発した「デモをする社会」という言葉だ。
柄谷さんは東京電力福島第一原発事故の後にデモに行くようになってから、「デモで社会が変わるのか?」とよく質問された。それに対し、「人がデモをする社会に変わる」と答えたという。12年の雑誌「世界」に、こう書いていた。現代の議会には「寄り合い」にあったような直接民主主義的な要素が失われている。デモは単に議会政治を補うための手段ではなく、それ自体が重要なのだと。
一方、朝日は「選挙で選ばれた議員による議会制民主主義・命」ではないのか?
閑話休題:
「デモできる社会」とは、言論や集会の自由が保障されている社会…柄谷さんの言う「自由」とは不自由や不平等を感じたら他所に逃げ出すことができるということだ。柄谷さんはデモを自己目的化していたように思われる。確かに柄谷さんは自由と平等さえ両立できれば国防なんて…みたいなところがあった。高重治香もデモを自己目的化し、「デモできること自体が大切だ」で終わりでいいのか?朝日は「デモさえできれば国防なんてどうでもいい」とは考えていないはずだが。
現代の議会には「寄り合い」にあったような直接民主主義的な要素…柄谷さんがこんなこと言ったなんて信じられない。だって、議会制民主主義って民衆の選んだ代表によるもの、すなわち直接民主主義の否定だもん。柄谷さんは選挙だけでは民主主義に資するところが少ない、くじ引きが有効だ、とした。柄谷さんを引き合いに出すなら、選挙一辺倒でなく、「くじ引き」を強調しないと駄目だ。
高重治香の論説は、デモ擁護のために柄谷さんの言葉を都合よく切り取ったものではないか?
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