柄谷行人「日本精神分析」(2002年)
「日本精神分析」より:
柄谷さんはへそ曲がりだ。
・普通選挙がテロや軍部クーデターを招いた。
・朝鮮半島があったから日本は他国に征服されず、その結果、天皇制が維持された。
・官僚が決めたことを大衆が選んだ代表が承認した、という形式を踏むために議会がある
・「発言しないでいられる」のも言論の自由だ。
・衆愚政治は傑出した代表を求めることが原因だ。代表をくじ引きで決めるとすれば衆愚政治に陥らずに「民主主義に近いもの」ができる。代表の最終選抜はくじ引きとし、1次選抜や弾劾を無記名投票にすれば、自由と「民主主義に近いもの」が両立する。ただし、「民主主義に近いもの」は遅くてコストがかかり、国防上も危険だ。コストの回収と「強い軍隊」が必須だ。
トランプはアメリカの自由と民主主義を守るべく、強い軍隊で新たなコストの回収策を開発しようとしている。やり方は乱暴で下品だが…
以下抜粋:
世界帝国は多数の部族や国家を制圧するために、世界宗教を必要とした。自らの部族神では、そうすることができないからです。奈良時代の日本では、大和朝廷が国家として存立するために、律令制を導入し仏教を導入した。 それは外的な強勢は無くても、内的な必要に強いられたものでした。だが、それでも外的な強制がなかったということは大きい。和辻が言うように、日本人は仏教を選択的に受け入れることができたからです。だから、それは何時までも「外来思想」と目されるのです。平安時代になれば律令制は有名無実となり、漢字・漢文学にかわって仮名による文字がドミナントになっていった。にもかかわらず、律令制も漢字も廃止されることなく、形の上で存続したのです。しかしこういうことがあり得たのは、日本が中国という世界帝国の辺境に位置する島国だからであって、日本に特に何か内在的な「力」があったというからではありません。同様に、日本において天皇制が存続したのは、それが根深い神話的な力を持っていたからではなく、朝鮮半島があったため、一度も異民族に直接的に支配されずにすんだからです。坂口安吾はつぎのようにいっています。
天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳と言うものは常に利用者の遊具に過ぎず、真に実在したためしはなかった。藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼ら自身が最高の主権を握らなかったか。それは、彼らが自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまっさきにその号令に服従してみせることによって号令がさらに良く行き渡ることを心得ていた。自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかづくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼らは天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかづき、自分がぬかづくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。それは遠い歴史の藤原氏や武家の物語ではないのだ。見たまえ、この戦争がそうではないか。(1946年)
しかしこれは異民族の征服がなかったからです。その結果として、どの支配者も、自ら絶対的な権力を掌握する代わりに権威を持つ天皇を積極的に仰ぐことによって自らの地歩を固めることを選んだ。
>>日本人は天皇制も自分じゃあ止められないし、支配者は天皇の権威を利用した…正しい意見だ。一方で、互いに征服し合ってきたヨーロッパ諸国で絶対王政を敷いた王様だって「王権神授説」なんてものにすがった。つまり、彼らも自分が単独で偉い、とは思いにくくて、自分の権力を保証する権威を要した。これを守ることが異民族の支配を拒否する根拠にもなった。明治憲法って王権神授説の変形だ。占領軍は日本統治のコストを下げるために天皇制を温存したが、仮に天皇制を否定したら何が起こっていただろうか?日本人は古いものを愛し、先祖を敬い、きれい好きだ。天皇家はそれにぴったりだったから日本人統治に利用された。この天皇制が復古しただろうか?俺は復古しなかったと思う。占領軍が残していいたもの(一番のいい例が憲法)を後生大事に何十年間も守り続けるんだから占領軍は天皇制を廃棄すれば、それを守り続けたんじゃあないか?日本はアメリカの属国・妾だが、完全に独立の体裁を止めて、属州、つまりアメリカになるか?独立を求めて、リーダーが現れるとは思えないから、アメリカ、ロシア、中国…天皇に代わる権威を強国に求めるんじゃあないか???それか、鎖国?しかし、実際には天皇制は維持された…ここに天皇制の不思議・神秘を感じる。
もともと朝鮮で考えられた万葉仮名が、なぜそこでは放棄され、一方日本では定着しかつそこから仮名やカタカナが形成されるにいたったのか。このことを日本人の独自の知恵などというものから説明するのは滑稽です。日本で漢字を表音的に用いた万葉仮名が仮名に転化していったのは、一つには、日本語が母音も子音も少なく、また開音節(すべての音が母音で終わる)だったからです。朝鮮語では、子音も母音も数が多いため、子音と母音をアルファベットのように組み合わせる方式(ハングル)が考案されねばならなかった、単にそういう理由があるだけです。
>>その原因はともかく、日本はもともと文字がなく、漢字という表意文字を輸入したら、カナという表音文字を編み出し、結果的に独特の文化、発想を持つに至った…また、文字で表される言葉より音になった言葉の力(言霊)を信じ、言葉にならない/あえて言葉にしないもの(空気と呼ばれるようなもの)に支配される。
日本で異民族による軍事的な征服がなかったのは、日本と中国やモンゴルあるいはロシアとの間に朝鮮半島があり、ここで侵入がせき止められたからです。モンゴルは朝鮮半島を支配するにのに30年もかかっています。彼らが日本征服を断念したのは、神風(台風)が吹いたからではなく、朝鮮における抵抗に力を使い果たしたからです。逆に、16世紀末豊臣秀吉は当時圧倒的な軍事力をもって、明帝国を征服しようとしましたが、朝鮮で抵抗にあって断念している。朝鮮が絶えず異民族の侵入に対して国家としての輪郭を作為的に保持しようとしてきたのに対して日本は海という自然の境界を国家の境界と見なすことによって、国家と社会の区別があいまいなままでやってきた。「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、それは、この国では構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味します。あらゆる意思決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。坂口安吾は、天皇制はその権威をもちいて支配しようという歴代の支配者が作ったものだと言いました。その点では、戦後のアメリカ占領軍あるいはマッカーサーの政策もかわりがありません。彼らは、対ソ戦略として天皇を利用するために、天皇を戦争責任から政治的に免除したのです。この結果、日本は「天皇制の構造」を保存したまま経済的な強国として復活しました。しかし、私がすぐに付け加えたいのは、そのような天皇制の構造を可能にしたのは、社会主義勢力が極東において広がっていたことです。このことは、戦後日本の政治体制・・・象徴天皇制と戦争放棄に代表される・・・の存続をも可能にしたといってよい。もし韓国がソ連や中国の勢力の南下の防波堤になっていなければ、それらが存続することはありえなかったのです。
>>坂口安吾説は間違っている。天皇制は作られたものではなく、生成したものだ。人間によって作られたものは人間によって破壊される。生成したものは、破壊されない。むしろ、「与えられたもの」として守られる。象徴天皇だとか戦争放棄だとかまどろっこしいことを言っていられたのは韓国があったおかげ・・・確かに北と南に分断され、それで米ソ中はエネルギーを使い、また朝鮮民族は分断の悲劇を味わった。日本は分断されなかった。
他方、中国と日本の間にある事が、朝鮮における政治的、文化的形態を規定していると言ってよいでしょう。原理的・体系的なものによる抑圧がなかったということは、逆にいうと、それはそのような体系的な抑圧が強かった朝鮮が存在していたからであり、また朝鮮においては、そのような異民族の侵略の度重なる経験が「抑圧」と「主体」を強化してきたのです。このような根本的な「関係」を離れて、両者の歴史を考え、さらにそれからの関係を見るということでは、それぞれのユニークネスを主張することにしかなりません。中国に隣接してその政治的・文化的圧迫にさらされた朝鮮においては、いわば中国より原理的・体系的であろうとする傾向がありました。
>>事大主義。長いものに巻かれろ主義。朝鮮には他に選択肢はあったのだろうか?これが朝鮮民族の「演技力」「演出力」につながった。
実際、中国でとうに廃れていた朱子学を再興したのは16世紀の李氏朝鮮の学者たちであり、儒教化がそのころから徹底されたのです。徳川幕府が公認のイデオロギーとして導入した朱子学は、実は、朝鮮朱子学に他ならないのです。また、徳川時代を通して朝鮮から使節団として来日した学者が日本人にそれを教えていました。奇妙なことに、明治以来そのことが忘れられた。「日本政治思想史研究」において、徳川時代の朱子学から国学への弁証法的展開を考察した丸山真男さえも、そのことを無視していた。中国における儒教、あるいは朱子学は朝鮮におけるほど厳密なものではなかった。こうした事実を考慮すると、宣長が「漢意」と呼んだもの・・・原理・体系に過剰にリゴリスティックに固執し現実的な微細な差異を抑圧する態度・・・は、実は「韓意」だったというべきなのです。いずれにせよ、重要なのは、たんに中国・日本・朝鮮の思考における差異を見ることではなく、それが歴史的は相互の関係によってそうであるということです。だから、それらを民族的性格として固定して見るべきではない。それらの関係が変われば、そのような性格も変わってくるはずです。私は天皇制などはそんなに根の深いものだと思いません。それがいかに根深いかを強調するような「分析」が、そのように見えさせているだけです。偶然的でしかなかったことを必然化しユニークなものとみなす思考が、そのようなものを永続させてしまうのです。
>>俺は、宣長が「漢意」とよんだものは、朱子学の内容そのものではなく、「出羽の守」、つまり「中国では…」という発想・言い方だと思う。(流行を追って自分がない)永続させるのは「分析」だけではない。天皇制が廃棄されなかったという偶然こそが天皇制のユニークさであり、天皇制を永続させるべきもの、と思わせる。
ヘーゲルによれば、国家の最高官吏は、たとえ議会がなくても、最善のことを為す。しかし、議会の使命は、市民社会の合意を得るとともに、市民社会を政治的に陶冶し人々の国政への知識と尊重を強化することにあるというのです。議会制民主主義の「発達」とはまさに、このような「陶冶」が進むことなのですから。その結果として「人民」が形成される。日本で言えば、明治の帝国議会による「陶冶」を通してから、大正デモクラシーが出て来たわけです。しかし、普通選挙の実現によって、ヘーゲルの指摘した事柄が、根本的に変わったわけではありません。官僚が決めたことを、人々が自分で決めたかのように思い込むように「陶冶」されただけです。現在でも、それは決定的に変わってはいない。議会とは実質的に官僚が立案したことを、国民が自ら決めたかのように思い込ませるための、手の込んだ手続きであると言えるでしょう。例えば官僚を攻撃する政治家が人気を博します。あたかも国民の意秘密選挙が彼らによって実現されるかのように。しかし、多くの場合、「官僚と戦う政治家」はひそかに官僚の別のグループを代弁しているだけです。
>>議会制民主主義なんて擬制だ。そんな擬制の煩わしさ、面倒臭さをトランプは暴いた。
菊池寛の「入れ札」に書かれているのは(自分自身に札を入れた)主人公九郎助の、自分の卑劣さに対する絶望です。それは秘密選挙がもたらしたものです。しかし、逆にえば、秘密選挙は、このような卑劣な人間、つまり、公開的な場で自分の意見も言えないような弱い人間を守るためにこそあるのです。挙手、あるいは対面しあう場においては個々人の意志を表明することは難しい。公開討論でも、発言者は限られています。そこで決議を取るとしたら、気の弱い人は周囲を伺いながら、そうするでしょう。「言論の自由」と言いますが、それを保証するのは、必ずしも全員が発言することではありません。むしろ、黙っていられることです。しかし、単に黙っていたのでは、反対であることが分ってしまいます。したがって、無記名(匿名)であることが、言論の自由を最終的に保証するものだということができます。現在ではインターネットの掲示板のようなところでよくみられる事ですが、匿名であるために貴重な発言が出てくると同時に、匿名であるために醜悪な心が無制限に解放されもします。それがあまりひどいからと言って、制限すると、自由な発言も制限されてしまいます。このようなディレンマは、匿名性についてまわるものです。
>>国会で行われている「議論」は、支持者、取り巻きを忖度しながら言いっ放しすることだ。確かに黙っていられることは自由の最大のありがたさだ。無記名・匿名は言論の自由を保証するとともに問題を起こす。
ナチスの理論家であったカール・シュミットは、独裁的であろうと、全体主義的であろうと、それは民主主義と背反するものではないと主張しました。もし人々が合意で選ぶことが見主的であるならば、挙手或い拍手喝采による同意こそ、民主的なのです。他方、シュミットは無記名投票による決定を自由主義的といいます。「ヴォルシェビズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的ではあるが、反民主主義的ではない」「人民の意志は半世紀以来きわめて綿密に作り上げられた統計的な装置によってよりも喝采によって、すなわち反論の余地をゆるさない自明なものによる方が、いっそうよく民主主義的に表現され得るのである。」しかし、我々が民主主義と呼ぶものは独裁とは反対です。もし、公開討論で同意を得ることが民主的であったとしたら民主的であることは独裁体制を防げないということになるでしょう。本来民主主義的であった組織が、独裁的なものに転化した例はいくらでもあります。20世紀の社会主義がその典型です。民主的な組織が独裁制に転化しないようにするにはどうしたらいいでしょうか。
>>匿名での意思表示=自由。民衆の支持を得る=民主。自由で民主的なものがベストとするが、それは現実的か?
おそらく、世界史において、古代ギリシアのアテネ市民ほどに、この点に敏感で周到に対処した人たちはいないでしょう。彼らは、独裁者(僭主)の出現を避けるために、ありとあらゆる工夫をしました。近代の政治システムは基本的に彼らが考案した政治技術に基づいています。アテネの人たちが僭主制を避けるために採用したのは、くじ引きと無記名投票です。
>>行政担当者をくじで任命し、出来が悪くて弾劾したければ無記名投票する=全員参加…自由民主主義の擬制。前提①プロの軍隊が国を守る②働くことは卑しいことで奴隷にさせる…つまり、軍人と奴隷以外は遊んでる。自由だ。コストがかかる…コストを賄うために強い軍隊が他国を侵略し、資源を奪い、奴隷を増やす。
主権国家を根拠づけた思想家として「レヴァイアサン」を書いたホッブズがいます。自然状態では万人が万人にとって狼である、そこで、各人は自分の自然権(主権)を一人の人間に譲渡することによって、自分を守るほかない、そして、その一人の主権者が国家である。しかし、主権者である国家と国家は自然状態にとどまる。大まかに言えば、ホッブズは以上のようなことを書いたわけです。(略)例えば、宗教を信じる必要はなく、たんに信じているふりをしていればいい、とすると、これは宗教だけに限られない、ある人が表向きに言っていることと内心で考えていることが違っていて良い、ということです。人が内心において何を考えているかわからない、というだけでなく、むしろそのことを承認するところから、ホッブズは考えているのではないでしょうか。万人が万人にとって狼であるという自然状態とは、そのような状態です。それは匿名性において現れるのです。ホッブズの理論は、この匿名性を肯定した上で、それによる多数決の支配を根拠づけるものです。
ホッブズは、一人一人が主権者であり、それを譲渡するということから、国家=主権者を導き出す。これはひどく非現実的なことのように思えます。しかし、各人が主権者だということを、各人が無記名投票の場に立つことだと解釈し、そして、各人が主権をレヴァイアサンに譲渡するということを、各人が投票した後多数決に従うということだと解釈すると、別に不可解なところはりません。要するに、ホッブズは無記名投票による多数決を「社会契約」として根拠づけているのです。彼が言う主権者(レヴァイアサン)とは、絶対主義的な王権ではなく、むしろ、そのような王が消された後に残る「国家」それ自体です。だから、それは共和政体においても残ります。しかし、その場合、「国家」そのものを実体として示すことはできないわけです。「国家」は国家機構(軍や官僚)とは区別される。また、それは国民によって形成される「政府」とも違います。では、「国家」そのものは存在しないのか、と言えばそうではない。シュミットは通常は隠れているけれども、主権者としての「国家は」例外状態、たとえば戦争においてあらわになると言っています。それは、決断できる強力なリーダー、つまり、皇帝や総統として現れるのです。
>>万人が万人に対して狼=無記名投票。無記名投票で選ばれた者を主権を移譲する。移譲された先を「国家」と呼ぶ。国家は自分を守ってくれる。(自分を守るために国家がある)
普通選挙になれば、人口的に多数である勤労無産階級が政党において多数派になるはずなのに、そうならないのは、必ずしも旧来の選挙地盤が強いからとか、選挙干渉や買収があるからだ、、とは言えないのです。制限選挙では一定の富裕階級に支持された代表者(代議士)しか選ばれないが、普通選挙においては、全ての階級を反映して代表者が選ばれるだろうと想定することが間違っていたのです。「代表」という観点から見れば、制限選挙あるいはそれ以前の身分代表制議会では、代表者は代表される側の意向を正に忠実に代弁していた。つまり、代表する者と代表される者の関係は一義的に決まっていたわけです。また、制限選挙による議会では代議士(代表者)には地方のいわゆる名望家が選ばれます。これらの議員は、選挙権を持たない階層を無視していいかというと、決してそうではない。逆に、これらの名望家は、ノブレス・オブリージュとして選挙権を持たない人々のために活動するケースが少なくなかった。日本で、「井戸塀」・・・政治活動のために私財を投げ出し、井戸と塀しか残らない・・・といわれる人たちがいたのは、むしろ制限選挙の時代です。ところが、成人男子全員が選挙権を持つ普通選挙において代表するもの(代議士)と代表される者との一義的な関係はなくなるのです。旧来の身分代表議会、あるいは制限選挙においては、代表する者(代議士)は彼らに投票した者に拘束される。しかし、普通選挙による代表制においては、代表する者はその拘束を受けない。というのも無記名投票では、誰が誰に投票したかを知ることができないからです。(略)選挙干渉とは文字通り投票者への干渉なのです。その圧力に屈する者は多かったとしても、そこに「秘密」は存在しなかった。言い換えると、秘密投票は制限選挙では名目的な意味しか持っていないのに対して、普通選挙において深刻な意味を持つようになるわけです。誰が誰に投票したのかを知ることができないということが、代表する者と代表されるものを切り離す。普通選挙においてまさに「代表」ということが成立しなくなるのです。というのは。選ばれた議員は、選んだ者の拘束を受けないからです。たとえば、政治家が当選した後、別の党に入ってもいいし、政策を変えてもよい。なぜなら、投票した者は誰も、自分がその人に投票したという証拠を示せないからです。しかるに、人々は政治家が自分たちを代表していない、裏切ったと考えます。政治家は嘘つきだ、と。
>>無記名投票で選ばれた代表は、投票者の拘束を受けないし、投票者は実際に投票してなくても政治家は嘘つきだ、無能だと言える。これが無記名投票の宿命。
1930年代には、議会制に対する不信が蔓延しました。この不信は必ずしも、軍・官僚のような国家機構から来るものではありません。彼らにとって、いつも議会は自分らの決定にケチをつけ、引き延ばし、修正してしまう無知無能の輩と見えています。いつも彼らは、自分らの立案を残らず実行してくれるような強力なリーダーシップ(行政権力)を待望しています。だから、彼らが突然、議会(立法権力)に敵対しはじめたということではないわけです。日本では、明治・大正にかけ、官僚機構を握った元老たちが議会を操作していました。議会などに任せておけない、と彼らは考えていました。普通選挙が実現されたのは、まさに元老たちが死に絶えた頃です。議会制を攻撃しようとするものは、そうした旧来の権力だけだろうか。むしろ、ブルジョア議会制に対して最も批判的だったのは、マルクス主義者であり、さらに、それに対抗する右翼(ファシスト)でした。大正デモクラシーあるいは普通選挙に至る過程は、ロシア革命が与えた影響であると思います。ドイツのワイマール体制も普通選挙を実現し、社会民主主義者の政権を実現しました。しかし同時にロシア革命の脅威に対する反応が強く出てきたことを忘れてはなりません。左右陣営が議会を攻撃したのは、決して反民主主義的だったからではなく、民主主義的だったからです。彼らは、自由主義的な議会・・・ブルジョア的議会・・・が、真に人民の意志を代表していないと批判した訳です。普通選挙を望む者は、それによって人民がよりよく代表されるだろう、と期待します。ところが、実際はそうならないということに気づいたときに、議会に対する失望と反発がでてくるのです。その結果、議会が余計な存在のように見えてきます。普通選挙は「代表制」を真に実現するためのものでした。しかし、今やそれが虚構に過ぎないということがわかる。そのとき、人は真の代表制を求めるのです。すなわち、真に代表されることを。1848年のフランス革命によって王制を倒し、共和制と普通選挙が実現されたのち、数年間でそれまでナポレオンの甥であるということ以外何者でもなかったルイ・ボナパルトが、皇帝に就任するに至ったのです。なぜ、いかにしてこのような夢のような奇怪な出来事が生じたのか。こういうことが起こりえたのは、普通選挙において、「代表する者」と「代表されるもの」の関係が本来的に恣意的であるからです。そこで、産業ブルジョアジーもその他の階級も、もともとの「代表する者」を見捨ててtボナパルトを選ぶに至る、ということがありえたのです。のちにヒトラーがそうであったように、ボナパルトも国民投票を好み、それによって一挙にことを進めようとしました。
真の代表者を求める人々は、のろのろと議論ばかりしてる議会をうさんくさく見なすようになります。そもそも、真の代表者があの密室の中に生まれる卑小な欲望の統計的総合としてもたらされてよいのだろうか。真の代表者は、むしろ、拍手喝采によって選ばれるべきだ。しかも、それが極まってくると、代表者は我々のためにいるのではない、代表者のために我々がいるのだという逆転さえ生じます。真の代表者は、代表制そのものを超えることになる。
このようにして選ばれた「代表」は、中世の王や皇帝とも絶対主義的な王とも違っています。それは真の代表者を求める衝迫がもたらしたものであり、それ自体、近代の「民主主義」の産物です。1930年代の日本に起こったことも、普通選挙の実現を無視しては語れないでしょう。それは現実の議会への幻滅をもたらした。例えば近衛文麿は、皇族、軍部、資本、右翼、農民のみならず、労働組合、三木清に代表されるマルクス主義者たちによって、それぞれ彼らを代表するものとして受けとめられたのです。代表制とは、もともと「主人」であるものを、代表者として承認するという手続きではないか。制限選挙の段階では、そのことははっきりしています。大多数が投票権を持たないのに、国民の代表者(代議士)がいたのだから。ところが、全員が参加する普通選挙において、そのことが見失われます。全員が参加するのだから民主主義的だと見える。しかし、デモクラシーが「デーモス(大衆)の支配」という意味であるならば、本来、代表制(議会)は、デモクラティックなものではないのです。モンテスキューは、代表制というのは貴族的なものだ、と言っています。そして民主制にふさわしいのは抽選である、と。つまり、議会の本質は、普通選挙以前において見られるべきなのです。
日本で代表制民主主義が始まったのは、普通選挙法が国会を通過した1925年である。これは世界的に見て必ずしも遅くありません。しかし、まさにこの時期から、議会制への不振が出てきました。議会は腐敗の巣窟と言われた。実は以前と同じなのに、にわかにそう見えてきたのです。議員たち、また、そこから選ばれた内閣は、何も実行せず、無益な議論を重ねている。こうした議会への不満が、普通選挙、つまり、代表制民主主義とともに出て来たことに注意してください。それまで人々は議会が「人民」を代表しているとは思っていなかった。実際、それは一定の階級を代表していました。ところが、普通選挙以降は、議会は人民・・・すべての階級・・・を代表するものだと見なされる。であれば、全ての階級が議題に裏切られていると感じるほかないでしょう。そこで人々は「真の代表」を求めることになるわけです。
>>自由で民主的な選び方では真の代表は選ばれない。(せいぜい、くじ引きがいいところだ)普通選挙で真の代表が選ばれる、と誤解するからその結果に落胆、絶望し、テロやクーデターが起きたら大衆が拍手喝采する=最も民主的な選ばれ方。つまり、1925年の普通選挙が日本の軍部独裁の原因だった。
「真の代表」は、議会による討議などからは出てこない。だから、議会や議員による内閣を拒否する軍部のクーデターが起こると、大衆が喝采するということになる。人々は密室の中で主催者であるよりも、拍手喝采によって一人の主催者(レヴァイアサン)に従うことを選ぶのです。議会制人主主義への不満は恒常的に続くが、それが何においてダメなのかは少しも考えられていない。相変わらず代表者への不満は、民意がより忠実に代表されるような選挙や投票の形態を取ろうという方向に進みます。つまり、媒介された形態から、より直接的な形態を取ろうという方向に。電子的な投票システムによって、国民投票は簡単に実現できます。そうすると、議会(代表制)は不要になるかもしれません。あらゆるケースに関して、電子的国民投票によって決定することが可能になるからです。そして、それは「民意」を直接かつ真実に「代表」しているようにみえます。しかしこれは実は、大変危険なのです。そもそも、「民意」とは何でしょうか。一般の人々が持つ意見は、あらかじめ、政治家、官僚、マスメディアなどによってインプットされたもので、自発的といっても、単に与えられた選択肢を選んでいるだけなのです。そして、現在のマスメディアによる世論調査が示すように、国民投票の結果はたえず浮動します。ではそれをただちに忠実に反映すると、どういことになるでしょうか。これを、個人を例にとって考えてみます。ひとが夜に怒りに駆られて手紙を書いたとしても、翌朝、それを投函することなく、多くの場合止めてしまいます。一夜明けて、冷静になるからです。しかし、e-mailであればすぐに送ってしまい、それに対して他人も直ちに激しく反応するから、あっという間に決裂し絶交するということになります。自分の気持ちに忠実であろうとするのはいい。しかし、その「自己」がいつも違ってしまう。従って自己に忠実であればあるほど、自己を裏切ることになってしまいます。電子式の国民投票はそのような結果になる可能性があります。それはたえず浮動します。ところが、国民投票でいったん決定されると簡単には否定できないのです。特にそれが外国との約束であった場合。もしそうであれば、国家としての同一性は存在しなくなるからです。ところが、一旦決めたことが容易に変えられないとなると意見を変えた投票者たちは、絶えず、今、自分たちの意見が代表されていないと感じるでしょう。つまり、人民を真に代表する装置として想定される国民投票は、必然的に、人民を裏切る結果に終わらざるを得ないのです。しかも。国民投票による決定が失敗に終わった場合、誰に責任があるのか.間違った判断をした人々自身であり、「民意」そのものです。すると、その結果は、人々が、自分で判断し決定することを放棄し、カリスマ的な指導者または官僚組織にそれを委ねることに終わります。したがって、代表制をこのような「直接性」によって超えようとする試みは、かえって代表者(主人)に従属することに終わります。更に付け加えると、電子的な投票の欠陥は匿名性が保てないことです。誰が誰に、何に投票したかという記録が残ります。匿名性が成立しないということは、実は決定的に大きいのです。というのは、各人が主権者となるのは、「密室」においてであるのに、電子的投票では「密室」が成り立たないからです。要するに、電子的投票によって自由民主主義的システムが完成するだろうというのは虚妄です。
>>誘導・操作されてコロコロ変わる”自由な”「民意」…その変化についていけない政治。自分自身の「民意」を信じられなくなっって拍手で民主的に選ばれるカリスマによる独裁。電子投票はそれを加速する。電子記録はトレース・分析・処理できる…独裁者の監視・管理を容易に。
アテネで政治に参加する「市民」は、奴隷の労働によって存在しえたわけであり、またアテネの民主制は、その帝国主義的な膨張主義と矛盾しないどころか、そのために大いに役立ったのです。民主主義であるため、市民はぺルシアのように専制的な王によって強いられたのではなく、自発的に兵士として戦った。だからアテネは軍事的になったと言われています。このようにアテネは諸外国を破って奴隷を獲得しただけでなく、アテネ以外のギリシアの都市国家をデロス同盟の名のもとに従属させた。しかし、このような社会体制が長続きするはずはありません。われわれがアテネから学ぶべきなのは、民主政のための「政治技術」であって、それ以上のものではありません。
>>帝国主義、奴隷制は民主主義と相性がいい。
日本の民主主義についても、同じことが言えます。日本で初めて大衆が政治的活動をしたのは、日露戦後の日比谷焼き討ち事件であると言われます。そしてこれが「大正デモクラシー」の発端である、と。しかし、この大衆暴動は、日露戦争の後、もっと領土を取れ、という植民地化(日韓併合)の後に成立したのです。橋場弦は、次のように書いています「アテネ市民がいわゆる『公務員の倫理』のようなものに最初から期待していないどころか、むしろ露骨に不信感を抱いていたことだろう。『権力の誘惑に抵抗する人間の能力』というものを、彼らは一切信用していなかったのである。しかも公務員の行動を監視する主体が、何か超越的な『お上』でなく、市民団全体であったことに注意しなくてはならない。これらの仕組みの網の目が、ここで言う公職者弾劾制度なのである。要するに、アテネ民主政は、永続的に支配者の座に就く個人の存在を許さず、たまたま権力を委ねられている人間も、その行政に際しては責任を厳密に追求されねばならぬという、単純だが明快な原理によって成り立っていた。誰もが政治に参加できるかわりに一旦公職者になった以上、その責任を負わねばならなかったのだ。
>>政治家や官僚なんて信頼できないという前提で監視や弾劾をする仕組み。
彼らが人間性を変えようとか道徳性を高めようとする代わりに、そのような欠陥があっても破綻しないですむようなシステムを作ろうとしたのは、そのためです。それがくじ引きでした。ソクラテスは民衆(デーモス)による弾劾裁判の愚かさに反対し、国家の役割をくじ引きで選ぶようなシステムをあからさまに批判していました。その結果、彼自身が弾劾裁判で処刑されるにいたったわけです。
カールポパーは、マルクス主義における前衛党の観念が、遡ると、プラトンの哲学者=王という観念に行きつく、と指摘しました。
近代ブルジョア国家では、無記名の秘密投票が民主政を保証するということになっています。各人は選挙の時だけ主権者となり、代表を選ぶ。しかし、実際問題として、代表に立候補するためには金があるか、金を集める力があるか、有名で人気がある・・・などでなければならない。こういうところでは、大衆(デーモス)は政治に参加できない。単に、代表者に一票を投じることができるだけです。ここで衆愚政治が生じるとしたら、それは、人々が真の代表者、傑出した指導者を求めようとするときに生じるのです。しかし、アテネの衆愚政治とは、傑出した指導者を認めず、引きずり降ろすことだと言うべきでしょう。ペリクレスが失脚させられたことがその一例です。今日、くじ引きが用いられるのは、陪審員やその他、人がやるのを嫌がり、しかも、誰でもできるような当番のような仕事に関してのみです。しかるに、アテネでは、行政官についてくじ引きが採用された。それは能力差を認めないことです。アテネの「市民」はそのような仕事ができるように教育を受け、十分に余暇をもっていたと言われます。しかし、実際は必ずしもそうではない。能力の差があるに決まっているのです。だからこそ、能力を持った人間が権力をもってしまうことを、弾劾裁判で抑えようとしたわけです。ただし、軍人は籤で選ばなかった。しかし、そうであるだけに将軍に対しては、大衆は最も警戒しました。一つの戦争で、十人以上の将軍を任命し、毎日司令官を取り換えて一人に功績が集中しないようにしたといわれます。そのような警戒にもかかわらず、将軍が権力を持つことは避けがたい。民会ではそれを抑えられない。そこで、権力を持つように見える者を審査することを行ったのが弾劾裁判所です。弾劾裁判では、例えば不運にも戦争に敗れた、あるいは、やむを得ず部下を多く死なせた将軍が一般の市民によって裁かれたわけです。プロ野球で、バントに失敗した選手を、高校生にもできることがプロの癖にできないのか、と非難するファンがよくいますが、それと同じ程度の判断力で、市民たちは将軍を死刑にしてしまったわけです。ソクラテスが憤ったのはそのようなケースでした。近代の代表民主制においては、こうしたことはありません。大衆が選んでいるように見えますが、実際は、行政や司法の官僚がやっているからです。くじ引きによる陪審員制度があるところでも、最終審級では専門の裁判官がいます。しかしそこには民主政は存在しません。各人は単に「密室」において主権者であるだけで、現実には国家機構や資本の作る権力に従属しているだけです。民主政を実現するには、従ってくじ引きを導入することが不可欠なのです。ところが、ソクラテスを憤慨させた衆愚政治が出てくることが避けられない。しかし、ここで、私は別に諦める必要はないと思っています。無記名投票か、くじ引きか、というのは二者択一の問題ではないのです。つまり、まず複数の候補を無記名投票で選んで、最後にくじ引きをすればいいのです。
>>衆愚政治は傑出した指導者を求めるからだ。傑出した指導者を徹底的に嫌ったアテネを見習って無記名投票で選んでくじ引きで決め、出来が悪ければ弾劾の無記名投票とすれば衆愚政治を防ぐことができる。
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