2026年は変化の時代が終わり、すべてが変わり、「ついにAIが資本主義を滅ぼす年」になる

東洋経済オンラインに小幡績氏が以下;

2026年にすべてが変わる。

いや、すべてはすでに変わっている。

2026年はそれに気づく年になる。

21世紀初頭、「すべてが新しい時代」がすでに始まっていた。

21世紀とは「新しい時代の世紀」である。

変化の時代が終わる

何が変わるのか。アメリカの覇権は終わる。欧米の時代は終わる。国民国家の時代は終わる。そして、民主主義も終わる。もちろん、資本主義は終わる。市場主義も金融主義も一緒に終わる。細かいレベルでいえば、イノベーションの時代は終わる。変化の時代が終わる。

この世界では、変化は不要、害悪となる。成長とは老化の準備であるから悪いことであり、老化しないこと、変わらないことが最高の価値となる。目新しい製品、差別化を見せつける製品は価値がなくなり、必需品だけの世界がやってくる。これは、以前述べたように、日本が世界最強になる可能性がある世界である(「ついに『日本が独り勝ちする時代』がやってきた(2022年9月17日配信)」を参照)。

20世紀までの古い時代を終わらせるのは、2つのメカニズムである。その2つを説明しよう。

なぜ欧州が世界を支配したのか

1492年、コロンブスの「新大陸」発見の年から、世界は動き始めた。欧州の移動の時代の始まりとともに、世界の資本主義は始まった。近代の始まりでもあった。

なぜ、近代においては、資本主義により、欧州が世界を支配したか。

それは、欧州が動いたからである。欧州は海を跨いで、別の大陸に出て行ったからである。動いた側であったからである。攻めたからである。

欧州から持ち込まれた菌による伝染病により、中米の文明は破滅したと言われているが、逆に欧州が中米の菌により破滅させられなかったのはなぜか。簡単である。出て行ったからであり、菌は持ち込んだが、菌を持ち帰る量は限られていたからである。中米の菌に侵されて死んだ欧州人は、欧州に戻る前に死んだのであり、持ち帰ってしまった菌は数が限られていたはずだ。

菌だけでなく、文化、風習についても同じだ。入ってくるものには汚染されるが、外にあるものに汚染されに行く人間の量は限られている。だから、出て行ったほうが自地域の破滅のリスクは負わないのである。

歴史というのは、中心の発展、その周辺への刺激からの同化、それが征服されるか、周辺が中心にとってかわるか、これの繰り返しである。近代資本主義以前から、このメカニズムは同じだが、資本主義だけが別格なのは、大陸を跨いで行われたことだ。このスケールの違いが質的な違いをもたらした。

なぜ欧州が勝ったのか、欧州は出ていくことを選んだのか、攻めることになったのか。それは、地域内での争いが激しすぎたからだ。だから、争いに勝つために、戦争の動員システムとしての国民国家が生まれ、発展し、資本の動員のための資本主義が加速した。

民主主義は、このシステムを完結する1つの柱として機能した。資本主義で資本家にメリットを与えて、戦争に資本を動員させた。国民国家で、国家同士戦うことに正義を付与し、国民の動員を可能にし、そして、国民がこれを支持するように、国家権力と国民が一体となる擬制をつくるために民主主義を利用した。

ここに、国家権力、兵士であり生産力たる労働力である国民、そして資本、この三者を一体化することに成功したのである。あるいは、これに成功した国家が、国民国家同士の争いに勝つこととなったのである。

「欧州の周縁」として恩恵を受けたアメリカ

欧州が近代化を達成した理由は、戦争のいち早い高度化がある。国民国家同士の争いが激しすぎて、この動員メカニズムを効率的なものにしなければならなかった。それが、組織の近代化をもたらした。官僚制の効率化、高度化、軍隊の高度な組織化を生み出した。そして、これらの組織文化の確立が、企業という経済主体の高度な組織化の伏線となったのである。そもそも、世界最初の株式会社といわれる東インド会社とは、軍事主体であり経済主体である企業であった。

この帰結は、完全なグローバル化である。それはいったん、第1次世界大戦直前、ピークを迎え、大戦後、歪みを膨らませながら、国際金融の発達のさらなるピークを迎え、それが崩壊し、株の大暴落、大恐慌となった。

この時期、覇権が欧州からアメリカに移った。それは、第1に、アメリカは、近代化のメリットをすべて受けながら、戦争というコストに関しては外側にいたからだった。

しかし、より重要なことに、中心が発展しすぎると、その恩恵は周縁に及ぶという歴史法則のモーメンタムが大きく作用したからだった。戦争の外側というのも、その周縁効果の一部分であった。

この中心の移行期、つまり覇権の移行期に、大バブルが発生した。欧州の資本がアメリカになだれ込み、アメリカは壮大なバブルとなったのである。それが、1929年に弾け、それは金融市場にとどまらず、1932年からの大恐慌をもたらした。しかし、その後の第2次世界大戦において、アメリカも世界大戦に参戦しながらも、自国は戦場にならなかったことに象徴されるように、またもや周縁に位置することによって、大きな恩恵を得た。そして、欧州は荒廃した。

第2次世界大戦後、覇権は名実ともに、軍事的にも外交的にも経済的にもアメリカに移った。今度は、日本とドイツが周縁であることの利点を生かして、経済的には台頭した。

 社会主義経済圏というのも存在したが、ソ連や東欧が崩壊したことにより、その意味で1972年リチャード・ニクソン大統領の中国訪問(の米中共同声明)以来、アメリカとの融和による経済の発展を鄧小平が画策してきた中国が、社会主義経済圏の周縁として台頭し、社会主義体制が世界的に崩壊し、冷戦が終了することにより、一気に発展した。

日本が牽引したアジア経済圏の中にあって、周縁だった東南アジアは1980年代から台頭し、1990年代のアジア金融バブルを生むまでに発展した。

より大きな枠組みで見ると、ラテンアメリカが先にアメリカ合衆国の発展の周縁の利を得て成長しかけたが、いち早くオイルショックなどにより低迷したことなどから、アメリカおよびその周縁、西欧およびその周縁たる東欧に対して、アジアは、最初に日本、次に中国に引っ張られて、世界の中で台頭してきた。21世紀、いよいよアジアが、19世紀までの欧州、20世紀のアメリカ、それらに取って代って、「中心」として世界経済を動かすようになったのである。

外部が消失、資本主義が終焉するのは必然だった

この過程で何が起きたのか。世界の、「アメリカ的なもの」への同化である。世界はアメリカナイズされた。アメリカは軍事、経済だけでなく文化も支配し、覇権を握ってきたのである。

しかし、この帰結は、「アメリカ的なもの」の価値を失わせる。アメリカ的なものはどこにでもある。だから、価値はなくなる。仕方ないから、目先がほんのわずかに異なる、目新しいものを次々繰り出すしかなくなる。しかし、この「目新しいもの」にも飽きてくる。「目新しいものを次々に繰り出す」というのが、アメリカ的なマーケティングであるが、それもどこにでもあふれ、飽きられてくるのである。

だから、21世紀、アジアに経済の中心が移ると同時に、1492年から始まった欧州の時代が1914年に終わり、その後のアメリカの時代が終わると同時に、資本主義的なもの、新しいものが価値を持つ、ということが終わりかけているのである。

別の言い方をすると、世界はすべてアメリカ化され、完全に1つの世界として閉じてしまったのである。究極のグローバル化が実現したのである。欧州によるグローバル化の帰結の1914年には、植民地という外部もあったし、アメリカ合衆国という大物の外部があった。2025年、今は、外部が存在しない。となれば、外部の存在を前提にし、その外部をフロンティアとして食いつぶしていく資本主義が終焉するのは必然なのである

このフロンティアを食いつぶすメカニズムとは、資本主義における「差で儲ける」メカニズムである。これが資本主義の根底の本質である。

その結果が、搾取となる。これは古代から常に存在するが(その意味で資本主義は常に存在するが)、このメカニズムが加速したのが「近代資本主義」だ。

この搾取メカニズムは複数ある。近代資本主義において登場した時系列順にいうと、第1に、大量生産による分業の利益である。産業資本による搾取だ。岩井克人東京大学名誉教授は、労働生産性と賃金の差額が儲けになると説明するが、それは結果論であって、より本質的な差は、従来の製品と新しい製品との価格差のほうである。

労働生産性が高いから、新しい製品は従来の製品よりも安く作られる。賃金を抑えて労働者を搾取しているのではなく、労働者には、従来と同じ時給、賃金を払っている。変わらない。変わったのは手工業から工場制機械工業になったこと。これにより変わったのは、資本および経営者の取り分と、消費者が購入する製品だ。手作りから大量生産品に変わったのに、同じような衣服ということで、同じ水準の価格を消費者に払わせている。つまり、搾取は消費者からなされているのである。

とりわけ、これを海外の消費者からの搾取として行われると大規模になり、かつより深刻な打撃を経済社会に与える。これは労働者の搾取ではなく、実は消費者の搾取なのである。とりわけ、海外の消費者からの搾取なのだ。

資本による搾取の本質は「時間差による搾取」

第2段階は、金融による搾取である。金融資本による搾取である。資本が利用可能な経済主体は一部に限られているから、つまり、資本は希少であるから、資本を貸し付けることによって儲かる。

しかし、これの本質は、資本による搾取ではなく、時間差による搾取なのだ。先に資本を蓄積したものが、まだ資本を蓄積していないが、資本を利用したい企業家に貸し付ける。先行者利益なのである。

しかし、これがもっと派手に行われるのが、大陸間の時間差、文明間の時間差である。先に工業化を実現し、本質的には質が劣るが、見栄えが良く、コストが安いモノを大量生産し、後進国の消費者に売りつける。

自宅で飼っていた鶏よりもコストの安いブロイラーの肉とレイヤー(卵量産用の鶏)の卵を売りつけるように、毛織物、綿織物、そしてコカ・コーラ、マクドナルドと押し付けていったのである。それはただのモノから文化(より先に堕落した“ススンダ”文化)まで広がり、エンタメ、スマホ、AIへと無限にその領域を拡大し続けている。

これが、第3段階の資本主義における搾取である。それは、イノベーションという名による搾取だ。私は、今回、これを「“起業家資本”による搾取」あるいは「イノベーションによる搾取」と名付けたい。

つまり、目新しい、刺激的な、見たことないものを、値段、相場観のわからない、初見の異国の消費者たちに売りつけるのである。直接的な価値の搾取である。

欧米的な価値観、文化の下では遅れている社会に赴き、彼らが目新しい(目くらましの)製品・サービスに驚き、刹那的で短期的な刺激により、正確な価値の判断ができなくなっているときに、興奮に乗じて高い価格をつけて売り抜ける、価値と価格のギャップによる価値搾取である。このプロセスにより、本質的には価値があるが、市場価格には反映されない伝統的な文化を奪っていくのである。

ここでいう価値とは、持続的に価値を持ち続けるものである。不変の価値である。しかし、価格はその瞬間の市場で決まる価格である。その裏付けにある価値とは、刹那的な価値である。今、欲しい、という衝動に駆られて支出する場合の、消費者が消費または所有によって得る価値である。

資産価値でいえば、今持っていることによって、明日売って儲けることができる可能性のある価値、オプションヴァリューである。地上げバブルのときに、地上げされかかっている地域の一部の土地を持たなくては、地上げバブルに乗れないから、そのときに地上げ用の土地を買う投機家にとっての価値である。

イノベーションは「時間との競争」

この話は一般にはむつかしすぎるかもしれないから、消費者の価値に戻ろう。今、はやりのファッションを今日買うことには価値がある。しかし、来年、流行遅れになったその衣服は価値がない。しかし、今年買いたいのだから今年は価値があるし、その価値に見合った価格がつく。しかし、来年になると、なんでこんなものを買ってしまったのだろうと後悔する。来年、転売しようとしても売れない。

資本主義末期におけるイノベーションの価値とは、このような価値である(資本主義前半には、これとは違う技術革新に基づく、継続的な価値のある価値があったが、末期には段々そういうものは減ってくる)。

したがって、イノベーションとは時間との競争なのである。早い者勝ちなのである。一瞬でも先にライバルを出し抜いて製品化し売り出す、流行させることが重要なのである。まさに時間との戦いなのである。時間「差」が価値をもたらすのである。先行者利益そのものである。というより、先行したことだけによる利益である。

この3つの搾取メカニズムは、形態は異なっているが、その本質はただひとつ。「時間による搾取」なのである。

産業資本を先に確立したイギリスが、大量生産メカニズムをまだ確立しきれていない世界を支配した。「先に」工場制機械工業を成立させただけである。金融資本を「先に」蓄積したということだけで、世界に資本が希少なうちに資本を「先に」世界に投下しまくった。そして、「先に」目新しいものを生み出す、イノベーション。この3つとも、時間先行だけから生じる利益なのである。

リターンはリスクから生じるというが、リスクは将来起こることであるからリスクなのであり、その意味でも、すべて「時間」の差がリターンを生み出しているのである。

ドイツの作家、ミハイル・エンデの名作「モモ」でいうところの時間泥棒とは別の意味で、時間(時間差)がすべての資本主義の利益の源泉であり、遅れている人々、世界から搾取するメカニズムなのである。

また、カール・マルクスは、その一部分、資本家と労働者の階級対立の部分にだけ注目したのであるが、資本主義においては、マルクスの認識よりも、もっと壮大で深遠な搾取が行われてきたのである。

インターネットとAI普及で近代資本主義は終焉を迎えた

しかし、この搾取メカニズムも終焉を迎えている。これが近代資本主義を終焉させる第2の力である。

第1のメカニズムのところでも述べたように、完全なグローバル化により、地域による「差」がなくなった。アメリカ資本主義的な意味での「差」はなくなった。こうなると、この3つの搾取メカニズムで述べてきたメカニズムはすべて成立しなくなる。世界に「時間差」は存在しなくなったのである。

これを最終的に決定づけたのは、正確に言えば、象徴的に見せつけたのは、インターネットとAIの普及である。インターネットで情報の差はなくなった。情報の価値は、「差」の価値、みんなが知らないことを自分だけが知っているという価値だから、情報の価値はなくなった。時間差の価値もインターネットでほぼなくなった。

そこへ、さらに、AIという人類の知能搾取により、人の人のあいだにおける知識格差が消滅しつつある。誰も自分で考えなくなり、AIに頼るということは、すべての人間の知識レベル、さらには知能レベルが同一になるということである。ここに、差による搾取メカニズムは働かなくなる。だから、近代資本主義も終焉するのである。

>>資本主義、民主主義、国家権力、国民、資本を統合して行わた20世紀の戦争。フロンティアがなくなったために覇権を失うアメリカ。本質的には意味はないが、早いとかコストが安いとか、目新しいなどと言う「差」で稼ぐ資本主義・・・説得力のある史観だ。

インターネットとAIがこの「差」を消すから資本主義は終わる。資本主義は終わってもインターネットやAIを作り維持するプラットフォーマー、ビッグテックは生き残るのか、自壊するのか???

世界各地、各国で同じものをバラバラに作っている。国家や地方が他の国家や地方に負けないで生き残るためだ。当然、効率や品質にばらつきがある。世界で一番効率的で品質の良い製法というのがあるはずで、それを使って一国、一か所でまとめて製造すれば世界中でより安く、品質も良いものが出来るようになる。このことは、AIやインターネットによる情報共有効果によって可能だ。それがSDGs的にベストである。そうしないと世界や人類は滅ぶ・・・。それが人間の業だ、それでいいじゃあないか、という考え方もある。同時にそれじゃあ厭だ、一日でも滅ぶのを遅くしよう、という考え方もある。俺はどちらの考え方でもいいと思う。ただし、一日でも滅ぶのを遅くしようとか、SDGsとか言う者たちが、そうでない者を遅れてるとか、古いとか、馬鹿だとか、分かってない、などと言い募るのは勘弁してほしい。

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