御厨貴さん、いいね!

11月19日付け朝日新聞に以下:

 この記事を書いた高橋杏璃さん政治部 | 外務省担当)も、いい。革新勢力は「上から目線」だからって、朝日新聞否定論じゃん。それをちゃんと記事にする…見どころがある。

御厨貴さんが語る自民 「政治家は長期的視野を、刹那主義ではなく」

――結党70年に自民総裁となった高市早苗首相への支持の背景をどう見ますか。

 高市氏は基本的に言葉が勇ましく、言い切る力強さがある。かつて「自民党をぶっ壊す」と言った小泉純一郎元首相に似ている。自民政権に飽きや閉塞(へいそく)感が生まれている時に、強い言葉を打ち出すリーダーに目を奪われるのだろう。

 ――強いリーダー像というと、安倍晋三元首相も浮かびます。

 安倍氏は間違いなく「右」の立ち位置だったし、表面上は「日本会議」などの人を引き立てた。一方、外交安保などの重要政策では、こうした人たちの主張は聞かなかった。日中関係の改善にも力を入れたように、安倍氏はリアリズムを持った政治家だった。

 安倍氏は、自民党が「国民政党」でなくなった時に党が割れる、あるいは縮小するとの危機感を抱いていた。本当は「右」のイデオロギーで染めたいと思っても、そうすれば政権政党ではなくなってしまう。「右」を党の体質にしなかったのは、安倍氏の功績だろう。

 ――有権者が強いリーダーを求めるとしたら理由は何があるのでしょうか。

 国民が物価高に苦しんでおり、余裕を失っているからだ。「誰がメシを食わせてくれるか」で政治を選んでおり、「短期的な成果」を求めている。例えば、安倍政権は「アベノミクス」を打ち出し、成果はともかく「やっている感」があった。でも、岸田、石破両政権になると、それすらなかった。

 高市氏も就任してから、いくつも新しい会議体を作ったり、前政権からの人事を代えたり、あらゆることを短期にやろうとしている。「あれをやってます」「これをやってます」というアピールは、短期に目に見える変化を求める国民のニーズとかみ合ってはいる。

 ――高市首相は自らを「穏健保守」と位置づけています。そもそも自民にとっての「保守」とは。

 高市氏が「保守」をどれだけ明確に捉えているかは疑問だ。それは自民にも言える。自民は「保守とは何か」の定義をしたことはない。むしろ「保守」を定義できなかったことで、強さを維持してきたとも言える。

 ――「保守」は自民のアイデンティティーではないのですか。

 自民は自由党と日本民主党が「保守合同」してできた政党だ。「民主」と「自由」は好きだけど、「保守」を政党名に入れてもいない。例えば、後に首相になる中曽根康弘氏は、自分のことを「革新保守」と言っていた。つまり、「保守なんだけれど革新派なんだ」という言い方だ。

 自民議員にとって、単純に伝統や文化を重視する「保守」と位置づけられるのは違和感があるだろう。そこに「革新」のイメージを入れると何となく落ち着くところがあり、それは恐らくずっと続いていると思う。「保守」だけだと、歴史や伝統、慣習ばかりがイメージされ、古くさく思われがちだからだ。

 ――「保守」をあえて定義してこなかった?

 そうだ。実際、自民は「保守なんだけど、何かに抵抗している」政党だ。党是にしている憲法改正にしても「守り」ではなく「攻める」姿勢がある。「保守」を基盤としながらも、時代ごとに柔軟に変化を採り入れ、自らを変容させてきた。だからこそ国民政党として政権を担い続けることができた。仮に党が「保守」を定義づけていたら、硬直的なイデオロギーにとらわれて国民政党にはなり得なかったのではないか。

 ――一方、「保守」に対抗する勢力が衰退していったのはなぜですか。

 いわゆる革新勢力は「上から目線」だからだろう。それは時代とともに国民感情とのズレを生んできた。

 例えば、参政党が出てきた時、こうした人々は「自分たちとはレベルが違う」と参政をみなしたのではないか。私からみると、参政は国民に目線を合わせた主張をしていると感じる。彼らは自分たちを「強者」ではなく、「弱者」に位置づけている。「見捨てられている自分たちだけど、本当は強い」という論理で、元気を出そうという立ち位置だ。それは自民にはない強さでもある。価値観の多様化が進む中、革新勢力はイデオロギーに縛られ続けているように見えてしまっている。

 ――この70年間の自民をめぐる変化をどう感じますか。

 政治家が長期的な視野を持ちづらくなったと思う。ニュースを見ても「国会をどう乗り切るか」とか「予算を通すためにどうするか」という話題ばかり。そのうちに「解散・総選挙だ」となる。「1年、半年の政治」になっている。それに拍車をかけたのが派閥の解消だ。前例にとらわれない能力主義の人材登用を可能にする一方、中堅や若手の政治家が長期的なキャリアを描きにくくなった。

 国民も短期間での成果を求めている。結果として国民政党の自民も、特定の支持者に向けて「やってる感」のアピールに躍起になる。しかし、政治というものは本来、最大多数の最大幸福を実現するものだ。刹那(せつな)主義の政治の行き着く先にあるのは「弱者」の切り捨てだ。そうした危険を忘れてはならない。=おわり

閑話休題:

派閥がなくなり中堅や若手の政治家が長期的なキャリアを描きにくくなった。そして、天下りがなくなって官僚が長期的なキャリアを描きにくくなった。

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