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民主制よりは独裁制の方が分かりやすい

現代ビジネスに霜田明寛氏が 【想定外】藤島ジュリー景子の「告発本」をマスコミがスルーせざるを得ない「不都合すぎる3つの新事実」と題して以下: 誰がどうやって「結論ありき」のリードをするのか?「空気」か?「売れる記事を書きたがる」報道記者の習性か?民主制の下では、これが行われても「誰が何を目的に?」は分からない。オールドメディアが”正義の味方”と”犯人(あるいは共犯)”を兼ねているから。仮に分かったところで報道されない。絶望的。闇の中。俺はこれを一番憎む。 独裁制なら誰が犯人かは分かりやすい。みんな独裁者に忖度するんだから、その筋に犯人がいるということは分かる。そしてその独裁者の考えることが自分たちの好みに合うかどうか評価できる。自分たちの好みに合わなければ、交代させようとするだろう。交代させようとする側と交代させられてたまるかという独裁者が争う・・・分かりやすい。 待てよ、正義の味方の独裁者はポリコレ、コンプラだ。であるなら、ポリコレやコンプラを打倒すればいい・・・トランプやイーロンマスクは自らも独裁者となってポリコレやコンプラと戦っている。 以下、一部引用:   たとえば、NHKの2つのスクープが誤報であることがわかる。ひとつは記者会見を開く際に事務所が指名NGの記者のリストを作っていたとされる、いわゆる『NGリスト問題』だ。もうひとつはジャニー喜多川がNHK局内のトイレで性加害を行っていたという報道だ。これに関しては、被害を訴えた人物がそれをウソだと認めたら、NHKがその人物を訴えようとする動きもあったという。 ともにNHKのニュース番組で大々的に取り上げられ、世論をより反・ジャニーズ事務所に焚きつける役割を担ったが、2つとも未だに訂正や謝罪などはされていない。ジュリーは「結論ありきの報道」と、無念さをにじませる。 また、驚くことに、外部専門家による再発防止特別チームの発表についても「先生方は先に結論を決めていて、そこにはめ込むように私にしゃべらせようとしていると感じる瞬間はありました」とその信憑性ややり方にも疑問符をつけている。

民主主義なんて面倒なものは捨てて独裁へ・・・カーティス・ヤーヴィン

7月31日現代ビジネスに歳川隆雄氏が トランプ大統領を「絶対君主」に!米国を反・民主主義へと導く「暗黒啓蒙主義者」の脅威  その名はカーティス・ヤーヴィン と題して投稿。「政治は企業経営のように」・・・再生の道の吉田あやの主張・・・つまり、選挙なんて面倒な手続きはやめて、企業みたいに前任者または指名委員会の指名で後任社長を選ぶ・・・選ばれたものは、独裁者になる。 筆者は「ぞっとする」と記す。俺は「民主主義の行きつく先だ」とあきらめる。 引用以下: 先週の事である。信を置く霞が関住人との会食時に「歳川さんなら間違いなく関心を持つテーマだと思いますが、ヤーヴィンってご存じですか? スペルはYarvinです」と尋ねられた。 不覚にも初めて耳にした名前であり、苗字からユダヤ系の人物ではないかと想像しただけで、口の端から出た返答は「いったい誰ですか。そのヤーヴィンという人は?」と返しただけだった。 お恥ずかしい限りであるが、永きにわたってジャーナリストを家業にするも、生来メカに晩熟のローテク人間のため、今日に至るまでネット空間とはほぼ無縁であった。しかし必要に迫られてiPhoneで検索を繰り返し、知己で詳しそうな人物の顔を思い浮かべて電話もかけた。最後は件の霞が関住人にメールで教えを乞うた。 判明した事実は、筆者の想像を遥かに超えたものだった。それをベースに取材を重ねてみて仰天した。以下、その概要を記してみよう。 カーティス・ヤーヴィン(Curtis Yarvin)、1973年生まれの52歳。カリフォルニア大学(バークレー校)、ブラウン大学(BA)出身。もともと米シリコンバレー(SV)でソフトウェアエンジニアとして活動していたが、2000年代後半から「メンシウス・モールドバグ(Mencius Moldbug。儒教の孟子と投資用語の「ゴールドバグ」に因んだペンネーム)」で、民主主義を批判するブログを立ち上げた。2013年、分散型インターネットの構築プロジェクト開発のスタートアップを設立。SVで超有名な投資家、ピーター・ティール氏から出資を受ける(以上、日本経済新聞3月1日付電子版記事を参照)。 エンジェル投資家、川崎裕一氏の「note」(5月12日付)の論考「“反民主主義(Dark Enlightenment)”思想家ヤーヴィンの正体」と、文筆家の木澤佐登志氏の「なぜテックビリ...

ゼレンスキー「英雄」から「腐敗の象徴」へ…ドイツで起きたウクライナ報道“手のひら返し”の深層

現代ビジネスに以下の川口マーン恵美氏の記事: 戦争で急にウクライナを持ち上げ始めた独メディアの変遷 ウクライナのゼレンスキー大統領をあたかも世紀の英雄のように持ち上げ、ウクライナ国民がその大統領の下で一丸となって、ロシアの横暴に抗していると報道し続けていたドイツの主要メディアであったが、7月初め、突然、「ウクライナはヨーロッパで一番腐敗した国である」と言い出した。何のことはない、ウクライナ戦争の始まる前までは広く共有されていた認識だ。 それなのに、ウクライナ戦争勃発以来、主要メディアがその常識を覆したことに、私ははっきり言って驚いていた。そして、その後はあれよあれよという間に、「ウクライナの戦いは民主主義の防衛」というストーリーが作り上げられ、ドイツ政府がウクライナに莫大な支援を注ぎ込んでいるのは正当なこととされた。しかも、ウクライナはロシアと互角に戦っており、勝利さえあり得るかのような報道が続いたのだ。 ただ、戦地に動員されたら最後、休暇も貰えないまま呻吟しているウクライナ兵士たちの姿が、愛国と勇気の象徴とされていたのはおかしくないか?  常識で考えれば、激戦に巻き込まれて帰れなくなったわけでもなし、ドイツの記者が訪れて塹壕内の住まいなどを取材しているというのに、兵士らが何年も休暇ももらえないのは奇妙だった。 一方、独立系のメディアはどこも、兵士のリクルートが日増しに過激になっているということを、繰り返し報道していた。路上で突然、何者かに乱暴に拘束され、そのまま徴兵、トラックに積まれて前線へ…。ドイツ語ではこういう兵士を「大砲の餌」という。大砲の砲身に詰められる弾丸のように、使い捨ての資源という意味だ。 そうするうちに今年の7月、ゼレンスキー大統領はEUに、傭兵の給料を支払うお金まで要求した。「傭兵はウクライナを守るための大切な武器である」として。実は、ウクライナで多くの傭兵が戦っているという話は、やはり独立系のメディアがかなり前から報道していた。 しかし、その一方で、ドイツに避難している120万人のウクライナ人の6人に1人が健康そうな徴兵年齢の男性なのは何故か? 彼らの運転するウクライナナンバーの自家用車が、現在、ドイツでは結構目に付く。 ウクライナ報道が変わり始めた理由 ところが今、冒頭に記したように、主要メディアによるウクライナ報道が俄に変わり始めた。すでに...

暴力団員は利用できない・・・

FNNプライムオンラインに以下:ほのぼのとしたニュース。   暴力団組員であることを隠して新型コロナ給付金の貸付制度を使い現金をだまし取ろうとした疑いで男が逮捕されました。 指定暴力団・極東会系幹部の善林敏治容疑者(63)は2020年、暴力団組員は利用できない新型コロナに関連する給付金貸付制度などに申し込み、現金あわせて65万円をだまし取ろうとした疑いがもたれています。 善林容疑者は、コロナ禍で祭りやイベントでの屋台の仕事が減ったとして、暴力団組員ではないと宣誓する文書に署名して申し込んでいました。 善林容疑者は、「暴力団組員が利用できないことを知りませんでした」と容疑を一部否認しています。 >> 暴力団員はコロナワクチンは打ってもらえたんだろうか?人権はどこまで守られてるんだろうか?コロナに感染したら手当してもらえたんだろうか?健康保険はどうなってるんだろうか? 様々なアンケート調査結果で、〇歳~〇〇歳、と年齢層別に集計されて発表される。その際、70歳以上は無視されることが多い。(最高齢が65歳とか69歳になってることが圧倒的に多い) 上さんからこのことを教えられた俺は「70歳以上は人間として認められてない」と言った。暴力団員と似ている。

日航ジャンボ墜落事故の原因は?

 40年前の日航ジャンボ墜落事故・・・今でも日本航空では安全だとか何とか教育をし、また、経営幹部が事故現場に弔いに行く。あたかも日航が悪かったように。 この事故の原因については、いまだに米軍の陰謀説やら自衛隊のミス説やらいろいろ詮索がある。確か公式には、隔壁と呼ばれる飛行機部品の補修工事をやったボーイング社のミスだった。であるなら、日航にはほとんど罪科はない。 なぜ、あたかも日航が悪かったような演出をするのか?本当に何か隠された原因があって、それを明らかにできないから、日航に遺族に謝る役を押し付けたのか?

浅田美代子@あんぱん

 8月1日放送回、のぶとたかしの結婚祝いに家族が集まる。一番輝いてたのは婆さん役の浅田美代子だ。目の動きがすばらしかった。ついで三女役の 原菜乃華 子。天衣無縫・無邪気なところが出ていた。 浅田美代子は何となく「私の出番はもうおしまい」という雰囲気を醸し出していたが本当に「釜じいの元に旅立ちました」とナレーションがあった。残念と言えば残念だが、十分楽しめた。うれしかった。回想シーンで出てくるだろうし。彼女は後世に残る、いい演技を残した。十分に存在意義を発揮した。 閑話休題: 「死ぬ」という言葉を嫌うのは英語でもある。pass awayだ。死ぬがdieなら pass awayは亡くなるってとこか?アメリカで知り合ったおじさんが直近死んだミュージシャン(名前が思い出せない)のことをpassed awayと言ったのを今でも思い出す。俺はこの時、pass awayが死ぬという意味だということを知らなかったが、文脈で理解できた。 「死ぬ」の言い換え、日本語にはふんだんにある。旅立つ、亡くなる、身罷る、崩御・・・死ぬ人の身分によって言い方が違うから大変だ。俺はこういった持って廻った言い方、丁寧語は嫌いだ。ストレートに即物的に「死ぬ」一本でいいと思う。 死を悼む気持ちが様々な言い方に表れるんだろうけど、表現の問題ではなく、心のうちでどう思うかだろう。

どうでもいいけど

 あんぱんで共演する妻夫木聡と今田美桜は宝くじの宣伝でも共演してる。

米国株とうとう下がり始める???

 31日の米国マーケット、ダウ平均、ナスダック、S&P全部下がった。(といっても1%未満の下げ率だが)ダウ平均だけ下げて他は上がっていたのが変わった。 8月1日は雇用統計が発表される。 もう上がるだけ上がったから落ちるだけ、という風情だ。 来秋には今持っている積立投信のオルカンを売るかどうか検討する。

ゴルフ三昧

 7月は1日、3日、8日、25日、28日、31日と都合6回ゴルフした。誰に話してもあきれられる。 中一日1回、最後の3回は中二日。我ながらよく身体が持つなあ、とあきれるしかない。誘われれば、中一日でも断らない。(連チャンは断る・・・体力もさることながら集中がもたないからつまらない) いつもの仲間とやったのは4回。1日と3日のは普段一緒にやらないメンバーと普段行かないゴルフ場。一番印象深かったのは、3日の茨木ゴルフクラブにて:パー5のホールの第三打をグリーン近くのバンカーに入れ、そこからトップが止まらず、向かいのバンカー、元のバンカーと4往復し、結局8オン2パットの10だったこと。バンカーはサンドウェッジを使っていたのだが、砂が固まっていてバンスで跳ね返されたようだ。それ以降、バンカーは60度で打つことにした。サンドウェッジよりは確実にバンカーから出るからマシだ。バンカーってのは不思議な磁力があって、ミスすると訳が分らなくなって同じミスを繰り返す。 ゴルフ前には毎回、「今日ぶっ倒れたらどうしよう」なんて思う。「そんな思いをするくらいならやめときゃあいいのに」とも。それがプレーが始まれば「クソー、頑張れ」だ。 8月は5日、20日、27日の3回だ。抑えた。これから誘われればもちろんやる。 閑話休題: 今朝、「あんぱん」で新婚の”たかし”が帰宅し、奥さんの”のぶ”に向かって「ただいま」と言い、「おかえり」と言われて嬉しくなって「もう1回」と「ただいま」「おかえり」を繰り返した。俺も上さんに「俺が帰ってきたら『ただいま』って言うから『おかえり』て言ってくれよな」って頼んどいたのに、俺が帰宅したとき上さん、買い物で留守だった。クソーッ!!

Billie Holiday

 YouTubeが勝手に”Lady Day"THE COMPLETE BILLIE HOLIDAY ON COLOMBIA (1933-1944)をかけてくれる。 Billieの歌は、ちっともうまくないし、声量もない。原曲や他の歌手と違うメロディ、リズム(ノリ)で歌うだけだ。そのユニークさが面白い。1915年生まれだから録音したのは20歳代がほとんど。二十歳そこそこでこの”ひしゃげた”声・・・通常、歌手+伴奏となって伴奏は二の次になるんだけど、伴奏陣が豪華なせいもあって伴奏と混然一体。ほとんど全員黒人だったと思う。ひどい差別を受けたはずだが、彼らの「ブンチャ、ブンチャ」のツービート音楽を聴いているとこちらは幸せになり、ついでに「彼らも幸せだったんじゃあないか?」などと妄想してしまう。もしかすると、演奏してる時だけが幸せだったのかも。 閑話休題: 1930年代のジャズ界は素晴らしかった。Duke Ellingtn,Count Baise,Lionel Hampton,Teddy Wilson、Benny Goodman・・・こういった楽団のメンバーがHolidayの歌の豪華な伴奏陣だ。 作詞作曲家もいた。ユダヤと黒人は頑張った。

持続可能性を揶揄する

Wikipedia:   持続可能性 (じぞくかのうせい、 英 :   sustainability 〈 サステナビリティ 、 サステイナビリティ [ 補 1 ] 〉 )は、将来にわたって 現在の社会の機能 を継続 していくことができるシステムやプロセスのこと。 一般的にはそういった仕組みを指すが、 環境学 的には生物的なシステムがその 多様性 と 生産性 を期限なく継続できる能力のことを指し、さらに組織原理としては、持続可能な発展を意味する。すなわち、 人間活動 、特に 文明 の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できる かどうかを表す概念であり、 エコロジー 、経済、政治、文化の4つの分野を含むものとされる。 (略) 環境の持続可能性に移行するために、人々が取りうるアプローチは数多くある。 生態系サービス の維持、食品廃棄物の削減、植物性食品への食生活のシフトの促進などである。また、 出生率を低下 させることで人口増加を抑えることもできる。その他にも、 新しいグリーン・テクノロジーを推進 し、 化石燃料 への補助金を段階的に廃止しながら 再生可能エネルギー を採用することもある [ 10 ] 。 2015年に国連は 持続可能な開発目標 ( SDGs )に合意した [ 11 ] 。 持続可能な開発 への障壁を克服するための選択肢の1つは、経済成長と環境保全を切り離すことである [ 6 ] 。これは、 経済成長をしながらも、単位生産量あたりの資源使用量を減らす ことを意味する [ 12 ] 。これを実行するのは難しい。専門家の中には、それが必要な規模で行われているという証拠がないと言う人もいる。グローバルな問題は、グローバルな解決策を必要とするため、取り組むのが難しい。国連や 世界貿易機関 (WTO)のような既存のグローバル組織は、現行のグローバル規制を実施する上で非効率的である。その理由の一つは、適切な制裁メカニズムがないことである [ 8 ] :135-145。持続可能性のための行動源は政府だけではない。企業グループは、エコロジーへの関心と経済活動との統合を試みている [ 13 ] 。宗教指導者は、自然への配慮と環境の安定の必要性を強調している。個人もまた、より持続可能な生き方をすることができる [ 8 ] 。 定義 持続可能性は「規範的概念...