持続可能性を揶揄する

Wikipedia:

 持続可能性(じぞくかのうせい、: sustainabilityサステナビリティサステイナビリティ[補 1])は、将来にわたって現在の社会の機能を継続していくことができるシステムやプロセスのこと。

一般的にはそういった仕組みを指すが、環境学的には生物的なシステムがその多様性生産性を期限なく継続できる能力のことを指し、さらに組織原理としては、持続可能な発展を意味する。すなわち、人間活動、特に文明の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できるかどうかを表す概念であり、エコロジー、経済、政治、文化の4つの分野を含むものとされる。

(略)

環境の持続可能性に移行するために、人々が取りうるアプローチは数多くある。生態系サービスの維持、食品廃棄物の削減、植物性食品への食生活のシフトの促進などである。また、出生率を低下させることで人口増加を抑えることもできる。その他にも、新しいグリーン・テクノロジーを推進し、化石燃料への補助金を段階的に廃止しながら再生可能エネルギーを採用することもある[10]

2015年に国連は持続可能な開発目標SDGs)に合意した[11]

持続可能な開発への障壁を克服するための選択肢の1つは、経済成長と環境保全を切り離すことである[6]。これは、経済成長をしながらも、単位生産量あたりの資源使用量を減らすことを意味する[12]。これを実行するのは難しい。専門家の中には、それが必要な規模で行われているという証拠がないと言う人もいる。グローバルな問題は、グローバルな解決策を必要とするため、取り組むのが難しい。国連や世界貿易機関(WTO)のような既存のグローバル組織は、現行のグローバル規制を実施する上で非効率的である。その理由の一つは、適切な制裁メカニズムがないことである[8]:135-145。持続可能性のための行動源は政府だけではない。企業グループは、エコロジーへの関心と経済活動との統合を試みている[13]。宗教指導者は、自然への配慮と環境の安定の必要性を強調している。個人もまた、より持続可能な生き方をすることができる[8]

定義

持続可能性は「規範的概念」[14][15][16][17]であり、人々が何を重視し、何を望ましいと考えるかに基づいている。「持続可能性の追求は、科学的研究によって知られていることを、人々が未来に望むことを追求する応用に結びつけることを含む」[17]

(後略)

生態系サービスをWikiる

生態系サービス(せいたいけいサービス、Ecosystem services)とは、生物生態系に由来し、人類の利益になる機能サービス)のこと[* 1][* 2]。「エコロジカルサービス」や「生態系の公益的機能」(せいたいけいのこうえきてききのう)とも呼ぶ。その経済的価値は、算出法により数字が異なるが、アメリカドルで年平均33兆ドル(振れ幅は16-54兆ドル)と見積もる報告もある[* 3]

人類は、生態系によって提供される多くの資源とプロセスから利益を得ている。このような利益は、まとめて生態系サービスと呼ばれており、水の浄化や廃棄物の分解といった過程が含まれる。これらの自然の資産を人間が必要とする面において、生態系サービスは、他の生態系に由来する産物や機能と異なっている。生態系サービスは、次の4種類あるいは5種類に分割することができる[* 4]

  • (供給)食品や水といったものの生産・提供
  • (調整)気候などの制御・調節
  • (文化)レクリエーションなど精神的・文化的利益
  • (基盤)栄養循環[* 5]光合成による酸素の供給
  • (保全)多様性を維持し、不慮の出来事から環境を保全すること (※海外ではこれを除くことが多い)

人口が増加するにつれ、環境への負荷エコロジカル・フットプリント)も増加する。多くの人々は、これらの生態系サービスが無償で、壊れることが無く、無限に利用できるという誤解に汚染されていた。しかし、人類による酷使の影響は、絶えず明らかになってきている – 空気と水質はより危険になり、海では魚が濫獲され、伝染病は歴史上の限界を超えて広がり、森林伐採は洪水の調節能力を損なっている。氷で覆われていない地表の約40-50%が人類の活動によって変化あるいは劣化しており、漁場の66%は過剰あるいは限界に達するまで酷使されており、大気の二酸化炭素濃度は産業化開始から30%以上増加しており、過去2000年で鳥類のほぼ25%は絶滅した [1]

(略)

>>

日本女子大の林久史さんの「機械を有する者は, 必ず機事有り。機事有る者は, 必ず機心有り。」 (2014年 )に 我が山本夏彦さんの言葉が引用されており、面白いので以下引用:

「今は昔の, た とえば明治時代の, 五倍いそがしいと, かねがね私はに らんでいる。…五倍いそがしくても, 収入は五倍になる わけではない。つまりは損だというのが, 私の持論であ る。…それは交通機関の発達のせいなのである。自動 車をつかえば, 明治時代の十倍奔ほんそう 走することが可能であ る。けれども, いくら奔走したところで, 収入が十倍に 増えるものではない…。よしんばふえても, 金の使い道 のほうもふえている。はじめミキサー, やがてテレビ, 電気冷蔵庫, ルームクーラー-あと何があるか知らない が, どうせ何か製造するにちがいない。…かくて, どん な人も, 今は昔の五倍はいそがしい。そのくせちっとも 豊かじゃない。…常に何ものかに追跡され, ちょうど五 倍だけ不幸になった。」

『荘子』の「機械ある者は…」に続く言葉は, このあ たりの機微 をよくついている。「機心, 胸中に存すれ ば, 即ち純 白備わらず。純白備わらざれば, 即ち神 生定 まらず。神生定まらざる者は, 道の載の せざる所なり。」 これは, 「機械にたよる心が胸中にあると, 自然のまま の純白の美しさが失われる。純白の美しさが失われる と, 霊妙な生命の働きも安定を失う。霊妙な生命の働き の安定を失った者は, 道から見離されてしまうものだ」 という意味である。『荘子』は, 宇宙の「道」と一体化 することを最重視した。そのために霊妙な生命の働きの 安定性を必要とし, そのために純白な心の美しさを必要とした。「純白」も「定まった神生」も「道」へ至るた めの一種の「能力」である。こうした能力-現代から見 るとかなり特殊な能力だが, 古代中国では重視された能 力-も, やはり機械の使用によって, どこか楽をすると ころがあると, (通常の能力同様に)劣化してしまう。「道 から見離されるぞ」という『荘子』の警告は, 「機械によっ て, 効率を重視し(時間の節約), 楽をしようとすると(エ ネルギーの節約), 自分が自然にもっていた能力が損な われてしまうぞ(道の載せざるところなり)」と, さら に一般化できるものではなかったか。  

>>俺の持続可能性の揶揄は上記に尽くされる。持続可能性なるものは確かノルウェーの首相が言い出したらしいが、いかにも北欧人の言い出しそうな、進歩主義にあふれる理性的・理想論的な代物だ。神とか道とか自然の力を無視したご意見だ。

文明の利器(荘子の言う”機械”)を将来も使い続ける、そのためには人口増加を抑え、新たな機械である、グリーンテクノロジーを使う・・・どうして「文明の利器なんて使ったって、不幸になるばかりだから使うのやめよう」とはならぬのか?自分たちは散々人口を増やしてきて、「これ以上はダメ」って言うのか?「文明の利器」を使わないで人間が死にやすく、生きにくくしてあげれば人口もあまり増えずに済むだろうに。経済成長をしながらも、単位生産量あたりの資源使用量を減らすって?経済成長なんてやめれば資源は減らずに済む。人類の利益とか経済価値なんて人間の尺度だ。自然や神をも畏れぬ傲慢不遜な考えだ。

持続可能性って、人間の時間やエネルギーを少なくするため(便利のため)発達してきた文明が人間を不幸にするということを知らないうつけ者のいうことだ。不便な昔に戻って人間が自身の時間やエネルギーをたくさん使えばいいのだ。そうすれば、ダイエットなんて不要だ。

うつけ者・・・進歩や文明が人間を幸せにするということを無条件に信じ、疑わぬ者。

夏彦さんの言う通り、「便利より幸せ」だ。

閑話休題:

自由平等、法による支配、民主主義・・・こういった代物も、人間を幸せにするかどうか?自分の頭でよ~く考えたらどうか?これらのお題目を唱えて出来上がったのが皆さんが文句を言う今の世の中ではないのか???

ノアの箱舟を信じるキリスト教徒が持続可能なんてのに反対するのもよくわかる。人間がやり過ぎたら神様が洪水でも起こして「ご破算」にしてくれる。それを人間の浅知恵でどうこうしようなんて不遜。

さてさて、ディープに学習するAIは大変な電力を食うらしいが、持続可能性的見地からはどっちなのか?AIに持続可能性を検討させたいけど、そのためには電力を大量に使う・・・どっちだい?

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