オードリー・タン氏、日本への警鐘 デジタル技術で分断は防げるか
朝日新聞に以下のインタビュー記事:
私たちは15年に台湾でPolisアルゴリズムを使ったが、現在では、XやYouTube、Facebookのコミュニティーノートで使われている。こうしたアルゴリズムを分析することで、「アンチソーシャルメディア(反社会的メディア)」を「プロソーシャルメディア(社会の役に立つメディア)」に変えられる。つまり、政治家や社会活動家は、こうしたプロソーシャルメディアから、市民の意見をすくい上げることができる。これは「ブロードリスニング」と呼ばれる手法だ。
政治家に求められる役割とは
――デジタル技術が発展した先、政治家に求められる役割とは
政治家はまず、喫緊の課題が何かを理解する必要がある。二つ目はいわゆる「アカウンタビリティー(説明責任)」だ。議論を経て共通のアジェンダ設定をしたなら、政治家はこれを投げ出すようなことはできない。もしそんなことをすれば、誰も時間をかけて議論に付き合ってくれなくなってしまう。
必要なことは、あらかじめ責任を取るという態度を示すこと。これを「プリコミットメント(あらかじめの責任負担)」と言う。つまり、議論の結果どんな解決策を導き出したとしても、その責任を引き受け、どのように議論をやり遂げるかを示していく。アジェンダ設定の優先順位付けと説明責任。この二つこそが政治家にとって最も重要な要素だ。
――将来、AIが政治家に取って代わるという人もいるが、その考え方はあり得ないと思うか
私にとって、AIは補助的な知能だと言える。もしも私もあなたも対話ロボットとしか話さず、対話ロボット同士が意思決定をしたり、逆にこちらを洗脳したりするのならば、それは正しいとは言えない。
自分自身ではジムに行かず運動もしないのに、ロボットをジムに行かせてウェートトレーニングをさせるようなものだ。ロボットは重りを持ち上げられるだろうが、それでは自分自身の筋肉は成長しない。だから、私たちの「シビックマッスル(市民としての筋肉)」、つまり人と人とをつなぐ筋肉は、鍛える必要がある。だから、AIは補助的な役割だといえる。
――AIを政治に活用していく際に気をつけなければいけない最も大きなリスクとは
最も大きなリスクは、AIがなぜそのアウトプットを行ったかを明らかにできないという点だ。人間にもバイアス(偏り)があるし、AIにもバイアスがある。人であればバイアスがあると伝えれば、徐々に修正されていく。だが、AIがオープンなものでなければ、こうしたバイアスを見抜くこと自体が非常に困難だ。
「声が選択を守る」「選択が声を与える」
――AIがさらに進歩した先にどんな未来があると考えているのか
「シンギュラリティー(特異点)」は、AIが日に日に強力になることだ。次世代のAIは人の手をあまり必要とせず、その次の世代のAIを訓練できるようになる。最終的には、ある世代のAIは人間を全く必要としなくなり、自らさらに先の世代のAIを設計できるようになる。これは「技術的特異点」と呼ばれ、すべての人間が置き去りにされる。これを加速させるべきだと考える人もいれば、減速させるべきだと考える人もいる。
しかし、私にとってこれは、加速させるか減速させるかではなく、最初からその方向に進むべきではないという問題だ。
シンギュラリティーと相対的な意味を持つのが「プルラリティー(多元性)」だ。シンギュラリティーから、プルラリティーへシフトしていくべきだ。
――プルラリティーの方向性とは一体何なのか
インターネット上では、別の人が提供したデータを誰もがさまざまな方向で活用できる。プルラリティーとは、互いに助け合い、非常に透明性のあるネットワーク構造なのだ。
私にとって民主主義とは、誰もが互いの声を聞くことができる状態であり、それぞれの声を聞いた後により良い選択ができるようになること。「声が選択を守る」。そして、誰もがより良い選択ができればより質の高い意見を生み出せる。「選択が声を与える」。だから、声と選択の間の循環こそが、民主主義の未来であり、プルラリティーの方向といえる。
――日本でも社会の分断や、政治不信が進みつつある。それを乗り越えるには何が必要だと考えるか
社会の分断、つまり相互不信を抱いている状況を「ウイルス」と捉えることもできる。一部の欧米の民主主義国家では、このウイルスはすでに大規模な感染へと発展している。しかし、日本と台湾では、まだそこまでの大規模な感染には至っていない。私たちはまだパンデミックの初期段階であり、言い換えれば、先ほど話した「プロソーシャルメディア」や「ブロードリスニング」といったデジタル技術を通して、民主主義をいますぐにでもアップデートできれば、それぞれが分断されている状況を、少しずつ軽減し、問題ですらなくすことができる。
まるで、分断を防ぐワクチンのように、異なる発信源の情報でバランスをとる重要性と、異なる立場から共通のニュース価値を見いだすことの重要性を、誰もが理解できるようになる。少数のジャーナリストだけでなく、民主主義社会のすべての人々がこうしたメディアリテラシーを身につけなければいけない。
誰もがメディアリテラシーを身につければ、「抗体」ができたということ。抗体があれば、過激主義というウイルスは拡散しない。それゆえ私は、日本も、台湾も、いまは分断の中にあっても、後に分断という問題を解決できる民主主義の未来の象徴になる、と考えている。
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尊敬するタンさんの言うことだから、まず理解しようと思う。
アルゴリズムを分析することで、「アンチソーシャルメディア(反社会的メディア)」を「プロソーシャルメディア(社会の役に立つメディア)」に変えられる。
AIは補助的な知能だ
AIがオープンなものでなければ、こうしたバイアスを見抜くこと自体が非常に困難だ。
・・・タンさんは、AIはオープンなものにできる、使いこなせる、と言う。俺は人間はAIに使われる、と悲観的だ。
最終的には、ある世代のAIは人間を全く必要としなくなり、自らさらに先の世代のAIを設計できるようになる。→タンさんはこうすべきではない、こうならないように出来る、と楽天的だが・・・
プルラリティーとは、互いに助け合い、非常に透明性のあるネットワーク構造なのだ。
私にとって民主主義とは、誰もが互いの声を聞くことができる状態であり、それぞれの声を聞いた後により良い選択ができるようになること。「声が選択を守る」。そして、誰もがより良い選択ができればより質の高い意見を生み出せる。「選択が声を与える」。だから、声と選択の間の循環こそが、民主主義の未来であり、プルラリティーの方向といえる。
社会の分断、つまり相互不信を抱いている状況を「ウイルス」と捉えることもできる。一部の欧米の民主主義国家では、このウイルスはすでに大規模な感染へと発展している。しかし、日本と台湾では、まだそこまでの大規模な感染には至っていない。私たちはまだパンデミックの初期段階であり、言い換えれば、先ほど話した「プロソーシャルメディア」や「ブロードリスニング」といったデジタル技術を通して、民主主義をいますぐにでもアップデートできれば、それぞれが分断されている状況を、少しずつ軽減し、問題ですらなくすことができる。
→日本や台湾ではまだ民主主義のアップデート可能だ、と。。。言い換えれば先生役だった欧米先進民主主義国家においてはもう、民主主義は再生不可能、ということか。俺は、今までの歴史を振り返れば、日台はに限らず後進国は、何十年か遅れで欧米先進国が進んで道を歩むしかない、と思う。
メディアリテラシー・・・我がCopilot様によれば、「メディアリテラシーとは、情報を批判的に分析し、適切に活用する能力のことです。テレビ、新聞、インターネット、SNSなど、さまざまなメディアが発信する情報を鵜呑みにせず、信頼性を見極めたり、情報の背景を理解したりする力が求められます。」・・・結局、俺はこんなもの身につかない、と絶望しているのに対し、タンさんは楽天的なんだ。ここで話がグルグル循環する。メディアリテラシーを失わないからAIも使いこなせると考えるタンさんは民主主義も安泰と言う。AIにコントロールされてメディアリテラシーも失うと考える俺は民主主義もオワコンだ、と。タンさんには対中国ということから、台湾の民主主義が生き残って欲しい、という希望的観測もあろう。
今までの歴史に反し、日台が欧米の跡を追わないことを祈る。
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