立川志らく「雨ン中の、らくだ」

 立川志らく「雨ン中の、らくだ」という本は、志らくの考える談志のベスト・パフォーマンスを紹介する本だ。

以下、志らくが取り上げた噺を、談志と志ん生(志ん生のものが残っていない場合には小さん他)と聞き比べた結果。この1週間ほど、日に何時間もYou Tube で落語を聞く。落語漬け。

松曳き:ストーリーは一応あるが、ナンセンスギャグの連続。談志、小さんとも面白い。くすぐりというか、ギャグが。小さんの方が腹を抱えて笑えた。松曳きという話と、それを演じる小さんの面白さを知ったのはこの本のご利益だ。

粗忽長屋:兄弟分が死ぬ話。死体で遊ぶ。談志イマイチ。志ん生「死んでたのは、おめえだ。」と言われた弟分の、あきれたような、あっけにとられたような反応がいい。

鉄拐:中国が舞台。仙人を客寄せに雇う話。談志イマイチ。You Tube には談志以外には古今亭菊龍のやったものしかない。やっぱりイマイチ。仙人が自分のための術を人に見せて金をもらうために芸にして切り売りするのを談志自身に重ねたか?

二人旅:小三治つまらない。 小さんは都都逸でくすぐりというか、ギャグ連発だが腹かかえて笑うほどではない。 談志は小さん師匠のマネ。ただし、オチは変えている。

らくだ:長屋の嫌われ者が死ぬ話。死体で遊ぶ。志ん生 そこそこ。屑屋はいい。談志 雨ン中の、らくだを挿入するが、意味不明。らくだを焼き場に持っていくときに落して代わりに酔っぱらいを担ぐ場面を省略するが、ここは省略しない方がよい。

お化け長屋:長屋の空き家で殺された女が幽霊となって出てくるというウソ話。志ん生 面白い。火炎太鼓、風呂敷と同様腹を抱える。談志 イマイチ。

居残り佐平治:談志 面白くない。佐平治の演じ方が素人くさい。 円生 佐平治は談志より格段いい。

短命:美人の旦那さんが何人も早死にする話。談志・小三治ともつまんない。

黄金餅:しみったれ坊主が金を餅に入れて食って死ぬが、それを見ていた隣の男が死体を焼いて金を持ち出してそれを元手に成功する話。死体で遊ぶ。志ん生 滅茶苦茶なお経の「チーン」の間が吉本の島田珠代の「チーン」と通じる。 談志 投げやりな感じ。

富久:金原亭馬生 まあまあ。でも面白くはない。 談志 理屈が先走ってつまらない。聞くに堪えない。 志ん生 志ん生らしい。 

堀の内:粗忽もの。志ん朝 志ん生の血筋を感じさせる。スプラスティック。 談志 つまらない。くすぐりが外れ続ける。粗忽者になりきれない。

三軒長屋:志ん生。 志ん生らしい。間で笑わせる。 談志 志ん生のマネ。相変わらず、お上さんも間抜けも下手。勉強のしすぎか?知識のひけらかしか?

やかん:三遊亭金馬 十八番。ちょっと手あかがついた感じ。 桂文治 縮れっ毛の高島田(=結いにくい) 談志 オリジナルギャグをふんだんに。そこそこ。知識のひけらかしとも。

天災:親を勘当しようと言う素っ頓狂な男の話。心学の先生が出てきて、堪忍を説く。なんか、護憲を連想させる。小三治 小三治の味が出ていて素晴らしい。笑える。 談志 素っ頓狂ぶりに無理がある。

よかちょろ:「親なんてものは、抜け殻だよ。死なないようにごはんをあてがっておけばいい」桂文楽 文楽らしく。 談志 「自民党には色々なヤツがいる。ただ一点、金で繋がっている。非常に健康なとこなの」上から目線で「お前らには分からんだろう」と言い、それに媚びる客。「悔恨の情を示すなら罪を重くしろ」「文楽師匠のよかちょろが好き」 話の出来は悪い。「最近TVはつまらないから見ないの。(金を払ってないで見る)WOWWOWは面白い」は秀逸なジョーク。

源平盛衰記:談志 やっぱりひけらかし。他にやったのは三平のみか?三平らしい。

金玉医者:談志以外の音源見当たらず。「土人」を「つちびと」。まあまあ。

芝浜:三木助 本家らしい風格。 談志 ひけらかし。下手。主人公が仕事をさぼろうとして屁理屈を言うところは理屈が立ちすぎる。臭い。 志ん生 持ち味を存分に。ただし、主人公が断酒するところはリアリティーなし。逆に貧乏を語るところはリアリティー満載。女房は下手だが、味はある。円楽の方が談志より臭みがなくていいか。小三治のお上さんが嘘ついて旦那を騙すところはうまい。

以上18題。うち、5つは死、死体が主題だ。(談志が得意な)落語は死、死体を語るものか?特に談志は、「命は地球より重い」や平和憲法を馬鹿にするために人間は死ぬものだ、死体で遊んだっていいんだ、戦争するのが人間の業だ、と言い張った。

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談志は古典落語で描かれる江戸っ子、それを演ずる噺家の了見に憧れ、知識・情報をため込んだ人。ただし、了見は身につかなかった。談志憧れの志ん生はその了見そのものだった。生まれ育った環境時代背景が両者の差を産み出した。1900年前後に生まれた志ん生、文楽、円生・・・は物心つくと日露戦争に勝って”坂の上”に上り、その後、第一次世界大戦のバブルで絶頂に達し、それから坂道を転げ落ちる日本を味わった。

1936年生まれの談志は物心ついたら日本は一億火の玉、鬼畜米英でその後負けた。戦後、経済成長したが、敗戦で大切なもの、伝統を失ったと考えた。

明治維新以降の日本の成り上がりぶりは奇跡だった。この自前の奇跡をリアルタイムで経験したかどうかがこの違いの元だ。敗戦後の復活も”奇跡”と言われたが、それは自前ではなく、アメリカが防共・冷戦に日本を引きずり込んだ代償であり、与えられたものだった。

ついで志ん生世代はTVがその影響力を発揮する前に全盛期を迎えたことだ。例えば志ん生が脳溢血で倒れたのが1961年だが、1953年に日本で始まったTV放送は1950年代は管理も行き届いてなかった。そもそも新しいメディアであるTVの管理方法が確立されてなかった。放送禁止用語の縛りも弱かった。なんせ、生放送中心だったし。

1960年代、TVに出るためには落語(を含む演芸)は時間管理され、放送禁止用語の縛りを受け、モラルを求められた。また寄席も少なくなった。占領軍のおかげで日本の伝統は「封建的」と言われ、左翼は新鮮だった。

談志は1962年小さんに弟子入りした。落語が売れるにはTVに出る必要があり、同時に志ん生世代の落語は封建的だ、古いと人気が落ちた。談志はTVで売れる落語を考え企画すると同時に憧れの志ん生世代の芸をどうやって守るのか?を考えたが解決法は見つからず、世の中はコンプライアンス、ポリティカルコレクトネス全盛となった。

談志は、自分は志ん生世代の芸を自分の芸として再現するのでなく、真似することで懐かしむ。そうすることによって志ん生世代の了見を第三者的に語る。自身がその了見そのものになってはTVに出られないから。そしてそうせざるを得ない自分を馬鹿にし、嫌になって「金正日万歳!」と叫んで憂さを晴らす。

俺の尊敬してた会社の上司先輩は談志世代だ。つまり戦前の良さへの回顧、憧れと戦後民主主義との間で苦悩していたから”深み”があった。その後の戦中戦後生まれ、団塊の世代は戦後民主主義ばっかりで薄っぺらかった。


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