意識高い系ビジネスマンもけっきょく「年収1000万円欲しい」「頭がよくなりたい」だけだという「身も蓋もない事実」
2025.5.30付け現代ビジネス
仕事を通じて「成長」を実感
パーソル総合研究所「働く10000人の就業・成長定点調査2024」によると、「『働くことを通じた成長』は重要」だと感じる層の割合は76%。値がピークだった2021年の82%(『夫は成長教に入信している』が発表された年と考えると納得感がある)に比べるとやや減っているが、相変わらず8割近い人たちが働くうえで成長という考え方をとても大事にしている。また、「『働くことを通じた成長』を実感」しているのは53%。社会人の半数程度が、仕事をしながら自分の成長を感じているようである。
この調査では、先ほど触れた「みんな成長と言うけど、実際は何が成長だと考えているか曖昧では?」という問題提起に対して示唆を与えてくれる結果が存在している。「『働くことを通じた成長』にどのようなイメージを持っていますか?」という質問への回答について、トップに来るのは「報酬の上昇」である。
「成長する」とは「報酬をたくさんもらえるようになる」ことなのだろうか? 別の質問を見てみると、「仕事内容を選ぶ上で重視することは何ですか?」という問いに対して上位に挙がるのは「休みが取れる/取りやすいこと」(39%)、「希望する収入が得られること」(37%)、「職場の人間関係がよいこと」(37%)の3つで、やはりお金に関する選択肢がメジャーな回答として食い込んでくる。76%の人たちが「『働くことを通じた成長』は重要」だと言っているわりには、「色々な知識やスキルが得られること」は14%と収入に関する項目の3分の1程度にとどまる。この傾向は、今よりもさらに成長が重視されていた2021年でも同じである。
年収1000万円の壁
『夫は成長教に入信している』の原作者である紀野しずくは、筆者の取材に対して以下のように語っている。
─もう少し突っ込んでお聞きしたいのが、ここで言う「成長」「高み」、あとは「爪痕」といった言葉が何を指しているのか、という点です。「成長したい」として、じゃあ「成長が達成された状態」って何なんだろうなと。
紀野:そうですね……もちろん人によって違うとは思いますが、私が話を聞いた人たちの中だと、“年収1000万円の壁”があるみたいで。
─なるほど。お金の面での指標がある。
紀野:例えば、コンサルティング会社のマネージャーであったり、他の業界でも、ある程度裁量のあるポジションには、これくらいの年収をもらっている人もいます。そこから先にはもっと高いポジションがあるわけですが、まずはこのラインを越えたいという気持ちが強いようです。ただ、ご指摘の通り、この辺は「成長」と言っている方にとっても曖昧なんじゃないかなと思います。成長するのは大事という考え方が先にあって、でも何を目指すかは明確ではないので、そこに見えやすい基準が持ち込まれるという話なのかもしれません。
(前掲「『仕事で成長しなきゃ』は危険サイン? ビジネスパーソンが陥りがちな『成長』のワナ」)
多くのビジネスパーソンが掲げる「成長」とは、結局のところ「もっとお金が欲しい」ということにすぎないのではないか? なお、先ほど紹介した調査によれば、「社会に貢献できる」と成長も決して結びついていない(Z世代は社会貢献意識が高いといった定説もあるが、この結果に世代差はほぼない)。表向きのきれいな言葉とは裏腹に、そこにあるのは身も蓋もない欲望である。
「頭のよさ」への絶大な支持
身も蓋もないという点で言えば、注目したいのが2023年に刊行されて大ヒットとなったビジネス書、安達裕哉『頭のいい人が話す前に考えていること』である。同書の序盤に登場する「頭のよさに基準はない。されど頭がよくないと生き残れない」という見出しが象徴的だが、こういったビジネス書らしい生き残りのためのアジテーションにかつて使われていた言葉は「○○力」であり、最近では「教養」が頻出ワードである(拙著『ファスト教養』参照)。そこからさらに状況が進んで、「頭のよさ」というあまりにもダイレクトな表現が絶大な支持を得ているのを目の前にすると何とも言えない気持ちになる。ひろゆきがやたらと「バカ」という表現を使っていたことに対する反動なのかもしれないが、もはや欲求レベルが小学生に近づいているようにも感じる。
ちなみに、同じ調査の「勤務先以外での学習や自己啓発活動として、行っていることは何ですか?」という問いに「読書」と答えたのは20%。働くことを通じた成長の大事さを意識する人の値に比べるとだいぶ低い。この数字のギャップにこそ「成長のために本を読んで勉強したいができない」というビジネスパーソンの欲求不満が表れており、そんな気持ちをうまく拾い上げたのが三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』だろう。本を読みたい、だけど読めないという気持ちが社会全体に渦巻いていることが同書のヒットによって証明された。なお、この本は「40代以下のビジネス書読者層を新書の世界に引き入れている」そうである(「『本が読めない』は働き方に問題あり? 新書が謎解き 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆著」「日本経済新聞」2024年6月22日)。
本を読んで頭がよくなって、最終的にはもらうお金を増やしたい。成長したいと言えば何となく聞こえはいいが、結局本音に迫るとその程度のものなのかもしれない。成長などとかっこつけずに、思っていることを口にする人の方が個人的にはかわいげがあって良いと思うのだが……。
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今の若くて意識高い会社員(”ビジネスパーソン”なんていうとってつけたような言葉は嫌いだ)が二言目には言う建前(あるいは流行語)「成長」・・・50年前俺たちが会社に入った頃の建前は「恩返し」だったような気がする。
俺たちは団塊の世代の後の「しらけ世代」*と呼ばれた。従って今時の「成長」みたいな歯の浮くような決めゼリフはなかったが、学生運動の闘士みたいに革命に夢を託すのも白々しく、またバカバカしく、「いい学校に入っていい会社に入る」という流行に乗っかって会社に入ったものの、シラケていたから会社に忠誠を尽くす気もなく、また生涯会社に勤めるといった志もなかった・・・面白ければ、居心地がよければ居続けてやろう、ってな具合。
ところがいざ会社に入ってみると、上は兵隊帰りのおじさんから下は去年入社した1年先輩までヒエラルキーが出来上がっており、様々な階層の人に(場合によっては取引先の人にも)、私生活まで面倒見てもらった・・・悪く言えば干渉・監視された。それが1,2年続くうちに自分も先輩と同じキャリアを辿るんだろうと思った。つまり、「何年先にはどこで何してる」と言うモデルがあった。・・・そこから外れるのが嫌になり、恐怖と感じるようになった。
今でも3年我慢すれば・・・などと言う人がいるが、当時は「新入社員は3年間は役に立たないから会社に面倒見てもらい、4年目から会社に貢献する」という考えは根強かった。〇〇組に入ったヤクザ同様、「一宿一飯の世話になったから会社に恩返しする」といった塩梅だった。つまり会社は「家」であり、就職するということは家の一員になることだった。そして一旦その家に入ったからには生涯その家にとどまって家に尽くす・・・終身雇用は、意識するしないに関わらず、当時の黙契であり、大前提だった。
ハラスメントなんてなくて、先輩上司は親兄弟の如く「家」の風習、作法を教え、新入社員は弟子になって学び、真似した。
逆に言えば、会社というものは永久に不滅であり、今までの延長線上の仕事をすれば生きながらえて社員の面倒を見てくれる、という幻想が支配していた。それが10年もすると、「今までやったことのない新しいことをしないと生き残れない」に変わり、ついでバブルがはじけて会社は潰れたり、くっついたり離れたり、首切りもするという当たり前のことを目にするのだが。
*我がCopilotによれば;
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