正論のような顔して流れ出す陰謀論 江川紹子さん「放置はまずい」

朝日新聞に以下: 

かつては新聞やテレビなどマスメディアから情報を得るのが主流でしたが、今はSNSを中心に情報を得る人が増えています。SNSには真偽不明だったり発信元が不明確だったりする情報もあり、何げない投稿や拡散で、誰かを傷つけてしまうことも少なくありません。そんなSNS時代に私たちマスメディアに課されている役割とは何か。フリージャーナリストの江川紹子さん(66)と考えました。

――江川さんもX(旧ツイッター)を使って発信していらっしゃいますね。

 このところ、SNSを使う機会が減りました。文脈を取り違えて反論してくる人が多くて、くたびれちゃったんですよね。

 前は楽しくて、有益な世界だったんですけど。情報が正しいかどうか以前に、好きか嫌いかという感情・感覚的なもので非難してくる人たちがいて。SNSに没入している時にそんな投稿を見ると、みんなが私のことを嫌ってるんじゃないかって陥ってしまうのも、分かります。

 それでもやめないのは、惰性ということもありますが、専ら情報源がSNSという学生たちに、マスメディアの出す情報につなげていきたいからです。今、大学の授業で新聞を読ませていますが、自発的に読んでもらうのは難しい。彼らにこのニュースが届くかもしれない。そんな思いがあって、読んでもらいたいニュースにリンクする発信をするなど、とりあえずやめないって感じですかね。

SNSで危ないのは、むしろ中高年

 ただ、SNSに関してはとかく若者たちの問題と見られがちですが、今の学生たちはSNSを見るだけで、リアクションをしない子が多いです。意外なことに結構警戒心を持っていて、慎重なんですよ。

 危ないのはむしろ中高年の方。テレビや新聞など、マスメディアが出す情報になじんでいた世代が、同じような感覚でSNSの情報と接する人が結構いらっしゃるように思います。新聞は載るまでにいろんな人の手が加わって、事実確認をしているじゃないですか。一方、SNSでは真偽不明、あるいは明らかな虚偽、さらには陰謀論的な情報が、事実と等価値のもののように飛び交っている。にもかかわらず、その情報と同じような感覚で接し、「マスコミが報じない真実」を信じてしまっている。危ないところがありますね。

 ――SNSが主流になっている今、私たちメディアの役割とは何なのでしょうか。

 もちろん物事は毎日動いているわけで、マスメディアが今日出す情報が明日も100%正しいかどうかは分からない。でも、いろんな人の手が加わって、確認して発信している情報なので、精度はかなり高いと言えるでしょう。

マスメディアが報じるファクトを多くの人たちが共有し、それをもとに物事を論じ、よりよい方策を決めていくのが民主主義の基本だと思います。それぞれが信頼度の低い情報をどれだけたくさん積んでも前提が食い違い、話がかみ合わない。報道機関の方には、民主主義社会の土台となる情報を提供しているという自負を持って報道してもらいたいですね。今のマスメディアの人たちはいろんなたたかれ方をしているので、自信喪失に陥っていると思います。

 今のマスメディアバッシングは、傾聴に値するものとそうでないものがあって、そうでないものの方が結構多いんですよ。「マスメディアは悪」という、ある種のイデオロギーみたいなものもありますよね。ポジティブな反応が増えるほど、面白い記事や番組が増える傾向にあるので、そんな反応があふれるSNSになるといいんですが、悪意や怒りの方が広がりやすいのが現実です。

陰謀論につなげて発信、カルト性の一つ

 ――SNSの投稿の中には、陰謀論のようなものもあります。対処法はありますか。

 陰謀論の多くは、以前は同好会のような趣味の世界でした。月刊「ムー」のように、楽しく陰謀論を論じていたのが、今は正論のような顔をして、一般社会に流れ出してきていると思います。まるで、かつてカルト団体が人々の心を操作するのに用いたように、「現状の裏には、実はこういうことがあるんだ」「諸悪の根源はここだ」と言い募る。

 自分の意見が批判されると、被害者意識を過度に募らせ、陰謀論につなげて発信する人もいます。私はある種、カルト性の一つだと思っています。

 そんな陰謀論や明らかな虚偽情報に対し、マスメディアはこれまでまともに相手にせず、見て見ぬふりをしてきました。これからの時代、それはまずいなと思いますね。放置している間に、陰謀論的発想や虚偽が広がっていくからです。面倒でも、専門家の話を交えながら、一つひとつ根拠を示して否定しないと、勝手にフェイクニュースが育っていく感じがします。明らかに事実と違う情報は、プラットフォームの方でもチェックする責任はあるでしょうね。

 ――私たちメディアも時代とともに変わっていく必要があります。

 ジャーナリストの故・青地晨(しん)さんの言葉でものすごく好きな言葉があります。「同じことをみずみずしい感動で言い続けたい」です。

 このところ、オウム真理教事件のことで、若い記者の人から取材を受ける機会が増えました。私たち世代が当たり前だと思い、もう語り尽くしているかのように思っていることでも、若手の記者は新鮮な感覚でそれを受け止め、心を動かし、記事を書いてくれます。それを新しい読者が読むわけです。

 大事なことというのは、聞き手が感動するからこそ伝わるんですね。聞き手を変えながら言葉をつなぐことで、次の世代にも広がっていくと感じました。

 だから、同じ人のところに行って話を聞いて書くことも、決して無駄なことではありません。同じ事柄でも、一言一句同じじゃないですからね。聞きたいことがあって記者になっているんですから、「すでに出ている話だ」とためらい、自らを抑制する必要はないです。新たな目で見て、聞いて、みずみずしい感動とともに、伝え続けることが大事だと思いますね。

 ――改めて、私たち新聞が期待されていることは何でしょうか。

 多くの人たちがSNSで情報を得るようになりました。でも、新聞の方が信頼できるって分かっている人も少なくない。その情報が本当に正しいのか、信頼していいのかを検討する、あるいは考え直す材料を提供することが必要だと思います。ある種のセカンドオピニオンなのかもしれないですけど。調査報道など、元来のマスメディアが担ってきた情報発信は大事で、それにファクトチェック機能が付け加わる、ということです。

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神奈川大学特任教授の江川さんは学生に接しているだろうから俺より若者=日本の未来に関する情報も豊富で確かだろう。その江川さんがまだまだ絶望していないのだから絶望しなくてもいいのだろう。

情報が正しいかどうか以前に、好きか嫌いかという感情・感覚的なもので非難してくる人たちがいて・・・SNSって科学を捨てさせる力がある。こっちの力の方が強くてオールドメディアはダサいものになってしまった。

マスメディアが報じるファクトを多くの人たちが共有し、それをもとに物事を論じ、よりよい方策を決めていくのが民主主義の基本だと思います・・・だから、民主主義はカッタルイのではにか?陰謀論でも何でも好きなものに引っ張られたくなっているんじゃないか?民主主義はタイパが悪い。

陰謀論・・・トランプのディープステート論、石丸伸二の「市議に恫喝された」論。いずれも科学的なエヴィデンスはない。科学的な立場からすればウソの陰謀論なのだ。俺は、科学より陰謀論の方が有力になりつつある、と思うが。言い換えれば進歩主義、科学、民主主義などでは明るい未来を描けなくなり、絶望した人々が増えて来て、陰謀論や好き嫌いに走る・・・

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