科学の条件:京都大学理学研究科 理学部(2016年2月) より

「科学的」であることは万能ではない:

昨秋、子宮頸がんワクチンを接種した思春期の女の子に重篤な副作用が出やすいという指摘に「科学的な根拠がない」と反論して一躍話題を集めた、医師免許を持つジャーナリスト村中璃子さんの講演を聞きに行った。彼女は接種の副作用とされる症状は元々その年代の少女によく見られるとしてワクチンの接種停止決定を批判した。科学的なデータに基づかない主張には逐一反論してくださいと聴衆の医師らに呼びかけ、講演を終えた。

 

主張には筋が通っていたが、「科学的に正しい」ことを重視しすぎると、科学の範疇ではない問題を軽視することになりかねないと不安になった。「科学的な根拠がない」とは「今の科学には結論を出すことができない」という意味であり、「正しい」か「正しくない」かを科学には判断することはできず、その材料を与えるに過ぎない。科学的な根拠のない主張を認めないことは、絶対的ではないはずの暫定的な科学の見方を絶対視することになりかねない。

 

また、科学に答えらそうでも実は答えられない問題は多い。例えば、「因果関係を科学的に証明できない」として与えられてこなかった原爆による被曝認定を求める訴訟は未だ続いている。科学的判断をする上で必要なデータが揃っていないためだ。被曝認定に必要なデータに今となっては集められないものがあるうえ、被曝による健康被害は個体差が大きいので容易に科学に答えを出すことはできない。証拠となるデータが揃っていない問題は、科学には解決できないのだ。

 

さらに被曝認定も薬害騒動も、因果関係を示すことと同様に因果関係の無さを証明することも難しい。因果関係の有無の境界線の決定もまた科学の対象外なので、科学によらない方法で線引きをすることになる。「科学的な証拠がない」場合でも「正しいかもしれない」ことは無数にある。科学技術は私たちの生活を豊かにしてきたが、その使い方によっては私達の生活を脅かしかねない。「科学的である」ことに頼りすぎてはいけないという認識を一人一人がもち、科学に解決できない領域は科学者でない人も一緒に考えていかなくてはいけない。



科学の条件: 

ある研究が科学として認められるのかどうか。これは科学者にとって大きな問題である。実は、科学には明確な定義がない。今いわゆる科学と呼ばれているものは経験的に正しいと判断されてきたものの積み重ねなので、科学者はその上に自分の研究を上乗せできるかどうかにかかっている。

 

科学は、漠然と皆が正しいと思ったから積み重ねられてきたわけではなく、認められる判断基準を満たしたもので形作られてきた。だから科学の堅城は容易には崩れない。その基準のキーワードは、因果関係、対照、検証の3 つであると考える。相関関係と因果関係は混同しがちなので、違いに敏感でなくてはならない。ある調査や実験で集めたデータの妥当性を証明するためには、対照と比較することが重要である。また同業者の目から見てもらい、検証できる状態にしておくことも大切な要素である。

 

反例として、ニセ科学の一例となったマイナスイオンを考えてみる。一時期マイナスイオンを浴びると癒されるとか免疫力が高まるといった言説が流布した。元は森林や滝に行くと気持ちが良いことと、その周辺にマイナスイオンが多いことから健康効果を謳ったのが始まりとされる。しかしイオンが体内で何らかの働きをして良い影響を及ぼすという因果関係を示したデータはない。科学的でない言説だったがメーカーはこぞって商品開発をし、消費者も踊らされてマイナスイオン家電を買い求めた。

 

冒頭で科学についての認識が科学者にとって大事だと述べたが、私たちにとっても重要なことだ。ニセ科学に振り回されて損をしたり騙されないために、科学のようなものに出会った時は一度疑ってみる必要がある。


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被曝認定や薬害騒動は科学ではなく、政治が判断するのだ。かつては、その判断をするには、データを集め、対象と比較・検証(ファクトチェック)し、因果関係の有無について検討をし・・・つまり科学的アプローチを試みるのが建前だった。


SNSを使えば、”漠然と皆が正しいと思うこと”、あるいは故意に作られた情報・ウソがあっという間に拡散し、「世論」となる。意図的に情報を拡散し、SNSをうまく使えば人気者・インフルエンサーになれる。人気者・インフルエンサーは議論を好まない。つまり、言葉を信じない。言葉は議論したり、何が(誰が)正しいのかの判断材料にはならないのだ。

彼らは自分が正しいと思う事実がある(あった)と言い張るが、その事実が検証不能でも構わない。つまり、平気で嘘をつく。そして彼らの信者は検証も因果関係も無視して”漠然と正しいそうなこと”を求める。

オールドメディアと言われるものは、ファクトチェック、事実の検証、つまり「科学的たらん」とするばかりに、SNSの影響力に負けている。とりわけ、「科学的な証拠がない場合でも正しいかもしれない」こととなると、からきし弱い。

特にリベラルと言われるメディア、政党は科学的たらんとするから最近、威勢が悪い。


科学がオワコンなのか?民主主義がオワコンなのか??「真に正しいこと、万人にとって正しいこと」を求めようという姿勢がオワコンなのか???


この文章が書かれたのは2016年と思われる。爾来9年、もう、ニセ科学を装う必要もなくなった。2017年の米大統領選にトランプが登場して以来、ウソついたもん勝ちになり、2022年、ロシアがウクライナに攻め入ったときも、何が(ロシアとウクライナのどっちが)正しいのか、詮索不能になった。


科学の生み出したSNSによって、科学的に真実を追求しようという態度、科学的たらんとする姿勢が否定される。弁証法だ。


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