Steamin' with the Miles Davis Quintetを聞く
今は亡き畏友から借りてダビングしたきり、一回も聞いていなかったアルバム。名作だという定評があるアルバムだから、へそ曲がりの俺としては素直に聞こうと言う気にならなかったのだ。また、「持っていれば聞かんでもいい」というコレクター心理というものもある。畏友その他から借りたレコードからのダビングやらラジオのジャズ番組の録音やら500本以上のカセットテープを、「死ぬまでに1回は聞こう」と順番に聞いていたら、50年以上ぶりにStemin'を聞くことに。
やはりいい。Miles Davisもさることながら、ピアノのRed Garlandがいい。もう1回聞く。さらにもう1回、となるとやはりYouTubeの方が便利だ。YouTubeで聞き直す。このGarlandのピアノをどう表現したらいいんだろう・・・
YouTubeで聞いてる間に加持顕さんという人の「ジャズに願いをのせて」というブログを読む。感心した。このアルバムを紹介したブログの冒頭部分、以下抜粋:
マイルス・デイヴィス(Miles Davis)率いる1950年代の黄金クインテットは、プレステッジ(Prestige Records)との録音契約を履行するため、1956年の05月11日と10月26日の2回に分けたスタジオをライブ会場に見立てた長時間録音、通称「マラソン・セッション」に挑みます。
2回の録音の間、「カフェ・ボヘミア(Cafe Bohemia)」に長期出演して超満員の聴衆を沸かせ、またアルバム「'Round About Midnight (Columbia CL-949)」として発表される録音も平行して行われておりました。
つまり、この時期のマイルス・デイヴィス(Miles Davis)は、ようやく商業的な成功を収め、自身が満足する収入を得て、心身ともに充実した生活を過ごせるようになった訳ですね。
>>Miles Davisの当時の様子が目に浮かぶような素晴らしい紹介。アルバムジャケットの写真ものせてあって至れり尽くせり。(ジャケットにはMilesがマッチを擦って煙草に火をつけてる写真が使われているが、こんな写真、今のご時世だったら絶対公衆の面前には出せない)そして何より感心したのは、Garlandのピアノを「玉を転がすよう」と表現し、また「幽玄」と表現したところ。確かに右手のシングルトーンは玉をころがすようで、また、ブロックコードを使った演奏は幽玄だ。俺は、このブロックコードの演奏を聞いていると「初夏の夕間暮れ」を感じる。薄暗くて生暖かい感じ。
閑話休題:「幽玄」をWikiると、
鴨長明は、その著書『無名抄』の中で、幽玄を「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし」「心にも理深く詞にも艶極まりぬれば、これらの徳は自ら備はるにこそ」と、問答形式の中で定義している・・・とある。
幽玄て、「絵にも描けない美しさ」ってことだ。
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