池田晶子の言葉「人生は終わらない」
「絶望を生きる哲学」より引く:
人生は今回限りではない。人生はこれで終わりではない。この認識の厳しさこそが、善く苦しむための力なのだ。なぜなら、魂の完成形としての「神」もしくは「善」が明らかに見えている限り、人生が今回限りであるにせよ、それは徒労で終わったことにはならないからである。今回は今回で立派に完結するからである。
どうせ死んでしまうのに
この半端な腹のくくり方が、いかに魂を堕落させることか。
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人生の醍醐味は苦しむことだ。その醍醐味を味わう覚悟がなければ生きない方がよい。
苦しみから逃げずに、正面から苦しむ。それが善く苦しむという事。善く苦しむことが「神」だ。
どうせ死ぬんだから、と逃げるんなら初めから生きるな。
人生は今回限りである。今回限りだから精一杯苦しむ。それが楽しむ・善く苦しむという事。それが生きるという事でそういう人生なら一回限りであるが、無駄ではない。意味がある者だ。
閑話休題:
enjoyという言葉ががある。これは「楽しむ」と訳されるが、正しくは、上述の、醍醐味を味わうと言うことだろう。言い換えれば「酸いも甘いも嚙み分ける」ということ。
池田昌子は生まれることに意味や理由・目的はないと言う。そして生きるという事はほとんど苦しむということと同義だ。でも、だからといって無駄だとか空しいとか考えるな、それは逃げだ、と。逃げたり、ずるしたりせずに、正面から受け止めて、正しく(善く)苦しむこと、それが人生の目的で人生に意味を与えるんだと。
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