池田晶子の言葉「人類の集団的勘違い」
人類の宗教史における最大の勘違いは、「解脱」とか「自由」とかは、徹頭徹尾自分一人の課題であるはずなのに、大勢で集まって一緒にそれを何とかしようとする、なんとかできると思っている、というこのことで、どだいすれは筋違いなのだ。内的自由を希求するために、なぜ集団にまとまる必要があるのか。集団にならなければ達成されないような自由など、どれほどの自由であるというのか
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池田さんの言う宗教は「小乗仏教」だ。大乗仏教や日蓮宗などは他人を救おう、そのためには支配者に物言おうと言う「宗教」だ。日蓮宗などは確かに政治集団だった。それで得られる自由もある。ただし、その自由は規制からの自由だ。池田さんの言う「自分からの自由」、ではない。でもそんな規制・強制からの自由でも結構ありがたい。
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