池田晶子の言葉「正しく考えよう」「誰でもない我々」
本当のことを知るためには。正しく考えることが必要だ。「正しい」ということは、自分一人に正しいことではなくて、誰にとっても正しいことだ。本当のことを知っているということは、それ自体が自由なことなんだ。
自由を他人に求めることで我々は誤るのである。人は言う。「自分の自由」。そうではない。本当の自由とは「自分からの」自由である。自分が誰かであることを、何かに求めることをやめることだ。
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本当=誰にとっても正しい=自由・・・これらは、池田にとって「生きる」ということと同じだ。間違った意見、みんながそうだ、という意見・・・それに反対するだけでは同じ土俵だ。他人の意見を無視して自分で考え、自分の言葉で語ることが「本当」だ。そしてそれが誰にとっても正しいことを目指す・・・これは絶望的に難しい。「俺はこう思う」と言って反論を待つしかないように思う。今時、「誰にとっても正しい」ってあるんだろうか???なくても目指せということか。
一時はやった「自分探し」・・・転職好きはその延長か?どんな仕事をしてるかでは自分が何者であるかかを示すことはできない。
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