滅亡後の満州

以下、Wikipediaより:

 1945年8月18日、皇帝溥儀が退位を表明、満州帝国は滅亡したが、そもそも満州帝国なぞ、国際的には存在していなかった。国連が認めておらず、わずかな国が承認していただけだった。

つまり、満州は”中国”の一部のままであった。問題は、この”中国”の代表は蒋介石の国民党なのか、毛沢東の共産党なのかであったが、1949年まではっきりしなかった。

1945年8月14日、中ソ友好同盟条約*がソ連と国民党との間で締結され、この時点で国民党は米ソ両国の支援を受けることになった。一方共産党の人民解放軍は旧満州の兵器を接収して戦い、戦況は一進一退だった。

1947年、冷戦が激しくなってソ連は共産党支持に回り、アメリカは日本占領に重点を置くようになり、また農民の支持を得た共産党が優勢となって1949年、国民党は台湾に逃れる。1950年2月14日に中ソ友好同盟相互援助条約**が結ばれ、中ソ友好同盟条約は無効となる。

*中ソ友好同盟条約では、ソ連の旅順・大連の港の租借や旧満鉄管理への参画の見返りに3か月以内にソ連は撤収することになっており、満洲は蔣介石率いる中華民国に移譲された。(実際にソ連軍が撤退したのは1946年5月・・・撤退までの間にソ連軍は旧満州国の持ち出せそうな機械類を根こそぎ略奪して本国に持ち帰った。)

**中ソ友好同盟相互援助条約により、中国はソ連のジェット戦闘機や原爆の技術を手に入れた。1953年のスターリンの死後、ソ連はスターリンへの批判・反動から平和路線に切り替わった。毛沢東はこれを批判し、中ソ対立が始まった。

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