池田晶子の言葉「たまたま」のこの人生

 なぜ自分はここに生まれてあそこに生まれなかったという事は、考えても理由がない。理由が見つからないという事は偶然である。したがって絶対である。この偶然的なことが絶対的であるという原点に気がついていると、自分の人生に、言って見ると腹が据わるんですね。人と比較するということがなくなるんですよ。だって絶対なんだから、自分の人生はこうであり、これ以外ではあり得なかった、こうわかっているなら、あとは黙って生きるだけだ。

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「自分の人生はこうであり、これ以外ではあり得なかった」と思うと同時に、「アイツの人生はいいなあ」とも思う。俺の人生の原点は「相対的」だ。「下品に腹が据わった」とも言えるか。だから愚痴をこぼしたり「愚痴をこぼすのは格好悪いいなあ」という見栄を張ったりして生きてきた。

偶然=運命。これを受け入れる=神を受け入れる。

恵まれているアイツじゃあなく神を相手にすればよかった。神とは他人と比較して苦しむことから逃れるための道具か?

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