ネット右翼になった父 鈴木大介より
父親との距離が縮まらなかったことを反省・振り返った鈴木大介の「ネット右翼になった父」より以下抜粋・・・彼の父親に関する記述が俺の現状とに似ているので興味を持った:
>>部 俺の記述
実際に父の口から出たそのスラングを書き出すところから始めた。結果はこうだ。
・韓国人をさげすむ「火病る(ファビョルる)」
・中国韓国北朝鮮を反日国家としてまとめた「特亜」(特定アジア)
・ネット以外のメディアを見下す「マスゴミ」
・旧民主党を貶す「ゴミンス」
・左翼への蔑称である「パヨク」
・生活保護受給者への侮辱や制度そのものの蔑称としての「ナマポ」
・他国文化等を自国由来と主張する韓国を嘲弄する「ウリジナル」
洗い出してみればたったの7語だし、父が四六時中こうしたスラングを口にしていたわけでもない。けれど、僕にとってこれはやはり、非常にインパクトのある語句だった。なぜならこれらは、単にスラングというより、明確に「ヘイトスラング」、濃厚に差別や軽蔑のニュアンスを含んだ、誰かを傷つける可能性のあるスラングだからだ。
>>俺に中国韓国を蔑む気持ちはないように思う。ただし、中国人の女の声、喋り方が、遠慮がないというか、ズケズケとした自己主張を感じさせることがしばしばあって、それは嫌だ、と口に出す。また、韓国は事大主義だ、ということは対中、対日の歴史を見ていると事実であると考え、それを馬鹿にする。日本人のウソには限界があるように思う。韓国人は見え透いた嘘をつける人たちで、それが日本人には絶対かなわない演技力の差になっている。
マスゴミ、ゴミンスク、パヨク・・・それと、自民党、米国が一体となって「戦後民主主義」を成り立たせてきたことは事実だと思う。問題はそれを抜け出すのに手間がかかり過ぎていることだ。一般国民は待てなくなって絶望しているが、俺には、それをどうしていいかが分からない。それ以前に俺にはもう、絶望に打ち勝つ力がない。せいぜい応援するだけだが、どこをどう応援したらいいのかが分からない。
思い返すとそれは、父がテレビのニュースや報道番組に対して毒づく言葉に感じていたものが大半だったようだが、日常生活の何気ない会話の中にもにじみ出ていた。
記憶にある父の発言を列挙すると、こうなる。
・支那、三国人といった言葉の何が悪いのか
・南京大虐殺を実証する研究はない。歴史上もっと大きな虐殺は無数にある(※死者数を確定する研究はない、かもしれない)
・生活保護の水際作戦がなければ、不正受給がはびこる
・かつて普通だったことも、なんでも障害・病気にしたがる時代だ(主に発達障害等について)
・シングルマザーはひとりでシングルマザーになったわけではない(結婚と離婚、男性との関係を経なければシングルマザーにはならない。別れた女性側にも理由はあるし、それを選択したのも自分自身といった意味合いで)
・日本人は簡単に結婚して、簡単に別れすぎる。覚悟がない
・特定の野党女性議員に対して「品性がない」等の罵り
・特定のテレビ女性キャスターに対しての罵りや、即チャンネル変更
・これだから女の脳は○○だ(女性の運転する車や母の言動に対し)
・女だてらに〇〇する、女3人寄れば姦しい等の男尊女卑発言
・LGBTQ当事者タレント、当事者への批判
・(外国人労働者を移民として受け入れると)日本が日本でなくなってしまう
・中国人観光客、在日中国人に対してのひとことディス(声が大きい・国が豊かになっても民度は低いまま等)
・野党に任せたら日本が壊れる(大麻合法化絡みのニュースに対し)
こうして書き出してみると、父の発言はやはり、非常に「ネット右翼的」だったと感じざるを得ない。
>>「支那、三国人」は、別称を装った蔑称だと思うが、PCワープロ機能で「しな」と入れても「志那」としか変換されないのは行き過ぎだ。誰が言うどんなクレームを恐れての事か分からないが、この種の自己規制は言論の自由に反する。南京大虐殺は中国人の宣伝力の高さが日本人よりはるかに上だということを示す証左だ。日本人なら恥ずかしくていえない嘘も中国人なら堂々と言える。日本人がつく嘘はせいぜい中国人の1/10程度のスケールだ。しかし、戦中に日本人が中韓に対して行ったことは許されないことで、本来はアメリカ抜きで、きっちり謝るべきところをそうしなかった。(日中韓が組むのを恐れるアメリカはそれを許してくれない)アメリカ抜きで東アジアで何かするのが一番自然だと思う。
日本では様々な不正が性善説で見逃される。法の支配なんてない。
確かに、日本人は「打たれ弱く」なったし、騙されやすくなった。これは子供の時、親に理不尽な目にあわされなくなった、ガキ大将にいじめらたり、騙されたりしなくなったからだ。過保護化の結果だ。それから「ウツ」という言葉ができたから、「あ、俺はウツなんだ」と”気づき”を与えた。
シングルマザー自体は置いといて、シングルマザーが新しい男と出来て、子供がいじめられる、という事件の報道は気になる。結婚するときではなく、子供を産むときに覚悟しないのだろうか。これも同根で、親のしつけ、育児がシングルマザーの児童虐待の原因なのか?
俺は結婚のとき、覚悟なんてなかった。「長続きしそうな相手を選ぼう」とは思った。
特定の野党女子議員・・・蓮舫、福島瑞穂、小池百合子、辻本清美は顔を見るのも嫌だ。品性がないのではない。嫌いなだけだ。男の政治家を含めて品性なんてありそうな顔した者は稀だ。民主主義っていずれ人気投票になるから、品性や徳や教養ではなく人気が大事になる。人気がなくても当選するのは2世か?厭なテレビ女性キャスター・・・あまりいない。男のキャスター・コメンンテーターで、チャンネル変えたくなるのは、テレ朝・玉川、TBSの「ひるおび」の恵俊彰、TBSサンモニに出ていた青木理・・上から目線だからかな?
女性、LGBT差別・・・女性は蔑視してない。ただし、男女は大いに違う。女性は子を生むという男が逆立ちしてもかなわなく、かつ非常に大切な能力を有する。政治や経済や国防なんてくだらないことは男に任せておいて。女には出産と育児に精出してもらいたい。
俺はLGBTを理解できない。なんとなく「俺に不快感を与えなければ、いてもいいか」と思う。今のところ、積極的に排除すべきとは思わぬ。
大陸の進んだ文化を運んでくれたのは移民だったがそれは数百年後、「漢意(からごころ)」と呼ばれた。もっとも、日本の歴史は移民あるいは占領によって大きく変わって来た。それが日本の宿命だ。しかし、人口の何%もの外国人を労働者として受け入れると何が起こるのか?あまりいいことは起こらない予感がする。大量の労働者を受け入れずに、減った人口見合いでできる産業でこじんまりと暮らすわけにはいかないのか?(俺は鎖国を想定してるが)
中国人、野党は全部だめ、とは言わぬ。俺が知ってる限りの中国人の多くは好きだ。
けれど、改めて思い返してみたことで、父の発言をいくつかに分類できそうなことに気づいた。それが、以下の5つだ。
(1)中韓(主に韓国)に対しての批判
(2)社会的弱者に対する無理解(生活保護・シングルマザー・発達障害関連での発言)
(3)保守論壇の主張に含まれる「伝統的家族観の再生・回帰」「性的多様性への無理解」の影響を受けているように思えるもの
(4)ミソジニー(女性嫌悪・蔑視)が感じられるもの
(5)排外主義(日本文化の維持についての危機感)
やはり、これらいずれもが、僕自身がネット右翼的だと思っている層の人々の発言や価値観とかなりオーバーラップしているように感じるし、こうした発言に加えてネット右翼に特徴的なヘイトスラングまで口にするとなれば、僕の「父がネット右翼化した」という感覚は、決してズレたものではなかったように思う。
>>上記5項目、いずれもトランプが大声で言って大統領に当選した。つまり、鈴木大介氏の父親だけの問題ではなく、日米共通の(多分他のたくさんの国とも共通の)問題だ。俺は上記5項目すべてに共感するわけではないが、少なくともアメリカの有権者の約半数が共感して大統領を選んだことには大いに関心がある。日本もいずれそうなるだろう、と予測していいと思うし、それ以前にアメリカがどうなるのか?俺の予想は第二次南北戦争開始だ。そうなったらアメリカの「妾」である日本にとっても大変だ。
多様性は難しい。多様性論者は「俺は多様性なんて絶対認めない!」という人も仲間に入れなくてはならないし、彼にその主張をする自由も認めなくてはならない。トランプは「そりゃあおかしいだろう。格好つけるな」と言っている。
父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということである。
この頃から、父の口からは「支那と言って何が悪い」「三国人は〇〇」「いかにも毛唐のしそうなことだな」といった、故・石原慎太郎氏の常套句みたいな排外的ワードがこぼれるようになっていた。
在職中は休日に必ずゴルフの練習やコンペに顔を出していたが、それもあくまで仕事上のことだったようで、退職するやせっかく買いそろえていた用具一式を容赦なく捨て去ってしまった。引き止められて出向先企業での再雇用にも応じたが、それも2年ほどのことで、きっぱり完全リタイア。その後は在職中の知人とも、ほぼ交流を絶ってしまった。
けれど一方、そうしてリタイアした後の父は、その37年に及んだサラリーマン人生で失ったものを取り戻すかのように、急速にその交友関係を広げていった。
>>ここは俺とは違う。在職中の人とは半年に一度ゴルフコンペで会っている。会社や学校の同期その他ともゴルフをやる。新たな交友関係はゼロではないが広くはない。
父は徹底して「大勢に迎合せず」を信条にした人物だった。要するに、流行り物が大嫌い、流行り物は流行っているという時点で受け入れないという、非常にへそ曲がりで天邪鬼な根性の持ち主が、僕の父だったのだ。これは良くも悪くも父の価値観や美徳の根幹であり、ろくすっぽ話す機会もなかった息子の僕にも、そのポリシーは強烈に刷り込まれている。
こども時代から、安易に流行り物を欲しがれば叱責が飛ぶ。ときには頬を張られた。「迎合するな」「おもねるな」「それは恥ずかしいことだ」。正しいかどうかは別にして、それが僕の父親だった。
>>俺は会社員時代、大勢に迎合し、流行ものを好んでいたか?会社員になったこと自体が、大勢に迎合し、流行にのった、ということだ。俺は子供に「自分の好きなことを見つけてそれに打ち込んでくれ」とは思ったが、別に子供が好きになるものが流行りものでも何でもよかった。
であれば、やっぱり変だろう。
高齢者の右傾化がメインストリームみたいに言われる中で、所属するコミュニティの共通言語だからという理由で父がそれに諾々と迎合するというのは、全くもって違和感しかない。僕の父なら逆張りする方が納得がいく。
>>高齢者が右傾化している、とは初耳だ。自分の知っている高齢者を眺めても、右傾化しているようには思わない。ただ、日本の政治や若者(=日本の将来)については悲観し、絶望の淵で何とかよくならないか、どうすればよくなるか?を考える人は多いように思う。もちろん、絶望しきっている老人も多い。絶望しているから、大きな声でTVに向かって叫ぶ。膀胱同様、心や脳が硬くなってキャパが小さくなっているからすぐあふれ、声に出る。
一方で、父は権威や押し付けられた正しさをとても嫌う人物でもあった。幼い頃、自宅近くの道を暴走族が轟音を立てながら走る音に、食卓の父が「大介が暴走族になってもいい。けれど暴走族になるなら自分が頭になれ」と言ったのを憶えている。
>>ここは俺も全く同感。暴走族だろうがなんだろうが、好きで没頭できるならOK。
出版物にせよWeb上のものにせよ、ヘイトな右傾コンテンツの根本は、今や思想というより「商業」になっている。それは基本、⾦儲けの⼿段だ。
商業的に瀕死状態にある紙媒体が、「最も紙媒体を消費し、最も⾦を持つ層」として⾼齢男性をターゲットにするのはマーケティング的には全く正しいこと。その層に響くコンテンツとして健康情報や「どのように死ぬか」と同列に「右傾コンテンツ」があるのも、やはりマーケットとして有望だからだ。
売ることを優先した右傾コンテンツには容赦がない。古くからある保守⾔論本ならまだしも、粗製乱造されたネット右翼本はエビデンスに乏しく、「あなたたちが懐かしく思っている美しいニッポンが失われたのは、戦後のGHQ統治下で「作られた憲法」や、中韓による「歴史の改変」のせいである!ニッポンは失われたのではなく「奪われ捻じ曲げられた」のだ!」といった論調で読者の喪失感を被害者感情に昇華することで、⼤きなマーケットを⽣んできた。
>>ここにいたって、鈴木大介氏の思想が分って来る。彼は「右傾コンテンツ」が嫌いなのだ。(多分、WOKEだ)俺に言わせれば、コンテンツと呼ばれるものは左傾だろうがお笑いだろうが、全部粗製乱造されたエビデンスに乏しい金儲けのためのものだ。石丸伸二しかり、後述するように、メディアだって結局「売れて(読まれて)ナンボ」だ。どうも彼は父親がたまたま右傾コンテンツにはまったのを見て「老人は右傾化傾向がある」とか、「右傾コンテンツだけが金儲けの目的で作られている」と思い込んでいるようだ。エビデンスに乏しかろうが、なんだろうが、多くの人が受け入れればそれが大統領選挙にも影響する(日本ではスケールが小さいが兵庫県知事選挙にも影響する)のだ。エビデンスだか、ファクトチェックなんて手間とコストばかりかかって金儲けの邪魔だ、というのがアメリカの大勢になってしまったし、ウクライナ戦争も誰が正しいかなどという詮索は意味がなくなっている。アメリアがいち早くそうなったが、日本だって後追いするだろう(今までの歴史はそうだった)。
「どうしてこんな事になってしまったのだろう」と喪失感に沈むことより、視野に明確な敵の像を結んで被害者意識をぶちまけさせたほうが、⼈の快楽原則には忠実だからだ。
>>鈴木大介氏のいう「右傾化した老人」に敵はいるか?一部の老人は身の回りの多くのものに絶望し、絶望の対象に対しては攻撃し、非難する。だが、現実世界に影響力があるとも思っていない。ただの老人の愚痴だ。まじめに日本や世界を良くしよう、変えようと思っていたら、攻撃や非難してる暇はない。「自分にはもうそんな力はない」と身にしみてわかっている老人が攻撃や非難をするだけだ。敵をやっつけようとも思っていない。
⽗のブラウザのお気に⼊りは、古いものでは代表的右傾コンテンツである「チャンネル桜」の動画などが多かったが、末期に閲覧が多かったのは主にヘイトなテキスト動画だった。
⾔わずもがな、再⽣回数を収益根拠とするそれは「営利配信物」。最近は内容がオカルト・フェイクすぎてYouTube側から収益無効化の対象にされるほどの卑俗なコンテンツだが、もう⽗はそれを聞き流し関連動画を巡るだけで、そのファクトを調べる⼒すら残されていなかったのだろう。体⼒と共に認知や思考⼒が失われていく中、その醜い⾔説が⽗を蝕んでいった。
>>ファクトを調べないで面白いコンテンツ・情報に飛びつくのは病んだ老人だけか?少なくともアメリカのトランプ支持者の多くそうだろう。プーチンを暗殺しようとしないロシア人もそうだろう。これらの人々は絶望という病のせいでファクトを調べる力すら残されていないようだ。
特に僕らの世代では、⽗と⼦の間の⾃然な距離感はなかなか望みづらいと聞く。企業戦⼠は家庭に不在でも許された時代、僕⾃⾝もほぼ⺟⼦家庭育ちのような認識がある。そんな距離感のある⽗親が「正⽉に実家に帰ったらネトウヨ化してました」というのは、ひとつ定番の経験になりつつあるだろう。
>>父親のネトウヨ化は、鈴木大介氏の周囲だけで起こっていることではないか?ファクトチェックした方がいい。
そうした⽗らの背景には何があるのか。⽼いたる者が共通して抱える喪失感を巧みに利⽤するコンテンツや、認知と思考の衰えにつけ⼊る安易で卑俗な⾔説。そうしたものによって先鋭化されたイデオロギーが⽗と僕を分断したならば、⽗も、そして息⼦の僕も、そんな下賤な銭稼ぎの被害者だったのかもしれない。
>>この現象は、トランプ支持を巡ってアメリカの親子間でも起こっている現象だ。
貪欲な向学⼼を持ち、時代の波にそれなりに揉まれ、10年ぐらい同じセーターを着続けてご⽴派なコース料理よりラーメンと餃⼦を選んだ、どこにでもいるオヤジだった⽗を想う。
テレビを⾒ながら、リベラル政党の⼥性議員に投げかけられる⼝汚い⾔葉は、「SAPIO」あたりの⾔説をコピーしたかのようだった。⾔葉の端々に「⼥だてらに」「しょせん⼥の脳は」とくるたびに、⾎圧が上がりそうになる。
「シングルマザーが増えたって⾔うけど、それは安易に結婚して安易に離婚する⼥が増えただけだろう」
「⾃⼰責任がなくなって国がすべての責任を背負えばこの国は滅ぶな」
「ブラック企業がどうとか通勤がつらくて働きに⾏けないというのは⽢えだな。僕らの世代で⽚道2時間半は当たり前だった」
>>俺のゴルフ仲間の老人に、朝日新聞に書いてありそうなことを言う奴がいて、日本の問題を激しく追及・糾弾(?)する。それを聞いた俺は血圧が上がる。そして「民主主義ってのは時間がかかるから、そうすぐには善くならないよ」と言う。会社をやめ、自分なりに情報を集め、自分なりに考える習慣のある老人は右傾化するとは限らない。現状に絶望し、もう自分には社会を変える力がないことにも絶望した老人は、無意識に攻撃的になって偏って過激なセリフを吐いているのだ。
ベッドから起き上がって⾝体を縦にしていることが難しくなっても、枕元のノートパソコンから垂れ流されるのは、YouTubeのテキスト動画。薄暗い部屋の中、どこぞのブログやまとめサイトからペーストされたヘイトなテキストが平坦な⾳声で読み上げられる中、⼩さな寝息を⽴てる父の寝室は、ホラー映画のワンシーンみたいだった。
そんな⽗に対し、最後の最後まで⼼を開かず、本⾳を自己開⽰しなかったのは、可愛げのある息⼦にはどうしてもなれなかった僕にできる、それが最後の親孝⾏だと思ったからだ。
元号が変わって間もなく、⽗がこの世を去った。77歳。ステージ4の肺腺がんと告知されてから3年頑張ったが、どうしても⼝から飲み⾷いできなくなると、急速に痩せ衰えて逝ってしまった。
⽗はとにかく多⽅⾯に好奇⼼を⽰す⼈物だったし、退職しても即座に語学留学で⻑らく中国に滞在するような向学⼼の塊だったからだが、そこから毎⽉顔を合わせるようになると、毎回のように僕は⽗の⼩さな⾔葉に傷つけられることになった。
病院に少し声の⼤きな集団や服装に違和感のある⼈々がいると、「あれは中国⼈だな」とつぶやく。「最近はどこに⾏っても三国⼈ばっかりだ」と、誰に向かうでもなく⾔う。
>>これは入院していない俺もやる。少なくとも俺は嫌中、蔑中ではない。推測を述べているだけだ。
4歳年下だった叔父の印象では、高校に入学するまでの少年期の父は、朗らかで人を笑わせるのが好きで、周囲に必ず友達がいたという。大学進学後に交際を開始した母も、非常に社交的な人物として父を語る。僕自身が知る父も、「孤立していた」という言葉とはどうにも結びつかない。
にもかかわらず、父の高校時代は孤独だったと、叔父は言うのだ。
子ども時代の父はとにかく好奇心旺盛で面白いものが好きで、鉱物にハマるや学校の資料室から黄銅鉱やら紫水晶を持って帰っては叔父に見せ、次は生物、飽きたら天文学と、興味のおもむくままに学びを深めるタイプだったという。
それは確かに、僕の知る父の姿からも想像がつくものだ。けれど、そんな父は、当時隆盛を極めた学生運動、左翼運動には、決して迎合しなかった。
「かといって右に与(くみ)することも絶対ない。当時日和見主義って言葉があったけど、アニキは『積極的日和見』だったな」
叔父の言う日和見とは、場面で与する勢力を選択する機会主義者ではなく、積極的な「ノンポリティカル」のことだろう。改めて、当時の父の立場に立って考えてみて、慄然とした。
なぜならそれは、あの父ならば当然のことだからだ。
検証の中で触れたように、父は相当に
けれど、その精神性をもって安保闘争前夜から渦中を生きたとき、父の目に左翼はどのように映ったか。「左にあらずんば人でなし」の感覚は、右を攻撃するのみならず、中道=日和見であることも批判と攻撃の対象になるということ。それがあの父の目にどう映ったかだ。
「正義に対する反感だな。右は馬鹿だ、左は正義だ。それと皇国史観と、どう違うのさ。だって、一つの観点以外を排除するわけでしょ。そうしたものには、対する反発も出てくる。少なくとも右にも左にも肩入れする気にはなれない。右翼左翼日和見の中でも、積極的な日和見ってね」
淡々と話す叔父の声から、時代のリアリティが立ち昇ってくる気がした。改めてその時代を生きた父の立場になって考えたとき、やっと気づいた。
「人にあらず」、すなわち同じ方向を見ていない他者の価値観をすべて排除する。それが当時の左派だったとするなら、自身の知的好奇心の向くままに動き、大勢に迎合せずを信条とする若者が、その世界をどう感じたか。父が反発し、孤立したのも当然なのだ。
父の目から見た当時の左翼は、現代の僕がネット右翼に感じるのと何ら変わらない、「思想が一つのセットの中に納まって多様性を完全に失った人々」であり「価値観の取り合わせが定食メニュー化している人たち」だった。だからこそ、父は「そもそも左翼的なものが丸っと嫌い」だったわけだ。
>>鈴木大介氏は昔の左翼や現代のネット右翼だけが多様性を認めないと信じているが、俺は「日本人は全てにおいて多様性を完全に失っている」と思う。だって、「和」ってそういうことだ。コロナの時の同調圧力だ。自由より平等だ。それが日本人だ。だから負けると分かっている戦争にも「一億火の玉」となって突っ込んだのだ。俺は、こんな日本人が、「みんなはどうか?」ではなく、「自分はどうか?」と自分の頭で考えるようになれば死んでもよい。リタイアした老人は、比較的この「和」の圧力から自由でいられる。堂々と「流行おくれ」でいられる。俺に言わせれば老人の唯一と言ってよいメリットだ。
ちなみに、以前の記事でも参照した〈資料B〉『ネット右翼とは何か』での調査結果においても、ネット右翼の傾向として「具体的な政策を問題にするというより、『サヨク』的なもの全般を敵視する傾向がある。つまり、政策で支持/不支持を決めているのではなく、『サヨク』的なものが嫌いという感情が先に立っているのではないかと考えられるのである」と言及されていた。
叔父の指摘は、「その後の左翼」の商業化に及んだ。
1960~1970年代の闘争が当時多くの学生にとっては「お祭り」であり、「参加しているとモテる」レベルの文脈だったことは、散々指摘されてきたことだ。僕自身もかつて雑誌への寄稿が多かった時代、学生運動の背後で葬り去られた性暴力について取材をする中で、某大の学生会館の
その世代から聞く学生運動に参加していた人々の属性を現代に置き換えれば、それはハロウィンに渋谷駅前に集まるパリピ(パーティピープル)に等しいのかもしれない。
けれど叔父は、たとえパリピではなく本気の「信念左翼」であったとしても、その後の彼らが信念を貫けなかった理由として、卒業と同時にお祭りが終わったことに加え「左では徹底的に食えなかったから」、すなわち思想と経済性の両立が困難だったことを挙げる。
叔父の語る、左翼を貫いた結果、最高学府OBにもかかわらず最期は生活保護を受けながらひっそりとこの世を去ったという友人の話。信念左翼を隠して大手企業に就職するも、在職中にポロッと信条を漏らしたがゆえに「出世の道が閉ざされた」友人等々。
叔父が見てきたという「食えない左翼像」は、父もまた働く中で見てきたものだったろうか。
そしてそんな述懐の中、叔父は父の朝日新聞嫌いについて、「それは朝日が商業左翼だったからだろう」と一刀両断した。
実は母と話す中で、「お父さんが朝日新聞嫌いなのは、大介が言う、お父さんの言葉が保守化するよりもずっと前からのことだったよ」と聞いて、これまた父の像がブレる大きな要素になっていた。
若い頃から朝日新聞嫌いだったという父は、やはりもともと保守に寄った人間だったのか。保守的なメディアに触れていったのも、やはりそれが理由なのか。そのように混乱したのだが、叔父の言葉によって、やっと答えが見つかった気がした。
第一に、信条的には左翼でも、それを社会生活を送るうえで表面に出しては食っていけなかったという層が父たちの世代にどれほどいたのかはわからないが、その内心を代弁することをビジネスモデルとしたのが朝日新聞だとすれば、近年のネット右翼的雑誌と構造的には大差ない。
第二に、以前の記事でも挙げた〈資料D〉『保守とネトウヨの近現代史』では、戦後政権はずっと保守だった半面、言論界の圧倒的マジョリティはずっとリベラル側にあり続けたといった指摘をしているが、圧倒的な主流派ゆえに「大きな権威」と「それに伴う金」が集中したのが朝日というメディアだったのも、また一つの現実だろう。
いずれも、父の価値観なら嫌うに十分な理由である。
>>別に朝日新聞だけが商業○○ではない。すべてのメディアが売れてナンボ、読まれてナンボだ。それをまとめてオールドメディアと呼ぶ。自民党、野党、役人、オールドメディア・・・みんなグルになって今の体制を守って一日でも長く飯を食い続けたい連中だ。
好奇心旺盛で多様性を重視する父だったからこそ、当時の左翼が内包する排除的な風潮や「圧倒的正義」みたいなものに、反感を覚えた。そして、時代の流れの中で商業化・権威化していくリベラルメディアにも、強いアレルギーを起こした。
母によれば、若い頃からポストに共産党のチラシが入っていると、目を決して通さず、力を込めて丸めて捨てる父だったという。
>>「父」よりひと世代若い俺は違う反応。共産党も自民党、野党、役人、オールドメディアのメンバー。共産党には、是非かつての社会党のように政権与党になってもらって赤っ恥をかいてもらいたい。しかし、共産党も昔の良さは失った。自衛隊を違憲だ、と決めつけないし、革命もやるんだかやらないんだか・・・そういう意味でも1回政権を取らせて何を言い出すか、チェックしたい。しかし、かつて共産党は「一党独裁を目指して革命を起こす」って民主主義を真っ向から否定する宣言を堂々と掲げ、それで一定数の支持を得ていた・・・日本の民主主義も民主主義を否定する共産党を合法と認めたんだから多様性に富んでいた。それとも、日本においては、一党独裁も「民主主義」なのか????
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