なぜフジテレビは「堕落」したのか…元東京都知事・舛添要一が明かす「時の権力者との関係」と「大きな構造的問題」
現代ビジネスに以下:
フジテレビがこんなになる前から言ってもらいたかったが、かなり信ぴょう性があると思う。俺もかねてから舛添さんの辞職には不自然なものを感じていた。(猪瀬さんの辞職もおかしかったが)そこへ行くと、百合子は森ー安倍ラインとうまくやって寿命を保っている。
森ー安倍ー石原ー三井不動産の一味は、東京オリンピックや神宮再開発でも胡散臭い動きをした。森喜朗をWikiると、日枝氏と同じ1937年生まれの早稲田卒。しかも産経新聞に入った。(日枝氏は1961年フジテレビ入社)統一教会問題、裏金問題、フジメディア問題は、安倍ちゃん暗殺がなければ表に出なかった…この際、日枝・森は退場してもらいたいね。少しはすっきりする。俺はカネが政治家の懐に入ることは気にしない。ただ、メディアと政治家が組んで気に入らぬ者を抹殺するのはダメだ。
「七尾えるも」さん
(前略)私は、長期留学していた欧州から1978年に帰国し、母校の東大で教鞭を執ることになったが、当時は、「文化的知識人」と呼ばれる人々が言論界を牛耳る左翼全盛時代であった。新聞で言えば、朝日新聞、毎日新聞である。東西冷戦の厳しい状況をヨーロッパで見てきた私は、その異常さに愕然としたものである。産経新聞は右翼新聞と言われ、系列のフジテレビも同様に見られていた。
帰国後、東大助教授として研究・教育に邁進すると同時に、求められれば、マスコミでも内外の政治の解説を始めた。ユートピア的な理想論に終始することなく、厳しい世界の現実を直視する私のような現実主義者は、日本では不評で、マスコミからは敬遠された。
しかし、フジ・産経グループは、私に解説を任せてくれた。1989年6月に大学改革を巡って私は東大を去ったが、その年の秋にはベルリンの壁が崩壊した。また、翌年の8月にはイラクがクウェートを侵攻し、湾岸戦争が始まった。
この世界的大事件について、私はフジテレビの報道番組で度々解説したが、的確なコメントを出すことができた。崩壊直後のベルリンの壁にも行った。また、湾岸戦争については、他のテレビ局に出演していた「専門家?」たちは「戦争は起こらない」と否定していたが、私と畏友の故江畑謙介氏のみが反対の見解であった。その後の事態の展開は、我々の言う通りになった。
江畑も私も、そしてフジテレビも、いわば「少数派の矜恃」のようなもので、「平和は祈ればやってくる」などと妄想する進歩的文化人に冷や水を浴びせかけたのである。
私は、その後、2001年に参議院議員になり、政治への道に入り、2007年〜2009年には厚生労働大臣を務めた。2009年の総選挙で、政権交代が起こり、民主党政権となったからである。2014年〜2016年には東京都知事を務めた。
2013年末の総選挙で自民党が政権に復帰したが、安倍晋三内閣は右寄りの性格が強く、日本社会を保守色で染めていった。国際関係では、嫌中派、嫌韓派の主張が取り入れられるようになった。その結果、フジ・産経グループは少数派の地位から離脱した。
自分たちの主張が時の権力者と一致するとなると、「多数派の堕落」が始まる。報道機関の生命である権力との間の緊張感がなくなると、堕落するのは当然である。
40年以上にわたってグループを牛耳ってきた日枝久相談役は、安倍や森喜朗といった権力者とも親しい関係を築いていた。
フジテレビは、本業のテレビよりも、不動産業のほうが利益を出している。東京や大阪など大都市で、オフィスビル、マンション、ホテル、レジャー施設などを多数所有し、それらの不動産が営業利益の約6割をはじき出している。
本業が傾いても、不動産業で食っていけるのである。それだけに、この副業にいそしむことになる。
私は、国会議員時代5年間の政治資金収支報告の記載ミスが批判され、2016年6月に東京都知事を辞任した。5年間で約150万円、1年に約30万円の記載ミスがあったからである。実務を行ったのは秘書や会計責任者であるが、国会議員の私も反省すべきあり、その責任をとったのである。
最近問題になった自民党派閥のパーティ券収入のキックバック問題で、1千万円を超えるような多額の裏金を受け取った議員が職にとどまっているのを見ると、釈然としない。
私の「政治とカネ」の問題は、全マスコミ、とりわけテレビのワイドシャーが、2016年の春以来、大きく取り上げ、何週間にもわたって「魔女狩り」のような執拗な攻撃が繰り返された。まさに「炎上」であり、自民党の幹部からは、「辞めてくれないと参議院選挙が戦えない」と詰め腹を切らされたのである。7月には参議院選挙が控えていた。
とくにフジテレビは、私に「せこい」という非難を浴びせかけ、何としても辞めさせようとした。今の中居騒動が始まってから、当時の局関係者からの内部告発が私の許に届いたが、「舛添攻撃は幹部からの指示だった」という。
それは、お台場のカジノ(IR)構想と深い関係がある。フジテレビのあるお台場にカジノができれば、関連事業で「不動産屋・フジテレビ」は大儲けする。「お台場カジノ構想」は、1999年、当時の石原慎太郎都知事が打ち出したものである。当然、フジテレビなど関連企業との事前の打ち合わせはあったはずである。石原後継の猪瀬直樹知事も、その路線を継承した。
2014年に都知事に就任した私は、カジノが大きな経済効果を持つことは否定しなかったが、アメリカのカジノ業界の実態、ギャンブル依存症の問題点などを総合的に見て、カジノ誘致には積極的に賛成しなかった。
そこで、次のような新聞記事も出た。
<「カジノは賭博。青少年への悪影響とか色々ある」「カジノがないと日本経済はよみがえれないと言う人がいるが、そんなものなくてもよみがえる」。舛添要一都知事は17日、フジテレビの報道番組で語った。フジテレビは昨年9月、カジノを含めたリゾート都市構想を三井不動産や鹿島と一緒に、政府の国家戦略特区の作業部会に提出している。そのテレビ局での発言に、都幹部は「カジノに慎重な知事の姿勢は固い」と語る。2月の舛添知事就任後、都は姿勢を一転した。6月、それまでカジノ候補地に位置づけてきた臨海副都心にある2万7千平方メートルの都有地について、独自動車メーカーBMWに10年間貸し出すことを決めた。車の展示場や試乗コースになり、カジノには使えない。7月の組織改編では、カジノを担当する「大都市行政担当」を知事直轄の政策企画局から切り離し、港湾局に移した。>(朝日新聞、2014年8月24日)
しかし、私は、都知事当選直後の2月14日の定例記者会見で、「再三申し上げましたように、賛否両論あるのはわかってまして、私はまだ最終的な決断を下してません。だから、あらゆる可能性はオープンです。それで、いろんなカジノを視察して、諸外国、どういう状況であるか。で、経済的に実りをもたらすということだけの観点ではなくて、やっぱり、青少年に対する悪影響であるとか、ギャンブルにおぼれて家庭が崩壊したというようなこともあるんで、これは賛否両論、よく決めた上で決めたいと思います。」と語って、きちんと自分の主張を述べている。
お台場IR構想は、フジテレビ、鹿島建設、三井不動産、日本財団の4社が政府に提案したが、IR議連最高顧問の安倍首相も2014年5月にシンガポールのIRを視察し、「IRが日本の成長戦略の目玉となる」とコメントするなど、乗り気であった。
その機運を殺いだのが舛添都知事であれば、フジ・産経グループは自らの持つ、テレビ、ラジオ、新聞を使って攻撃することを厭わない。トップがそういう認識だったそうである。
私は、お台場カジノを提案した会社の幹部を集めて、自分の主張を説明したが、私に関する「政治とカネ」の問題を週刊誌が取り上げると、一気に攻撃の狼煙を上げたのである。フジテレビと違って、私の主張を正確に理解する社もあった。
2016年の春に、私がマスコミの集中攻撃を受けているとき、毎日のように、多くのテレビ局が私の家の前に張り込んでいた。
ある朝、私の中学生の息子が自宅を出て、学校に向かおうしたら、フジテレビのカメラはそれを撮影した。人権意識も何もない破廉恥極まりない蛮行なので、私の妻が注意すると、今度は、その抗議する妻に姿を撮影して放映するということまでやったのである。
私はBPO(放送倫理・番組向上機構)に訴えたが、私の主張は容れられなかった。BPOは、NHKと民放によって設置され、「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する、第三者機関です」とうたっている。しかし、私の経験からは十分に機能していない。
放送局が自ら作る機関なのだから、「泥棒に縄をなわせる」ようなもので、機能しないのは当然である。完全に独立した機関を設置すべきである。しかし、「言論・表現の自由が守れない」とテレビ局は反論する。テレビ番組がどれだけ多くの被害者を生み出しているか考えたことがあるのだろうか。
フジテレビは、本稿では語り尽くせない大きな構造的問題をかかえている。多くの優秀な社員が挫折している。港社長、嘉納会長は辞任したが、時の権力者と親密な関係を維持し、40年も君臨した日枝相談役が去らなければ、この局の刷新はありえない。「〇〇天皇」と呼称されるトップが支配する組織は活力を失う。
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