姉の葬式
姉が亡くなり、一昨日が通夜、昨日が葬儀であった。違和感・面白かったことを以下。
①戒名に「寒」という文字が入っていた(戒名全部は覚えていない)
俺の知る限り、戒名って、いい意味を持つ文字を羅列したものが多い。「寒」という文字にはあまりいい意味はなさそうだ。姉は12月に生まれ、12月に死んだ。だから「寒」という戒名にはなじみのない文字を使ったのか?
もっとも、この和尚に関する最大の違和感は、「お経が下手」ということだ。風邪気味で喉の調子が悪いのか、咳払いしてお経が止まる。プロなんだから、喉のケアはしっかりしておくべき。それからベンツに乗ってたのにも若干の違和感。なんでも、30万円以下のお布施は「少ないから受けとらない」と言って突っ返すとか・・・
②斎場(焼き場)でのお骨の扱い方
”焼きあがった”後(他になんと表現すればいいのかわからない)遺族が二人一組で箸を使って骨壺に入れるのは、なぜか?COPILOTによると「遺骨を大切に扱うという意味や、死者を尊重するためのシンボル的な行動です。また、箸を通して遺骨を受け渡すことで、故人の魂が安らかに旅立つことを願う意味も含まれています。」とある。
姉の場合、まず、遺族が二人一組になって箸で骨を拾い上げて靴壺に入れるが、その作業はワンサイクルだけで終わる。残った骨は係りのお兄さんが刷毛のような小さい箒のようなもので塵取りのようなものに入れて骨壺に入れる。
頭の部分は一番大切で最後と決まっているらしく、別にとってあってお兄さんが「これは喉仏」とかなんとか解説しながら骨壺に収納する。お兄さん、この時、骨を手袋もしてない素手で扱う。もちろん一人で。遺族が二人一組で箸を使ってやった作業は一体何だったの?最後に一番大切と思われる頭の骨をこんなぞんざいに扱って故人の魂が安らかに旅立つの?
③姉の娘(俺の姪)と話をしていたら、面白いことを言う。俺の母親(彼女にとっての祖母)の墓じまいのことを知っていて、「おばあちゃんは、あんなさみしい山の中から東京の真ん中に引っ越すんだね」と。実は俺は「人間死んだらハイ、おしまい。さようなら」で肉体は滅んでも魂が・・・などという考えはない。(だから上述の骨の拾い方も実はどうでもいいし、もっと言えば、自分が死んだら法律が許せば焼かなくてもいいし、仮に焼いたとしても骨壺に入れたり墓に入れる必要もないと考えている)だから姪の発言に対しても「そうなんだよなあ、日本人で普通の情緒の持ち主はそう言うんだよなあ」などと思いつつ、同時に「日本人で普通の情緒の持ち主は、骨になってお墓に入るのは魂と考えるのか?それとも魂でもない別のものと考えるのか?」などと思う。
(俺はこの姪がかねてから好きだ。この時の言い方、言葉に「やっぱりこの子はいい子だなあ」と温かい気持ちになったのも事実だ。)
さて、上さんも「お墓で死んだ両親に会う」というようなことを言うから聞いてみる。「お墓に骨を収めるとお墓には魂が入るの?それとも魂ではない別のもの?」
「生前のその人が骨に姿を変えてお墓に入るの」と上さん。
「そうかー」と、なんとなく腑に落ちる。俺は相変わらず身も蓋もなく「人間死んだらハイ、おしまい。さようなら、で何にも残らない。骨なんてどうでもよい。」と思っているが・・・ただし、故人の生きた姿は様々な人の目や耳や心に焼き付くことがあって場合によっては生きている人を動かす力=”神”になる」とも思う。
石で作った頑丈な墓に骨をいれて永代供養しようなんて、明治時代から一般的になったという説がある。江戸時代までは一般人には石の墓もなく、塔婆をたてて土葬したらしい。わざわざ金と手間をかけて墓を作り、墓じまいするなんてバカバカしいこともしなくて済む。土葬=「土にかえす」ということだから、こっちの方がわざわざ焼いて骨にするよりSDGsには貢献する。
閑話休題:
姉の最大の宝、幸福は、この、娘(俺にとって姪)を生み、育てたことだったように思う。
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