エマニュエル・トッド @ 文春オンライン

以下、トッドさんのご意見。>>は俺の意見。

 イギリスの保守党の転落や、アメリカのトランプと老いぼれたバイデンの常軌を逸した対立もまた、自由民主主義国家の解体によって引き起こされた内部の負のダイナミズムから生じたものである。フランスのメディアの取材では何度も述べてきたが、西洋の敗北は、ロシアの勝利を意味するわけではない。それは、宗教面、教育面、産業面、道徳面における西洋自身の崩壊プロセスの帰結なのだ。

>>民主主義=賢かろうがバカだろうが、貧しかろうが金持ちだろうが平等に一票を持つ・・・自由がはびこると、勝った者がバカや貧乏人を騙し、金を使って権力を持ち、ますます金を持つようになって・・・という循環に入る。トランプがイーロンマスクと組んで”民主的に”再選されたことがそれを証明した。

日本は、ドイツ以上に2つ目の「西洋」、つまり「自由主義の伝統は持たないが近代的な西洋」に属している。しかし日本もまた危機に直面している。この点に関しては同様のことがロシアにも中国にも言えるが、非常に低い出生率がそれを示している。日本はドイツと同じく、NATOが崩壊することでアメリカの支配下から解放されるだろう。しかし日本はそれによって、韓国とともに、中国と独力で向き合わなければならなくなる。

>>NATO=アメリカに守ってもらえると信じてアメリカに隷属すること。日米安保も同じ。日本としては、自分から解放や独立を言い出すのでなく、準備して待っておくということか

西洋は、ロシアに制裁を科すことで、世界の大半から拒絶されていること、非効率的で残忍な「新自由主義的(ネオリベラリズム)資本主義」や、進歩的というよりも非現実的な「社会的価値観」によって、自らがもはや「その他の世界」を夢見させる存在ではなくなったことに気がついた。中国だけではなく、インド、イラン、サウジアラビア、アフリカも、結局はロシアの「保守主義」、そして「国民国家の主権」というロシア的な考え方(もちろんそれは、ロシアの歴史の一部と考えられているウクライナに適用されるわけではない)をより好むようになったのだ。

 この戦争において、「多極的な世界」というロシアのビジョンは、西洋が中心となる「均一な世界」というビジョンと対立している。西洋モデルの政治的観点からすると、均質的であるべき世界──リベラル、資本主義、LGBTなど──の覇権的中心地はアメリカだ。

>>厳密に言えば中心地はアメリカでなく、アメリカの民主党支持者だ。そして彼らは民主党のWokeを世界に布教しようとする。これがオワコンだ、ということがトランプ再選で証明された。

 私は、日本の地政学的文化の深い部分では「諸国家はみな同じ」というビジョンは受け入れられないのではないかと考えている。「均一な世界」というアメリカのビジョンは、日本的観点からすると、敢えて言えば「馬鹿げたもの」だからだ。日本には、「それぞれの民族は特殊だ」という考え方があり、むしろ「それぞれの国家の主権」というロシアの考え方の方が日本の気質にも適合している。

 実際はドイツでも、「すべての民族は同じ」という考え方は馬鹿げたものと見られるだろう。ドイツでは「すべての民族は同じ」という考え方は表面的に受け入れられているだけなのだ。受け入れることで、第二次世界大戦における自らの人種差別的な残虐行為を忘れることができるからである。日本では私が考えるに、「独自の歴史」という感覚は「本能的」なもので、しかも「リアル」なものだ。

>>一神教と日本教の違い。日本教は一人一人に神様が宿っている。一神教では「唯一の神が作った均一な世界」となる。

 西洋の敗北は、日本が「独自の存在」としての自らについて再び考え始める機会になるはずである。さらに、日本が西洋の一部としてではなく、ネオリベラルの極西洋(アメリカ、イギリス、フランス)と「その他の世界」の仲介役として自らを捉える機会にもなるはずだ。

(大野舞訳、 『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』より「まえがき」を全文転載)

アフガニスタン、イラク、シリア、ウクライナと、米国は常に戦争や軍事介入を繰り返してきました。戦争はもはや米国の文化やビジネスの一部になっています。こうなってしまったのは、戦争で間違いを起こしても、世界一の軍事大国である米国自身は侵攻されるリスクがないからです。だから間違いを繰り返すのです。

米国の行動の“危うさ”は、日本にとって最大のリスクで、不必要な戦争に巻き込まれる恐れがあります(実際、ウクライナ危機では、日本の国益に反する対露制裁に巻き込まれています)。当面、日本の安全保障に日米同盟は不可欠だとしても、米国に頼りきってよいのか。米国の行動はどこまで信頼できるのか。こうした疑いを拭えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます。

>>日本が核を持つ=アメリカからの独立。日本としては、自分から解放や独立を言い出すのでなく、準備して待っておくということか。

日本において「核」は非常にセンシティブな問題だということは承知しています。約30年前に初来日した際、私が真っ先に訪れたのも広島でした。しかし、そもそも「核とは何か」を改めて冷静に考える必要があります。『老人支配国家 日本の危機』(文春新書)で詳述しましたが、核の保有は、私の母国フランスもそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでの力の誇示でもありません。むしろパワーゲームの埒外にみずからを置くことを可能にするものです。「同盟」から抜け出し、真の「自律」を得るための手段なのです。過去の歴史に範をとれば、日本の核保有は、鎖国によって「孤立・自律状態」にあった江戸時代に回帰するようなものです。その後の日本が攻撃的になったのは「孤立・自律状態」から抜け出し、欧米諸国を模倣して同盟関係や植民地獲得競争に参加したからです。

>>俺も日本は「鎖国」すべき、と思う。(鎖国とはアメリカ様のおっしゃる自由や民主主義から自由ということだ。)核のおかげで鎖国をしている(せざるを得ない)のが北朝鮮。

つまり核を持つことは、国家として自律することです。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることです。米国の行動が“危うさ”を抱えている以上、日本が核を持つことで、米国に対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。

 ウクライナ危機は、歴史的意味をもっています。第2次大戦後、今回のような「通常戦」は小国が行なうものでしたが、ロシアのような大国が「通常戦」を行なったからです。つまり、本来「通常戦」に歯止めをかける「核」であるはずなのに、むしろ「核」を保有することで「通常戦」が可能になる、という新たな事態が生じたのです。これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。これが現在の日本を取り巻く状況です。



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