小津安二郎「東京物語」を見る
小津安二郎は70歳前後の老人・老夫婦を描いた映画をいくつか残している。俺たち夫婦と年格好が似た老人が昔、何を考え、何を思ったのか、知りたいと思って見る。本作で東山千栄子演じる母親が死ぬ・・・享年68。ということは笠智衆演じる父親は70過ぎか?本作は、「尾道の実家を離れて東京や大阪で暮らす実の子供たちより原節子演じる次男の嫁の方が親孝行で優しかった」という話と要約される。考えてみれば、血の繋がっていない嫁は遠慮があって実の子供みたいにストレートには感情をぶつけることはない。つまり「猫をかぶる」。(原節子演じる嫁だって実の親にはどういう態度をとるかは分からない)
老夫婦心得として一番参考になったのは、本作の老夫婦同士の会話は穏やかでゆっくりしてた、ということ。俺たち夫婦の間はもっときつくて荒々しい会話だ。時代の差か?それとも俺が短気で荒っぽいからか?笠智衆のようにのんびりしゃべるようになりたいが・・・
本作では、老夫婦は忙しくて親のことなどかまっていられない子供たちの生活ぶりを見て「子供は一人前になって親離れして親孝行がおろそかになるくらいがいい」というやりとりをする。無理矢理そう思い込もうとした?俺は「子どもは親という壁を乗り越えるために生まれて来る」と思う。
① 主役は杉村春子だ。
Wikipediaには「主演は笠智衆と原節子」とあるが、一番強烈な印象を残したのは長女を演じる杉村春子だ。
・母親が死ぬと「わ」っと泣くが、直後に妹に「あんた、喪服あるの?」と喪服の手配を指示する。「あれとあれは形見に欲しい」と形見の要求をする。
・葬式の後、父親以外の家族が集まった場で、「お父さんが先に逝ってもらった方が面倒がなくて良かった。」と言う。未婚で実家に残っている末の妹の縁談にも差し障るとも。
こういう女を、俺の母親は「蝶々(ちょうちょう)しい」と言っていた。俺の母親の妹(俺のおばさん)にはこういった「蝶々しい」女が二人いた。杉村春子は美容院を切り盛りしているが、旦那は何をしてるのか分からない。俺の二人のおばさんも、一人は旅館を一人は印刷屋を切り盛りしていたがこの二人の夫たちも何をしてるのか分からなかった(酒を飲んで酔っ払っているか麻雀をやっている姿しか思い出せない)・・・「髪結いの亭主」ってやつ?
②記憶は白黒?
夢を白黒で見るという話があるが、この白黒映画も「白黒で見る夢」のようだ。本作は1953年公開だから、「俺が生まれる直前の日本の記録」でもある。山本夏彦さんが「新聞広告で当時の世相、流行が分かる」と言っていたが、この映画を見ると俺が生まれた頃の日本の世相、流行が分かる。白黒で全く違和感がない。俺が生まれた頃見た景色は白黒で記憶されているのかも知れない、と思うほど白黒がぴったり来る。
前年の1952年に独立を取り戻した日本は、男女を問わず希望を持ってアメリカを追っかけ「蝶々しく」働きまわっていた。一方で親孝行なんて言葉はすたれ、働かない老人は「用済み」となった・・・それが今や「人生百年」だと。そのうち、老人が再び「用済み」になる日も来よう。
③団扇(うちわ)は語る
夏の暑いときという設定。みんな団扇を使う。団扇に演技させる。イライラすれば荒っぽく、他人に風を送ろうなんていう優しい気持ちを表すには優しく団扇を使う。一番印象的な場面は、「母危篤」という電報を受け取った兄とその妹(杉村春子)の二人が「危篤って言って来るんだから尾道に行かないわけにはいかないけれど、いつ行くか?」の相談をする場面。杉村春子が大股を空けて団扇でスカートの中に風を荒っぽく送る・・・「このクソ忙しいときに危篤なんぞになって・・・」という気持ちが百万言の科白よりストレートに伝わってくる。
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