北一輝「日本改造法案大綱」読後感②
北の言う「日本改造」は共産主義と資本主義のいいとこどりを狙ったものだ。(社会民主主義)私有財産に制限を加え、一定金額以上の財産・資産は国家の物とする。平等を守るため自由にも制限をする。それから「機械的直訳」批判。例えば契約で社会が成り立つ英米なら民主主義もありだが、天皇を親であり君主とする家族的な国体の日本には民主主義など向いてない・・・
本書は、「野党の公約」のようだ。様々傾聴すべきアイデアはある。が、「あるべき論」だけだ。誰がどうやってそれを実現するか?が抜けている。3年間憲法を停止し、戒厳令を敷き、議会を停止。天皇独裁とする(確か塩野七生さんも似たようなことを言っていた)・・・一つのアイデアだ。既存の官僚に代わって”天皇を補佐すべき器を広く天下に求め”、”改造内閣員は従来の軍閥吏閥財閥党閥の人々を斥けて全国民より広く偉器を選び””各地方長官を一律に罷免し国家改造知事を任命す”とのことだが、そんな都合のいい人材がどこにいるのか?どうやって見つけるのか?人材を発掘したとして、どう組織し、どう仕事させるのか?ご立派な理想論を実現する人材論・組織論がない。
これを読んでバイブルのように感じた若い将校が少なからずいたと伝わっているが、将校たちは自分たちが政策実行する、とでも思ったのか?若い軍人は純粋で真面目かもしれないが行政能力はないだろう。本書には「在郷軍人はかつて兵役に服したる点において国民たる義務をもっとも多大に果たしたるのみならずその間の愛国的常識は国民の完全なる中堅たり得べし。かつその大多数は農民と労働者なるがゆえに同時に国家の健全なる労働階級なり。しかしてすでに一糸乱れざる組織あるがゆえに改造の断行において露独に見るごとき騒乱なく・・・」とある。兵隊上がりに警察的なこと(秩序維持)をさせるつもりのようだが、過大な期待ではなかったか?
第一次世界大戦後日本はバブル景気に沸き、成金が誕生。財閥は独占を強め、地主は土地をますます集約し貧富の差が拡大した。急激なインフレで農民、労働者、サラリーマンの暮らしは苦しくなった。
残り少なくなった元老の一人、山縣有朋は維新当時日本が強いられた苦しい外交を忘れずに国際関係に気を使いシベリア出兵に慎重だったが発言力が衰え、1918年シベリア出兵は強行された。シベリア出兵特需の思惑から米価が急騰、これに対して暴動が起こる・・・明治維新から日露戦争まで上は天皇から下は平民まで一体となり、日本が緊張感・危機感をもって守って来た「国体」が崩壊していたことが元老の衰えと共にあからさまになった。
翌1919年本書が書かれる・・・北はまだ絶望はしてなかったのだろう、日本人は自力で立て直すことができる(日本改造の理想を実現する人材・組織はまだある)、と判断したのか?・・・「国民の資産納税等に関与する各官庁を用いざる所以はそれらと大富豪との結託はすでに脱税等に見る如く事々国家を欺きて止まざればなり。第二の理由はこの改造が官僚の力による改造にあらずして国民自らが国民のためにする改造なる根本精神に基づく」と言う。明治維新は日本人が自ら立ち上がって行った。それを再現できる、と考えたか?
その後17年を経て、本書をバイブルと信じた若手将校が2・26事件を起こす。この17年の間にバブルははじけ、恐慌が長年続き、政党政治は金権政治となり政争に明け暮れ、若手将校ならずとも絶望し、「勝ち負けなんてどうでもいいからアメリカと戦争しよう」などと言う輩も現れる。軍人・右翼は「美しい国体よ、もう一度」、と邪魔になる政治家、貴族、財閥、軍閥などを排除しようとテロを繰り返す。
本書に書かれた改造は60年後に中国で鄧小平によって実現される。政治家や官僚は汚職にまみれたが、それでも鄧小平がやったことはプラスの方がマイナスを上回ったと言えるだろう。習近平はこのマイナスを少なくする、と言う名目とアメリカに対抗する大国になるという目標で政治を行ってきた。
面白いレトリック・屁理屈:
・海軍拡張案の討議において東郷平八郎大将の1票が醜悪代議士の3票より価値がないっておかしいだろうというレトリック。投票政治とは、数に絶対価値を付して質がそれ以上に認められるべきものを無視する・・・投票政治=民主政治。日本には民主主義は向いていない。なのに、民主主義、民主主義と馬鹿の一つ覚え・・・
・米人の「デモクラシー」とは社会は個人の自由意志による自由契約に成ると言いし当時の幼稚極まる時代思想によりて、おのおの欧州本国より離脱したる個々人が村落的結合をなして国を建てたるものなり。その投票神権説は当時の帝王神権説を反対方面より表現したる低能哲学なり。日本はかかる建国にもあらず、またかかる低能哲学に支配されたる時代もなし。国家の元首が売名的多弁を弄し、下級俳優のごとき身振り手振りを晒して当選を争う制度は、沈黙は金なりを信条とし、謙遜の美徳を教養せられたる日本民族にとりては一に奇異なる風俗として傍観すれば足る。
・女子の参政権を有せずとするゆえんは、日本現存の女子が覚醒に至らずという意味にあらず。欧州の中世史における騎士が婦人を崇拝しその眷顧(けんこ=好意)を得ることを士の礼とせるに反し、日本中世史の武士は婦人の人格を彼と同一程度に尊重しつつ婦人の側より男子を崇拝し、男子の眷顧を得るを婦道とする礼に発達し来れり。この全然正反対なる発達は社会生活の全てにおける分科的発達となりて近代史に連なり、彼において婦人参政運動となれるは我において良妻賢母主義となれり。政治は人生の活動における一小部分なり。国民の母、国民の妻たる権利を擁護し得る制度の改造をなさば日本の婦人問題のすべては解決せらる。婦人を口舌の闘争に慣習せしむるはその天性を残賊することこれを戦場に用いるよりも甚だし。欧米婦人の愚昧なる多弁、支那夫人間の強奸なる口論を見たる者は日本婦人の正道に発達しつつあるに感謝せん。(略)直訳の醜は特に婦人参政権問題に見る。
・熱心なる音楽家が借用の楽器にて満足せざるごとく、勤勉なる農夫は借用地を耕してその勤勉を持続し得るものにあらず。人類を公共的動物とのみ考うる革命論の偏向せることは、私利的欲望を経済生活の動機なりと立論する旧派経済学と同じ。ともに両極の誤謬なり。人類は公共的と私利的との欲求を併有す。従って改造さるべき社会組織また人性を無視したるこれら両極の学究的臆説に誘導さること能わず。
・大多数婦人の使命は国民の母たることなり。妻として男子を助くる家政労働の外に、母として労働をなし、小学校教諭に劣らざる教育的労働をなしつつある者は婦人なり。婦人はすでに男子の能わざる分科的労働を十二分に負荷して生まれたる者。これらの使命的労働を廃せしめてまったく天性に合せざる労働を課するは、ただに婦人そのものを残賊するのみならず、直にその夫を残賊し、その子女を残賊する者なり。この改造によりて男子の労働者の利得が優に妻子の生活を保証するに至らば、良妻賢母主義の国民思想によりて婦人労働者は漸次的に労働界を去るべし。
・英語が日本人の思想に与えつつある害毒は英国人が支那人を亡国民たらしめたる阿片輸入と同じ。英語国民の浅薄なる思想を通じて空洞なる会堂建築として輸入されたるキリスト教。人格者の歴史的覚醒たる民主主義が哲学的根拠を欠如したる民本主義となりて輸入されつつある「デモクラシー」。英米人の持続せんとする国際的特権のために宣伝されつつある平和主義非軍国主義が、その特権を打破せんがために存する日本の軍備及び戦闘的精神に対する非難として輸入されつつある内容皆無の文化運動。単にこれらをのみ見るも一利に対して千百害あること阿片輸入の支那を思わしむ。言語は直ちに思想となり思想は直ちに支配となる。一英語の能否をもって浮薄軽佻なる知識階級なる者を作り、店頭に書冊に談話にその単語を挿入して得々恬々として恥なき国民に何の自主的人格あらんや。国民教育において英語を全廃すべきはもちろん、特殊の必要なる専攻者を除いて全国より英語を駆逐することは、国家改造が国民精神の復活的躍動たる根本義において特に急務なり。
・日本人の一般生活に没交渉なる直訳的遊戯を課するの滑稽さは床柱を背にして小猿のごとく跪坐(きざ)する洋服姿と同じ。
・国家が児童に対して大父母たる立場においてその生みの親は単なる保姆(ほぼ=乳母)の任を負うものなり。保姆の一方が残虐なる苦痛を他の一方に加えて横暴と悲惨とを居常見聞せしめらるる児童の悪感化に対して、国家は大父母の権利において残虐なる一方を処罰すべし。
・自由は自由の侵害者を拘束せざるべからず。彼らの昏迷せる自由の解釈は、自由をもって放火の自由殺人の自由も自由なりと結論せしむるものなり。
・国民は平等なるとともに自由なり。自由とはすなわち差別の義なり。国民が平等に国家的保障を得ることはますます国民の自由を伸長してその差別的能力を発揮せしむるものなり。
・ナポレオンの世界統一主義に対して起これる民族主義が近世史の一大潮流なりしは言うの要なし。ただこれが彼の暗昧なる「ウイルソン」の口より民族自決主義と呼ばるるに至りて空想化し、滑稽化したるなり。自決とはそもそも何ぞや。ある民族がその国家組織を失う所以は外部的圧迫と内部的廃頽とによりて自決する力を欠けたるがためなり。覚醒せる民族が内部的興奮によりて外部的圧迫を排斥せんとするとき、これ無用なる自決の文字を加えざる伝来の民族主義なり。幾多の民族の中において自決するを得る覚醒的民族と然らざる者とあるは、あたかも等しき人間の中において自決する能わざる80歳の老婆あり10歳の少女あるがごとし。民族主義の本旨は人道主義と言うがごとき合理的命題なり。これを民族自決主義と名くるに至りては人道主義の命題に代わりうるに人間自決主義と言うがごとき笑倒の沙汰。老幼男女を論ぜず各人の人格を認識する人道主義を滑稽化して80歳の老婆にも生活を自決せしむべく10歳の少女にも恋愛を自決せしむべしと言わば如何。ある民族は老婆のごとくある民族は少女のごとし。この国際間における民族の老幼をも圧迫し虐遇せざるべき人道主義がすなわち民族主義の終的理想たるべき者なり。現時の強国中各種老幼の民族を包有せざる者なきこと各家庭において老婆少女を有するがごとし。これらに向かって自決を迫らば各家庭の分散すべきごとく、一切の強国は分散すべし。実に朝鮮は合併以前自決の力なかりしことは80歳の老婆のごとく、合併以後いまだ自決の力なきこと10歳の少女のごとし。朝鮮はロシアの玄関に老婆のごとく窮死すべかりし者を、日本の懐に抱かれて少女のごとく生長しつつある。
・米国の建国が社会契約説を理想として植民せる者の契約結合なるは前節のごとし。従ってその国防においても組合と組合員との間に雇用契約を締結するは、米の建国として、また英の国家組織として少しも不可なし。しかもこのゆくえを以て「ヴェルサイユ」会議において英米が傭兵制度を日本に強いたるは何たる迷妄ぞ。日本は建国精神より、また現代国民思想の全てにおいて、日本帝国を契約によりて組織したる者と一考せしこともなし。日本国民の国家観は国家は有機的不可分なる一大家族なりと言う近代の社会有機体説を、深慮博大なる哲学的思索と宗教的信仰とにより発現せしめたる古来一貫の信念なり。徴兵制の形式は独仏に学びたるも、徴兵制度の精神たる国民皆兵の義務は、中世封建の期間を除きて、上世建国時代に発源し、さらに現代に復興して漲溢しつつある国民的大信念なり。
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数に絶対価値を付して:日本人は数に絶対価値を付さない。多数決を唯一神のお告げとは信じない。(そもそも唯一神を信じて全てを任せ思考停止するようなことはしない)空気を読んだ結果として全員参加、全会一致にするのは好きだが・・・俺も知見の深い人と素人を同列に扱うのには異論がある。バカの一票も利口の一票も同列に扱うのは衆愚政治だ。
国家の元首が売名的多弁を弄し、下級俳優のごとき身振り手振りを晒して当選を争う:これ、近年のアメリカ大統領選挙のことだ。衆愚政治の行きつく先。
欧米婦人の愚昧なる多弁、支那夫人間の強奸なる口論:欧米婦人の愚昧なる多弁はともかく、中国女の強奸なる口論には同感(そういう中国女が多い)・・・ちなみに「奸」とは「よこしま、悪賢い」の意。中国女の口舌は、よこしまというより耳障り、聞くに堪えないという感じだ。
人類を公共的動物とのみ考うる革命論の偏向せることは、私利的欲望を経済生活の動機なりと立論する旧派経済学と同じ。ともに両極の誤謬なり。人類は公共的と私利的との欲求を併有す。:多様性とは、人類には公共/私利様々な欲求があることを認めること
婦人はすでに男子の能わざる分科的労働を十二分に負荷して生まれたる者。これらの使命的労働を廃せしめてまったく天性に合せざる労働を課する:俺に言わせると俺の娘は「会社で働かなくちゃいけない」という強迫観念に取り付かれている・・・女は子を生んで育てるのが向いている、それは天性だ、と思う。
英語が日本人の思想に与えつつある害毒は英国人が支那人を亡国民たらしめたる阿片輸入と同じ。言語は直ちに思想となり思想は直ちに支配となる。一英語の能否をもって浮薄軽佻なる知識階級なる者を作り、店頭に書冊に談話にその単語を挿入して得々恬々として恥なき国民に何の自主的人格あらんや:全く同感。マイクロソフトのOS、ワード、パワポ・・・日本人は支配されている。というより、自分から進んで競って支配されたがる。確かに最初は占領されてたからアメリカ様の言う事を聞いたのはやむを得ない。1952年に独立してもう70年以上。そろそろアメリカ様から離れてもよい。
国家が児童に対して大父母たる立場においてその生みの親は単なる保姆(ほぼ=乳母):子どもは国の物というのはプラトンと同じ。生むだけ生んだら国が引き取って育てる・・・少子化対策にもなるんだが・・・
自由をもって放火の自由殺人の自由も自由なりと結論せしむるものなり:トランプやイーロンマスクはこれを実践している。うそをつく自由、票を金で買い、賄賂を贈る自由・・・
国民は平等なるとともに自由なり。自由とはすなわち差別の義なり。国民が平等に国家的保障を得ることはますます国民の自由を伸長:北の中では平等>自由。俺に言わせると規律>自由。
幾多の民族の中において自決するを得る覚醒的民族と然らざる者とあるは、あたかも等しき人間の中において自決する能わざる80歳の老婆あり10歳の少女あるがごとし:民族にも多様性。自決できない民族もいる。戦後腑を抜かれた日本人もそうだなあ。
日本国民の国家観は国家は有機的不可分なる一大家族なりと言う近代の社会有機体説を、深慮博大なる哲学的思索と宗教的信仰とにより発現せしめたる古来一貫の信念なり:これが北の考える国体。天皇が親で国民はみんな子。
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