シベリア抑留

「 ソ連地域からの引揚経緯表」によれば、

1950年6月6日のモスクワ放送で:

 1949年5月1日までに418,166人が帰国し、残りは95,000人 と。

1952年1月21日付けモスクワ放送で510,409人が送還済み と。

1949年夏の下山、三鷹、松川事件をソ連に洗脳されソ連に忠誠を誓った引揚者・共産党員が主導した、ということはありうると思われるが、一方で日本の赤化を恐れたGHQがソ連の仕業のように見せかけてやった、とも考えられる。(ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻と同じく、プロパガンダ合戦で何が正しいのか全く分からない)

これら一連の事件の直後の8月29日にソ連は核爆発実験に成功しているが、無関係なのか?

閑話休題:

そもそも敗戦直後、日本政府は食料事情から、軍人を含む海外居住者を棄民し、引揚げるつもりはなかったらしい。(=棄民)それをGHQに言われて渋々引揚ることにしたらしい。

スターリンに北海道をよこせ、と言われたトルーマンが北海道は上げられないけど代わりに日本人を労働力として使っていいよ、と言ったという説。

関東軍がソ連軍に賠償の代わりに関東軍兵士の労役負担で、と申し出たという説もある。

共産党議長だった志位和夫の叔父である志位正二はシベリア抑留から帰還後、ソ連のスパイとなった。 

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