民主主義って何?
東京大学大学院人文社会系研究科助教の鈴木亘さんが研究するフランスの哲学者、ジャック・ランシエール(1940~)の研究を以下紹介:
ランシエールの考え方の基本には、人間の能力は平等だと考える意識があります。まずは、すべての人が知性や感性において平等だと宣言するところから議論を始めます。例えば、名もなき労働者による「家から庭を眺める」経験を、詩人や哲学者のそれと並べて「同じ美的経験ではないか」と示すのです。労働者も詩人も、美的・知的能力において平等ではないか、と。
なぜ、平等を強調するのか。不平等を前提にしてしまうと、能力に優れた知識人とされる人たちが、知の枠組みを独占することになります。すると、その枠組みから外れたものは知として認識されず、雑音や、意味を伴わない動物の鳴き声のように扱われてしまいます。そして知識人層は、大衆とされる人たちに「お前たちは何も知らないから、私たちが導く」といった態度を取ることになります。
実際、例えばランシエールが身を置くフランスでは、移民など様々なマイノリティーや、政教分離の原則に従えないように思えてしまう人は、共通の言葉を持たないとして議論のフィールドから排除されがちです。実際にはフィールドの外で発せられている「声」が、フィールドにいる人たちの知の枠組みではノイズとしか感じられないのは、フランスに限ったことではありません。
ランシエールは、そうしたあり方を「非民主主義」だと批判し、全員が平等に声を発することのできる契機の可能性を示しているのです。ただ、こうすべきだと導いていると考えるのは早計でしょう。それは、ランシエールという知識人による自己矛盾になりかねませんから。(聞き手・小林正典)
>>俺にはどうして美的・知的能力だけを切り取って(それだけで人間の価値が決まるかのように)考えるのか理解出来ない。
頭がいい奴もいれば悪い奴もいる。しかしそれでけでその人の価値は決まらない。運がいいか悪いか、力が強いか弱いか、悪知恵が働くかどうか…頭が悪くたって金儲けがうまいから金がある、なんていう奴は、かなり自分に都合の良い政治を実現できそうだ。つまり、民主主義ってそれぞれ得意不得意(出っこみ引っ込み)のある人達が自分の得意なこと、やりたいことをして競争しながら協奏する、そういうことではないか?多様性って、バカだけど力がある奴と利口だけど力がない奴が一緒に暮らすことではないか?
一方にバカで議論には弱いけど金の力で自分のやりたいことをやる奴がいて、他方に利口で議論には強いけど金のいない奴がいてそれを批判・非難する、そして一番肝心なことは、攻守が入れ替わる、それが民主主義ではないか?
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