一人じじいが気になる
久しぶりに上さんと昼食を銀座アスターで喰う。焼きそばのえびは片栗粉をまぶして茹でてあるし、酢豚の豚肉は小麦粉をまぶして揚げてある。こういうひと手間が素晴らしいと思う。銀座アスターって店が何軒があるか知らないが、多分全店こういう当たり前の手間を惜しまず律義にかけるんだろう、と思わせる。
俺も自分で焼きそばも酢豚も作るが手抜きしてこういう手間はかけない。だからまずいか、と言うと大差はない。だが、うまい/まずいではなく、昔からの教えを守って、律義に手間をかけるところがよい。俺には真似できない。これで昼食2人前約6千円。決して高いとは思わない。
気が付くと一人じじいが多いこと。店に入った時に二人いた。一人は麺をすすっている。一人はビールだけ飲んで帰ったようだ。そのじじいと入れ違いに別のじじいが。2,3冊あるメニューをみんな見てるが決まらない。それを2,3メートル離れたところからじっと見ていたおばさんウェイトレスが「何かお探しですか?」と声をかける。そのタイミング、声のかけ方が絶妙だ。じじいの反応を観察していると、ろれつが回ってない。だいぶ「お脳」が不自由みたいだ。それでもちゃんと注文を取る。「喰いたいものを言わない、言えない(もっと言えば何を喰いたいのか自分一人では決められない)」客から注文を取るおばちゃんの”察する力”のすばらしさ。これぞ日本人!一人じじいの客にはこういう年季の入ったウエイトレスが必須だ。
アメリカにいた頃、マックに行って注文するとき、カウンターの向こうに仁王立ちになって手を組んだ黒人の姉ちゃんに、「何を喰いたいの?早く言ってよ!」とばかり睨まれたのを思い出す。そうなるとなかなか決まらないけど無理矢理注文する。アメリカ人って本当に何が喰いたいのか即断即決できているのかな?本当はできないけれど、見栄張って、できるフリしてるのかね?そこへ行くと日本人の「じゃあ僕も同じもの」なんて頼み方は味がある。
閑話休題:
スーパーでも一人じじいをよく見かけるようになった。何故だろう?コロナで急増したように思う。俺は一人じじいなんて惨めなことはしたくない。上さんに、俺が死ぬまで元気でいてもらうよう祈るしかない。
コメント
コメントを投稿