「まさか」の退陣表明の耐えがたい軽さ 土の匂いのしない政治家たち(8月27日朝日新聞デジタル)
小村田義之という記者が以下:
引っかかったのは、あの会見の、あまりにも熱のない語り口だ。日程や政策課題など平板な話が続き、首相として何を実現したかったのか、いま何を思っているのか、最後までよくわからなかった。何の思い入れもない、耐えがたい軽さである。
民主主義の根本精神は、人間を尊重することにある。だが、最近の自民党の政治家からはそういう信念が感じられない。国民から離れたところで勝手に動いているように見える。
そもそも岸田氏の目には、国民の姿が映っていないのではないか。自分の都合で記者会見を開いて語りかけるなら、お盆の静謐(せいひつ)を乱すことへのためらいや、猛暑のなかで働く人をねぎらう気持ちが、少しはにじんでも良さそうなものだ。
「自民党解体論」で責任勢力の再建を訴えた元経済企画庁長官の田中秀征さんにインタビューしたとき、こんなことを言っていたのを思い出す。
「テレビに出た時は、信州のリンゴ農家の人たちを思い浮かべて話すんです。一生懸命、応援してくれたしね。そういう人たちを思い出す」
自分が育った環境への土着性と、原体験。そこから政治家の志が育まれる。「いまは原体験まで親のものを借りているような政治家が多いんじゃないか」と言い、在野の有能な人材を永田町に送り込むための選挙制度改革の必要性を唱えている。
土の匂いのするような政治家が少なくなった。聞こえてくるのは、借り物のような無機質な政策論ばかりで、何かを成し遂げようという気迫が伝わらない。
そういう時代なのかもしれない。しかし、それで良いとも思わない。
まさかの記者会見は、岸田氏の狙い通りだったのだろう。お盆が明けると、重しがとれたように総裁選の候補者が乱立し、自民党のプレゼンスを示す舞台装置が整いつつある。
だがほんとうに大事なのは、自民党の活性化ではない。人びとが希望を持てるような社会にならなければ、永田町という狭い世界の権力闘争に終わってしまう。
ある日突然、株価が乱高下し、スーパーの棚からコメが消える。いつ大地震が起きるかも、きょうと同じ明日が続くのかもわからない。そんな不安を払拭(ふっしょく)する政治家の志が求められている。
「まさか」の続く時代だからこそ、一人ひとりの暮らしに根ざした、土の匂いのするような政治家の確かな言葉を聞いてみたい。
>>メディアがやるべきことは、自民党(でもどの政党でも)を非難・批判することではない。先の大戦でメディアも戦争を煽ったというトラウマがあるのか、政治や官僚を非難・批判することに血道を挙げているが、これでは自民党(なり他の政党)と同じ土俵で言ったり言われたりしてるだけだ。
小村田義之さんは在野の有能な人材が政治家になろう、と思って欲しいと真剣に思っているのか?本当にそうなったら、朝日新聞は政治家の批判・非難ができなくなってしまうから困るのか?彼の記事も耐え難い軽さだ。
ちなみに俺は選挙制度を変えても政治家の質はよくならないと思う。まず、政治家を目指そうという若者を増やすことだ。そのためにメディアがすべきことは政治家を褒めることだ。政治家が格好いい職業だ、とPRすることだ。
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