「他策ナカリシヲ信ゼムと欲ス」読後感想

 本書は1969年に当時の佐藤首相とニクソン大統領による、沖縄返還交渉の裏方をやった若泉敬氏の回顧録。彼は1994年本書が上梓されたあと、1996年66歳で死んだ(Wikipediaでは服毒自殺だったと)。

彼は沖縄の人々を愛し、本土決戦せずに沖縄だけを犠牲にしたことを人一倍残念に思っていたが、沖縄返還を優先し、建前上は「核抜き本土並み(アメリカは沖縄に配備されている核兵器は撤去し、有事の際には事前協議して日本がYesと言わなければ核兵器を持ち込まない)」と発表しながら、実際には事前協議されたら日本はNoとは言わないことを密約し・・・いわゆる核持ち込み密約・・・その密約メモを歴代の大統領と首相が極秘に保有することをキッシンジャーと裏交渉して決めた。このことが彼の心に重くのしかかって自殺にいたった。

そもそも「他策なし」という言葉が「沖縄返還交渉をまとめるには二枚舌=嘘」しかなかったんだ、ということを自分に言い含めようとした言葉だ。

本書にキッシンジャーは中国(周恩来)好きだった、というくだりもあり、また、ニクソンはベトナム戦争の責任を取ってジョンソン前大統領が辞任しても反戦運動はおさまらずに、もっと激しくなったのを見てベトナム敗戦を決めたような記述もある。

アメリカにとって沖縄返還のハードルは①中国との戦争の可能性とベトナム戦争の維持続行②多くの米国兵の血で勝ち取った沖縄を日本に負けた訳でもないのにむざむざ返すのか?という世論だったが、①のハードルは、ニクソン・キッシンジャーにとっては低かった。また、ニクソンは副大統領時代佐藤首相の兄である岸信介と交流があって弟の佐藤首相とも信頼関係を築きやすかった。そして、若泉敬(筆者)とキッシンジャーという裏方に恵まれた・・・こういった僥倖に恵まれ、沖縄返還は成立したのだ、ということが分る。

この交渉が始められ、実際に返還となった1969年~1972年はちょうど俺の高校時代だ。受験勉強に忙しかった俺はこんなことには興味はなく、1972年5月に行われた沖縄返還の儀式にもさほど感ずるところなく、心は受験から解放された喜びで一杯だった。

閑話休題:

後年、佐藤首相は密約メモを自宅に保管していたことが民主党政権によって暴露される。

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