マッカーサーの考えた民主主義・平和憲法

 「マッカーサーと吉田茂」(リチャード・B・フィン著 1993年刊)より

・マッカーサーかホイットニーのどちらかの自筆になる憲法案の骨子は

①天皇を国家の元首とする・・・天皇の義務と権限は・・・国民の基本的な意思に基づく・・・

②国権の発動としての戦争は、これを放棄する。・・・日本は紛争解決の手段として、かつまた自己の安全保障の手段としても戦争を放棄する・・・日本の。陸軍、海軍、空軍のいずれの存在も認めず、日本軍には一切の交戦権を与えない

③日本の封建制は、これを撤廃する。皇族を除いて華族の特権は存在しない・・・予算の型はイギリスの制度にならう

・戦争放棄条項もやはり議論を呼んだ。(1946年)6月29日、共産党の指導者野坂参三は、防衛のために戦争はやむを得ないのだから、攻撃を目的とした戦争だけを放棄すべきではないかと質問した(中略)野坂を始めとする質問者は、戦争を非合法化する前に、日本はまず国際連合に加入すべき、という意見を表明した。戦争放棄が望ましいと分かっていても、日本だけが、一方的に放棄するのは如何なものか、と懸念する声が議員の間には強かったのである。吉田はそれに答えて、世界のどのような戦争であれ、当事国は「防衛」の名のもとにそれを正当化してきたのだから、防衛のための戦争であっても戦争そのものを一切非合法化することで、武力に訴える口実を認めないのが新憲法だと答弁した。いずれにせよ、この問題では国会が独立した機関であることを立証した。衆議院は憲法草案を検討するための小委員会を設け、委員長に元外交官で弁護士でもある芦田均を任命、この小委員会は夏の間、検討を重ね、国際平和をめざす日本の新しい姿勢を一層強調するために第9条に多少の変更を加えて次のようにするよう提案した。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を史実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国家の交戦権は、これを認めない。

日本の放棄すべき戦争を国際紛争解決手段としての戦争に限定し、自衛のような主権を守るための武力行使まで禁止はしないようになっていた。

・衆議院で憲法改正案が賛成342票対反対5票で可決さrた。反対の5票はいずれも共産党だった。

・1956年国会は識者からなる憲法調査会の設立法案を可決し、1947年憲法の改正を答申させようとした。社会党と共産党は調査会への参加を拒否し、調査会設立が憲法をなし崩しに改正しようとする保守系の手段だと抗議したが、女性一人を含む38名の調査会は1964年に最終報告書を提出した。(略)憲法調査会のメンバーは、その過半数が第9条を始めとしていくつかの点で改正に賛成したが、勧告書の形で明示したわけではなく、政府も報告書を受けて改正を検討するということもなかった。1985年になって、中曽根内閣は、憲法改正の検討を行ったが、国民の関心も支持も得られなかった。日本人は法律や憲法を、西欧人が考えるように一定の意味内容を持ち、拘束力のあるものと見なさないため、憲法を早急に変更する必要があるとは感じなかったのだろう。「自衛隊」という名の軍隊を保有しながら、第9条の戦争放棄条項が存在すると言う明らかな矛盾をさえ改めようとはしなかった。

「ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず」(ジェフリー・ペレット著 2016年刊)より

マッカーサーは、日本の武装解除を進める一方で、その民主化にも着手した。吉田のような日本の政治家は、日本が第一次世界大戦以降は民主国家であったが、大恐慌によって軍部が力を持ってしまったということを、彼に伝えようとした。あの吉田が、生来、日本は本質的には民主的な国であったと彼に知らせようとしたのである。しかし、実際のところ、アメリカやイギリスでよく知られるように、民主的ではなかった。二十世紀初頭の日本は、西洋民主主義の外側の飾りだけを模倣していたが、自由な報道もなく、社会的変を働きかける自発的団体の広がりもなく、人権や市民的自由への保障もなかった。名目上女性は選挙権を与えられていたが、政治的、社会的圧力がその行使を妨げていたのである。もし日本に真の民主主義が存在していたならば、いかなる状況下でも軍が政府を支配することなど不可能であったであろう。マッカーサーは、日本に欠けていた政治的、経済的要素を日本に導入しようとした。

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戦争なんてコリゴリだ、もう戦争なんてない・・・というマッカーサーの間違った理想主義を日本の共産党他の人達が現実的なものに変えようとした。後年共産党が護憲に回ったのは、憲法9条がソ連や中国にとって有難いからか?

日本には民主主義は根付かない・・・憲法ですら守ろうとしないのだから。

民主主義って金と時間がかかる・・・かつてのイギリス・アメリカは植民地の住人や奴隷(差別された人々、自由競争で負けた人々)を人間とは考えないで搾取して得た金を民主主義に使った。これは奴隷制の上に成り立っていたギリシャの民主主義も同様。そして他国より生産・戦争・情報・・・の技術において一歩リードしていたから追い付かれるまで、時間的余裕を持てた。要は、きれいごと言ったって強者の自由、平等、民主主義であった。

憲法すら軽視し、カネの面でも時間の面でもアメリカの後追いしかできない弱者日本には民主主義はなじまない。一方で弱くなって金も時間も失ったイギリス、中国やインドに追い付かれ抜かれるかも知れないアメリカ・・・両国で行われているのは民主主義なのか?植民地や奴隷を失ったイギリス・アメリカは国内で自由競争に負けた弱者・敗者を生み出し、彼らから搾取した金で民主主義のコストを賄おうとするが、一方でそれはまやかしだとする人々との断絶が深くなる。

二十世紀初頭の日本は、西洋民主主義の外側の飾りだけを模倣していたが、自由な報道もなく、社会的変を働きかける自発的団体の広がりもなく、人権や市民的自由への保障もなかった・・・さて、二十一世紀の今、日本は真の西洋民主主義が根付いたか?相変わらず外側の飾り=”なんちゃって民主主義”だろう。更に言えば、西洋民主主義なるものは人間を幸福にすると期待できるのか?

日本において、自由な報道はあるか?政府やアメリカにコントロールされていないか?(アメリカにおいてもディープステートの発するフェイクニュースでコントロールされてないか?)

日本において、社会変革を働きかける自発的団体は広がっているか?そもそも日本人は自発的に社会変革を目的とした団体を作るようなことが得意か?懇親や親睦を目的とした地縁血縁、同郷、同窓による”仲良しクラブ”が精一杯ではないか?(アメリカにおいても、社会変革というよりは互いに争うグループに分断してるだけではないか?)

人権や市民的自由・・・民主的で自由な競争の結果、格差が大きくなっって絶望が深くなった。ポリティカル・コレクトネスやら多様性といったきれいごとに疲れた人々が現れた。そしてそのきれいごとを巡って断絶が深くなっただけではないか?(アメリカではもっと格差・断絶が大きい)


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