佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」 痛快!(8)

 「サザエさん」に関する感想:

カツオと同じ年ごろの子を持つ親として、波平の子供を理解しようとしない古い父親に理不尽さと不快感を覚える・・・これは30歳の男性の意見だ。思わず私は「おいおい、これはマンガだよ…」と言いたくなった。マンガというものは人間の機微を捉えて、それを面白がるゆとりから生まれるものだ。「父親としてのあるべき姿」を説く教育書なんぞではない。

登場人物の粗忽や間抜けや失敗、悪戯や嘘や頑固を笑えばいい、遠慮なく笑うためにマンガはあるのだ。一体いつからマンガは人間を論評する場になったのだろう。

「昔は廊下に立たされても授業に追い付けた。『子供は教育を受ける権利がある』という言葉に時代は変わったんんだな、と思った」これは58歳の女性の感想である。

「成績は悪くてもカツオの生きる知恵の豊かさに感心した」察するにカツオが下手な悪知恵を使って父親のお説教から逃げる場面なのであろう。感心してる場合か。ここは笑う所だ。なぜ笑わない!笑わずに感心するとはマンガに対する侮辱ではないか!しっかりせえ、と私は怒りたくなった。しかしこの記事をまとめた記者は、真面目にこう結んでいる。「多様な意見にサザエさんの不動の人気ぶりを垣間見るようでした。」

私が子供の頃、何度も読んではそのたびに笑ったマンガがある。泥棒を警官が追いかけながら、「待てぇ・・・」と叫んでいる。逃げている泥棒に待てぇと言っても待つわけがない。だが警官は真剣に眉を吊り上げていっている。「待てぇ」と、そこがまずおかしかった。追う警官は眉を吊り上げたまま、バナナの皮にすべってひっくり返る。ひっくり返ったまま、「待てぇ」と言っている。眉を吊り上げたまま。昔のマンガはそんなものだった。それでも私たちは面白がって笑った。今の子供はどうだろう。笑うか笑わないか。「警官たる者は方々に目を配って注意を払っていなければならないものだということを教えているのだと思います。」とでも感想を言うのかもしれない。

これを日本人が知的になったと考える人もいるかも知れないが、私はなんだかうら淋しい、心細いような気持ち、心配になってしまう。

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20世紀、見て笑うマンガや芸は、見て勉強するモノとは差別されていた。笑われるモノ、人は一段低いと見られた。そんなモノ、人にモラルや常識やコンプライアンスを求めたりしなかった。これを差別と言う。その方が健全だったし、漫画家や芸人も自由で気楽ではなかったのか???21世紀は差別がないフリをしておいて、実際には差別はある。加えて差別しないフリするために漫画家や芸人がモラルや常識やコンプライアンスを求められる・・・

差別して笑うべきを笑う・・・俺と上さんはこのセンスが似てる、と思う。

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