佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」 痛快!(12)

 ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが、息子さんの「ニンテンドー3DS」を真っ二つに折って壊した。平日のゲームは禁止と言う決まりを9歳の息子さんが破ったからだという。その顛末を高嶋さんが新聞のコラムに書いたところ、忽ちネット上で大炎上した。それを「ゲーム機バキバキ事件」と言うそうだ。ネット上の大炎上とは「子供への虐待」「やり過ぎ」とか「子供の気持ちを分かろうとしない親は馬鹿」とか、「任天堂に謝れ」なんてものまであったらしい。当節は興奮すると味噌もクソもいっしょくたにして文句を楽しむ人がイチャモンをつけて留飲を下げる趣味と言うか、生き甲斐というか、いや、流行性の病のようなものというべきか。イチャモンつけの元祖である私でさえただ呆気にとられるばかりである。

高嶋ちさ子さんの気持ち、約束を守らなかった息子さんに腹を立ててゲーム機を二つに折った気持ち、私にはよくわかる。普通の親であれば誰だってカンカンに怒る。それが母親と言うものだ。母親にとって子供は自分の血を分けた、切っても切れぬ分身である。こういう人間になってほしい、こういうことはしてほしくないと常に願っているのは分身ゆえだ。他人の子供ならば、「あんなことしてる。しようがないわねえ」ですむが、母親だから怒りに火がつく。

 親の感情を子に押付けるな

 子供の自主性を尊重せよ

 親は権力者であってはならない

などと、教育の専門家は言う。正論である。

しかし生身で子育てに熱を籠めている母親には、正論なんぞ右の耳から左の耳へ抜けていく。自主性を尊重しろと言われても、そもそも自主性なんぞうちの子にはないのだから尊重なんてできません、という母親もいれば、子供の気持ちをわかれなんて、ヒトゴトだと思って夢みたいなこといわんでほしい、子供の気持ちを思いやってたら、こっちの身がもたないよ、と怒る人もいる。

この騒ぎと前後して、ビーフカツに異物が混入した疑いがあるというので製造元が廃棄処分にしたものを、廃棄業者が横流ししてそれがスーパーで安く売られていたという騒ぎがあった。そして例によって憤慨する声、心配する声が湧きあがったのだが、そのうち「値段が安いものに無考えに飛びつく女性がいるのがイカン」と、女性の安物買いを批判する人が出て来た。そう言われれば、それは確かに正論だ。うちの女房を見ていると、全くその通りだと共感するご亭主族も少なくないということらしいが、それを聞いた大阪のおばちゃんが、「正論もヘッタクレもあるかいな。そんなもん、安けりゃなんぼでも買うがな」

という一言ではね飛ばしてしまったそうで、私は嬉しくなって思わず拍手をしてしまった。

異物が混入したらしいビーフカツの、その異物とはどんなものかと訊ねると、はっきりしないがプラスチックのカケラみたいなものじゃないか、という話だった。正体もよく分からない。混入したかどうかも分からない、「らしい」だけで廃棄するのか!4万枚も!しかしそれが文明国のなすべきこと、あるべき姿だといわれれば、そうですか、と言って引き下がるしかしようがない。もしもプラスチックのカケラが混入していれば、口に入れると舌に触れるだろうから、その時は吐き出せばいい。それだけのことなのに、もったいないねえ、大げさだねえ…などと落ちぶれた主婦魂の持ち主たちはひそひそと言い合うのだ。

この頃のこの国を、やたらにギスギスとして小うるさく、住みにくくいちいちうるさく感じるようになっているのは、何かにつけて雨後の筍のように出て来る「正論」のせいで、しかしそう感じるのは私がヤバン人であるためだということがここまで書いてきてよくわかったのである。

>>>プラスチックのカケラが混入していれば、口に入れると舌に触れるだろうから、その時は吐き出せばいい・・・本来、人間に備わっているはずの異物を感じる機能、その他危険を察知したり、熱いものに触れば「アツッ」と言って手を引っ込める反応、情や我慢、機転といった心の動き・・・こういったものを信じない「正論(理屈)」が流行っている。俺はそういう肉体及び心の機能が備わっていない人間は「かたわ」だから死んでもケガしてもよい、と思う。それが「摂理」だろう。この人間に本来備わっているはずの機能がゼロ(かたわ)でも生きられるようにする、という風潮(正論)は、同時に「かたわ」でない人の持つ機能を劣化させる。そうして本来人間がもっていなければ生き残れない機能が劣化した人間(「かたわ」あるいは「かたわのなり損ね」)ばかりになる。養老孟子さんが言う「バカの壁」も人間が動物(佐藤さんの言う”ヤバン人”)として本来有すべき機能が損なわれた人間のことだ。

母親が「動物として子供を守ろうとする本能のようなもの」をコントロールせよ、”子供に寄り添え”という「正論」に従えば、子供は「ヤバン人」にはならないかもしれないが「かたわ」に育つ。周りがみんな「かたわ」だからその方が生きやすいかも知れないが・・・

俺は大阪のおばちゃんではないが、訳ありの安物にはよく手を出す。「記念だと思って」買う。当然失敗もある。下手したら体を壊すかもしれない。それでいいと思う。危険予知能力が弱かったから、運が悪かったから被害に遭った、と反省する。決してこういう経験は無駄にはならない。(金額次第だが・・・だから訳ありの安物でも一定の金額以上なら買わない)

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