吉野秀雄「病床日録」より
昭和37年8月18日の日記を下記:
8月18日 くもり 台風12号の影響
〇ソ連が日本領土千島を占領したこと、敗戦当時北海道まで奪おうとしていたことは、時々思い出しては腹を立てる
〇終戦のあと、朝鮮人は第三国人と称して汽車電車に無切符で乗り、車掌が何か言うと脅迫した。(何度も実見した)行列を作っていると、その先端に割り込んで来るのは普通だった。人間としてこうまで卑しい者にいかなる場合にも好意はもつまいと思ったことをふと思い出した。今は気持ちがすっかり緩和されているが、忘れ切ったわけではない。
※昭和20年以降、8月15日の前後に、多くの日本人はある種の感慨を抱いた。敗戦当時ソ連は北海妻で奪おうとしていたのは本当か?多分本当だろうが、アメリカ・ルーズベルトの策略で、千島を与えてスターリンに北海道も、と思わせ、その気にさせた、という事ではないか?これで日ソの間にくさびを打ち込んだ。スターリンといい、プーチンといい、西側の策略にはまって踊ろされ、悪役を演じる、という印象がある。
朝鮮人が自ら「第三国人」と称していたことは初めて知った。俺は日本人が大陸から渡って来た人たちを差別して第三国人と蔑称した、と思っていた。「俺たちは権利も認められない『第三国人』だ、だから義務も責任もない」と言う論法だろう。このことをもって「これだから朝鮮人は…」などとは思わない。日本人だって満州では国家から見棄てられ、わが子を棄てた。
興味深いのは「敗戦」と「終戦」の使い分けだ。
吉野秀雄は歌人だったので、終戦と敗戦を何らかの基準・こだわりで使い分けたと思う。
日本のポツダム宣言受諾の日(8月15日)=終戦。それ以前に日本の敗色が決定的になったことを敗戦と呼んでいるのか?敗色濃厚となって抵抗できなくなった日本から火事場泥棒のように領土を奪うソ連。日本が正式にはっきり負けを認めた後から劣等感・抑圧への反動で調子に乗る朝鮮人…今でもそれを引きずっている。
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