罰(バチ)が当たる

言葉の意味辞典より: 

「ばつ」と「ばち」の読みは、次のように使い分けられます。

  • 罰:ばつ…人が与える罰、懲らしめ
  • 罰:ばち…神仏など、天が与える罰、懲らしめ

すなわち、「罰(ばち)が当たる」は、人が定めた法令・規則などによる「罰」ではなく、人以外の何か(天、神、仏、その他因果応報を司るもの)が与える罰であることがわかりますね。
「天罰」「神罰」「仏罰」は、それぞれ「天から」「神から」「仏から」下される罰のことです。「天罰」は「自然の摂理がめぐりめぐって罰を下す」といったやや曖昧な含みがありますが、「神罰」や「仏罰」は若干宗教色が強くなります。

「神罰」や「仏罰」を用いる際には、根拠となる宗教観やその教えが背景にあることが前提となるでしょう。

とある。「俺は許しても、お天道様は許さねえ」と言った感じか。

しかし、何故「当たる」のか?天や神や仏が「当てる」のではないか?「当てる」のでなく、「当たる」と言うのは、何ものかの意志ではなく、放っておいても「自然に当たる」と言いたいのだ。これが日本教だろう。一神教のようなGodのように自身の意志で人間を含む世界の運命を支配するものではない。中国の天に近い。天や自然に意志はない。ただ、人間のすることを「それでよし」とか「それでは駄目」と評価し、駄目の場合には長く続かない、というだけだ。
中国はより人間中心で人間のしたことを後から天が評価する。駄目と評価されれば天ではなく、他の人が罰を当てる。
日本は自然の力が強く、人間より自然の方が上だ。自然によって罰が当たる。

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