食料自給率のマジック
石破茂さんが国会質問で食料自給率計算において、「食料の必要量」を分母にすべき、という指摘をした。
農水省のホームページより:
「食料自給率」とは、その言葉の通り我々が食べる「食料」を「自給している率(割合)」です。「自給している割合」とは、「日本全体に供給された食料」に占める「日本で生産した食料」の割合ということになります。「食料」には、米や麦、肉、魚介類、野菜、果物など様々なものがあります。そこで、これらを品目毎に分類して、国内で生産している量や輸入している量を把握し、自給率を計算しています・・・
確かに必要量を分母に計算すべきだろう。国際的に現状の計算法が求められるなら、それはそれで計算するとして、独自に「需要・必要量」を分母にした計算値も発表すべきだろう。現状の計算法は、日本人得意の「過去・既成事実」に基づくものだ。将来どうすべきか?の指針としては需要・必要量の予測に対してどうすべきか?が妥当だ。
そして、食料自給率もさることながら、潜在的な自給率を上げろ、つまり米の生産可能な田んぼを確保しろ、というのも卓見だ。
閑話休題:
石破さんの指摘でもう一つ驚いたのは「ソウルのシェルターが人口の3倍分ある」ということ。東京もせめて人口分程度は必要?。これも日本人が不得意だ。シェルターの議論なんて不吉だ、戦争が起こることを前提とする議論なんてしたら本当に戦争が起こる…といった感情(=言霊)に支配される人が多い。憲法改正同様、シェルター議論がいつ、どういう風に行われるか?興味津々だ。社民党なんてシェルター議論にどういう反応を示すんだろうか?
つくづく、セキュリティというものに対する日本人の特異性を思う。国防にせよ、食料セキュリティにせよ、「いざとなったらなんて考えずに、今まで通り何も考えずに放っておこう」は根強い。そして、俺も「それでもいい/それしかできない」と思う。無責任だ。だって、もう責任なんてないもん!だ。
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