五輪汚職の高橋治之の「告白」を新聞・テレビが報じないワケ…誰を怖がっているのか?(元木昌彦)
日刊ゲンダイ DIDITAL に2月18日付けで以下。
【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】 東京五輪の受託収賄事件で1億9800万円のワイロを受け取ったとして起訴された高橋治之元電通専務が週刊文春(2月15日号)で、“安倍晋三に裏切られ、森喜朗に嵌められて…”と「初告白」している。
「僕が理事になった十四年時点では組織委は一般財団法人でしたが、翌十五年に『オリ・パラ特措法』ができて、組織の理事は公務員とみなす、いわゆる『みなし公務員』となることが決定したといいます。でも、この変更について組織委からの説明は何もなく、紙っぺらが送られてきただけ。それも色んな書類に紛れて全く記憶に残っていませんでした」
要は、高橋は民間のコンサルタントとして金集めに協力したので何らやましいところはない、森は法廷に出て本当のことを言ってくれと懇願しているのである。
文春のスクープにケチをつけるわけではないが、高橋側の言い分をそのまま載せるという条件で折り合ったのであろうか、いつもの文春の突っ込みがやや弱いと感じた。
しかし、文春記者とは別に、大手メディアの多くの記者が高橋に接触していたはずなのに、なぜTBS以外のテレビや新聞は報じようとしないのか? それは、彼らが警察や検察に怯えているからである。
私は週刊現代(1996年新年合併号)で、当時、地下鉄サリン事件などの主犯として逮捕・起訴された麻原彰晃の「供述調書」を独占掲載したことがあった。当時、警察も検察も「麻原の調書はない」と言い続けていたが、同じものをいくつかの新聞社が入手していたことは間違いない。だが、彼らは警察、検察の記者クラブから出入り禁止になることを恐れ、出せるはずはなかった。
これを出せば検察は激怒し、私を逮捕するかもしれなかった。なぜなら、調書で麻原は延々と自己弁護し、犯行は自分の知らないところで部下たちがやったという内容だったからだ。当局の面目は丸潰れになり、醜態をさらすことになる。
案の定、掲載誌が出た後の検察の“報復”は厳しいものだったが、ここでは省く。
今回も新聞・テレビが無言なのは、無罪を主張する高橋の言い分をそのまま載せて、検察から睨まれたくなかったからではなかったか。権力を監視するという役割など、とっくに放棄しているのだから当然だろうが。
「事実に反した森さんの供述で、僕は逮捕されてしまった」という高橋の告白から、私が読み取るのは、当局は五輪汚職を事件化するために、森喜朗と「司法取引」したのではないかという“疑念”である。「森さん、あんたを見逃す代わりに高橋を差し出せ」──。ここはぜひ森の弁明が聞きたい。 (文中敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)
※
“安倍晋三に裏切られ、とあるのは、五輪の仕事は手が後ろに回る、と嫌がる高橋さんを安倍さんが「手が後ろに回らないうようににする」と言って口説いたことを指す。安倍さん暗殺が2022年7月8日、高橋さんが青木からの受託収賄で逮捕されたのが同年8月17日。暗殺された時点で検察側に内偵の動きはあったはずで、それを握りつぶさなかった安倍さんに対して「裏切り」と言っているのだろうか?安倍さんが生きていても同じことが起こったか?は疑問ではある。ただし、この時点で安倍さんが首相でなかった、ということが既に裏切りだった、とも言える。
高橋さんは何を頼りに無罪と言い張って頑張るのか?森憎しで森さんに仕返しをしたい、森の手も後ろに回るようにしたい、という虚仮の一念か?それとも安倍さんのことを「心ならずも裏切られる形になったが”同志”だ」と考えて、自分一人で自分を守り、安倍さんの遺言を実現しようとしているのか?
俺は森さんは特段嫌いではないが、ここ数年、顔に生気がない、肌に血が通っている感じがしない。死相が現れているように思う。同様に死相が出ていると感じたタモリは明らかに引退モードに入っている。森さんもタモリのように、五輪なんかに関わらずに引退すべきだった、と思う。すでに森さん本人には判断能力がなく、取り巻きが利用しているだけかも。
彼らが警察や検察に怯えているからである。(略)彼らは警察、検察の記者クラブから出入り禁止になることを恐れ、出せるはずはなかった…役人がメディアの生殺与奪の権を持っている、これが日本の「民主主義ごっこ」だ。この点はアメリカは違う。つまり役人も大統領が変れば変わる、という事だ。そうであれば、バイデン政権で役人から駄目と言われたことがトランプに変わればOKとなる可能性がある、ということ。日本では気の利かない、役人以外では飯が食えそうにない輩がずっと役所に居続けてメディアほか、民間企業を支配しようとする。そんな馬鹿役人には賄賂でも…となる。
アメリカの、大統領が変れば役人も…というのは大統領にスカウトされた役人は数年後にまた元の会社、あるいは同じ業界に戻る可能性がある、ということ。それがわかっているから、元の会社・業界に有利な政策をやろう、とする。これが8年も続くとかなりヤバイことになる。でも、その独裁、偏向、不平等は有期限だ。(例外的にFBI長官のフーバーは、1924年から1972年に死ぬまで終身長官だった。彼は大統領のスキャンダルを握り、大統領も手を出せなかった)労働市場の流動化を言うなら、まず、役人からだ。役所のメネジメントを見習う民間企業は多い。
文春砲には、松本人志なんかより森喜朗に引導を渡してもらいたい。
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