東大吉本対話 vol.2 教育と笑い NONSTYLE石田明×東大名誉教授中邑賢龍

 BSよしもとで石田vs中邑 対談を見る。石田が東大に乗り込んだ。

面白い。中邑名誉教授は現場に行くこと、能動的にやること、誰からも教えてもらわないでやるという教育を実践している。逆に言えば今の教育は親切に教えすぎ、(だから、自分の頭で考えない)と考えている。与えないことが教育だ、と。

石田は「言葉は感情を注ぎ込む器だ」という。同じ言葉でもどんな感情を注ぐかで違ってくると。中邑さんはこれを受けて「馬鹿とかアホを言葉として禁じるのは間違い。馬鹿アホでもどういう感情を注げば使ってよい、ということを教えないと」

石田は昔ながらの「見て盗め」式の板前修業も経験し、それをよしとする。

中邑:100点満点はない、どうやっても100点は取れない。どうやろうと自由だ。目的も時間的制約もなしで何かやれ、と言うのが教育。

石田:舞台は現場に行って見てくれ、と。You-Tubeでは本当の面白さは掴めないと。今の子は笑いを取る手法は知っているが、本質は分かろうとしない。YouーTuberに憧れるのではなく、生の舞台を見て「俺も漫才やろう」という人を作りたいとも。

閑話休題:

何故、自分お頭で考えないような子が出来上がってしまうのか?

何故、「これが生きる手法だ、これが100点満点の生き方だ」と信じてしまうのか?

中邑さんの言う通り、教育のせいなのか???

なんでもネットで経験した気になる、というのも問題だが、では何が問題か?と聞かれると説明が難しい。石田の言う通り、本質が掴めないという事かも知れないが、みんながみんな、本質をつままないまま、ああだこうだ、とやって回っていればそれはそれでいいじゃあねえか、とも思う。

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