ボローニャについてどちらが正しい?

2000年前後、仕事で何回かイタリア・ボローニャに行った。結構面白い機械メーカーがあった。印象深かったのはある日の夕方、数人(数十人?)が窓を開け放った部屋で話し合いをしていたのを目撃したことだ。雰囲気からして政治向きの話をしていたように思った。「日本じゃあ酒飲んで政府の悪口を言うのが関の山だが、イタリアは違うなあ」と妙に感心したことを覚えている。

さて、そんなボローニャのことを井上ひさしさんが「あてになる国のつくり方」という本で絶賛している。井上さんによれば:

イタリアでは戦後、保守派の首相が、社会主義になっていたボローニャには政府から復興資金を出さない、と発言、売り言葉に買い言葉でボローニャ市民が政府の金に頼らず復興した、その中で利益目的の不動産売買を禁じ、街の中心にある歴史的建造物の外観も禁じ、機械工業その他の会社は社員200人を超えたら分社する(分社された会社は親会社の技術を流用できるが、同じ機械は作れない・・・違う用途の機械なら作れる)、市会議員や市長は無給のボランティアで昼間は仕事して夜6時から市議会が始まる・・・などを実行し1970年代前半にはイタリアで3本の指に入る収入の良い町になった・・・

これを読んで俺が夕方印象深く見た市民の話し合いは市の運営に関わる話し合いだったのか?などとも思う。

念のためボローニャをWikiってみると以下の通り、かなりニュアンスが違う。

第二次世界大戦後は東西冷戦の中、1960年代から1980年代にかけてエンリコ・ベルリンゲル書記長の元で高い人気を誇ったイタリア共産党を中心とした左派革新政党が市政を握る事となる。

その結果ボローニャは「革新派のショーウィンドウ」と化し、左派革新政党がボローニャの財政状況を無視し、バスの時間限定無料化や高齢者のバカンスの無料化などの様々な「革新的」な施策を行う舞台となり、財政状況が悪化し中央政府から多額の資金援助を受けることになった。


一体どっちが正しいの?1970年代までは井上さんが正しくて1980年以降はWikiが正しいの?だとすれば20001年に書かれた井上さんの記述は嘘ではないけれど、ボローニャを日本の市民のお手本として賛美したい井上さんにとって都合の悪い1980年以降については書かなかった、ということかな?


閑話休題:

ボローニャの隣?にモデナという町がある。ここはフェラーリ創業者の出身地で、フェラーリの工場もあるそうだ。またバルサミコの産地としても有名で、俺はバルサミコの工場跡を改造したレストランに連れて行ってもらって飯を食った。俺を連れて行ったイタリア人が①「これは何年*もののバルサミコだ?」と言って手首にバルサミコをつけて匂いを嗅いでいた②バニラアイスクリームにバルサミコをかけて食っていた  のには驚きかつ笑った。

*古ければ古いほどおいしい=高い とされている


コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

長嶋追悼:広岡さん