森田実「独立国日本のために」より
2011年12月にKKベストセラーズより出された「独立国日本のためにー「脱アメリカ」だけが日本を救うー」より引く:
再び「義を見てせざるな勇なきなり(孔子)ー私が東京の地上波テレビから「干された」訳
「月刊日本」編集部の尾崎秀英氏から9月号の<特集>「新聞・テレビの大罪」についてのインタビューを受けて、答えた。質問は電通の問題に関してだった。私が郵政民営化の裏で日米の巨大広告企業が動いたことについて警告したところ、いくつかのテレビ局の知人から忠告された。ほとんど同趣旨の”忠告”だった。
「電通を批判するという事はマスコミでの仕事を自ら失うという事です。今後は、森田さんを出演者としてテレビに出ていただくことはできなくなりました。森田さんはマスコミで生きる者が決してしてはならないことをしてしまいました。残念です。さようなら」
実際に、2005年8月9日以後、東京の地上波テレビからの出演依頼はゼロになった。はっきりした証拠はないが、電通の力は巨大であると感じた。
以下は、インタビューでの記録である。
< ー 森田氏はかつてテレビのコメンテーターとして引っ張りだこだったが、2005年9月の郵政選挙を境に、画面に登場しなくなり、いわゆる「干された」状態になった。>
森田:その年、2005年の5月頃から、複数ルートを通して、アメリカの巨大広告企業から電通に巨額の宣伝費が流れ、郵政民営化が絶対善であるかのような情報操作宣伝工作を行うようにメディア操作が行われているとの情報が入った。その金額は5000億円とも言われ、アメリカ保険業界が日本市場拡大を狙って拠出したものだという話だった。
アメリカ保険業界にとって最大の魅力的な市場であり、同時に最大の非関税障壁となっていたのが郵便局の簡易保険(かんぽ)だった。郵便貯金(ゆうちょ)とかんぽを合わせれば、郵政が抱えていた金額は360兆円だった。郵政民営化によりこの市場を自由化し、米保険業界が参入できるようにすることによって運用されるとすると、その1%を宣伝工作費にまわしたとしても、3.6兆円だ。いきなり1%を回すのは現実的でないとしても。0.25%でも9000億円であり、将来の回収を考えれば5000億円の宣伝工作費というのも少なすぎるくらいの、説得力のある数字だ。
私は更に様々な情報源を当たって決めてとなる直接証拠を探したが、当事者からの証言は、結局、得られなかった。誰もがある時点になると、ピタリと口を閉ざしてしまうのだ。だが状況証拠は豊富にある。私はアメリカが郵政民営化を後押しし、それにメディアが乗せられている可能性があると判断し、この情報を発信し始めた。
その頃から段々とテレビ局での私の扱いが変わってきた。生放送でコメントしていたのがビデオ撮りでのコメント放送に変わった。ビデオ撮りというのは、要するにテレビ局による発言の事前検閲だ。時には、発言を切り貼りして、意味を捻じ曲げたり、まったく逆の発言に変えてしまうことだってできる。私の場合は、あまり意味のない部分だけが放送に使われた。
ある時、テレビ朝日では、生放送で私が小泉批判を始めたら、スタジオに緊張が走り、次の瞬間にCMに切り替えられていた。私はスタジオでは実際の放送画面は見ていないから、放送されていると思って司会者相手に小泉批判をしゃべっていたのだが、後からこの場面が視聴者に届いていなかったことを知った。またある時は、番組の途中にもかかわらず「今日はもうお帰り下さい」と帰されてしまったこともある。このことがあってから、生放送の出演依頼はなくなった。
2005年8月8日に小泉首相が郵政解散を行った翌朝の「めざましテレビ」が私の東京の地上波テレビの最後の出演となった。郵政解散は首相の解散権の濫用であり、決して許されないことだと、小泉首相への厳しい批判を述べた。
これ以来、東京の大新聞の政治記者も寄り付かなくなり、私は自分のHPで情報を発信するようになった。これは私の取材源・情報源に迷惑をかけないようにするためでもあった。責任は自分一人で取ることができるのだ。また、匿名リークや、あるいは電通批判を書くこともできる。たとえ電通本体から訴訟を起こされてもかまわぬと考えた。裁判の場で何事かは明らかになると思った。
テレビの主な収入源は広告であり、その広告を牛耳っているのが電通だ。昔は電博と言って電通・博報堂という二頭体制だったが、今は電通の一人勝ちという状態だろう。電通は東京の地上波・テレビ局の事実上の支配者だ。
郵政選挙の真っ最中、8月中旬に小さなニュースだが、小泉首相がパーソン・マステラ社の社長と会談したと言うニュースがあって、やはり、と思ったものだ。パーソン・マステラ社はアメリカの巨大広報会社で、電通と共同出資の子会社も持っている。ここに、ホワイトハウス、米保険業界と首相官邸、電通とを結ぶ点と線があるのだ。郵政民営化の裏で、巨大組織が動き、日本国民の頭脳の中まで手を突っ込んで来た。私はこれを見過ごすことは出来ないと考えた。
< ー なぜ、電通はそこまで大きな力を持っているのか。>
森田:差配能力の大きさだ。日本には独占禁止法という法律があるから、市場を4割以上独占することはできない。電通はこの4割を超えないように注意し、超えた分については読売広告社など他の中小広告会社に割り当てる、という話を広告業界の人から聞いたことがある。これによって広告業全体が電通の意向に逆らえないという状況が作られ、ますます電通の力は大きくなる。
さらに、有力政治家の子弟が広告会社やテレビ局に縁故採用されることによって、政治と広告業界との癒着も進む。メディアと政治の癒着こそが、現下日本民主主義の危機の本質的問題だ。
ー メディアの裏にはアメリカの影がある。
森田:伝統的には日本メディアは権力と金に弱い。かつて新聞が最大のメディアであった時、戦時中には大本営の言うなりだったし、戦後の占領期にはGHQに忠誠を示した。事実、ヒロシマ・ナガサキの実体についての報道も、戦後すぐにはなされなかった。それは、紙の配給、社用地の払下げなどで時の権力から過大な恩恵を受けてきたからだ。テレビの時代に移ったとはいえ、その体質は基本的に、新聞社がテレビ局を有するクロスオーナーシップの現状では、変わっていない。
私は戦後日本政治にアメリカが残した呪縛は4つあったと考えている。第一は皇室で、昭和天皇の権威を利用してGHQは占領政策をすすめることができた。第二は大蔵省(現財務省)で、戦前から続く省庁でGHQによる改変を逃れたのは大蔵だけだった。大蔵官僚のDNAは従米主義で、今はアメリカ国債を買い支えるためには増税もやむなしという思考になってしまっている。第三は法務省・検察庁であり、アメリカの意のままにならない人間を強制的に排除する暴力装置として機能していたのは世人の広く知る所だ。そして第四がマスコミだ。
まずマスコミが政治家なり官僚なりの疑惑を煽り、それをもとに乗り出すというのが排除の王道パターンだった。たとえば、かつての「ノーパンしゃぶしゃぶ接待事件」。この事件では、気骨ある官僚たちが次々に葬り去られていったのだ。あの事件は何だったのか、もう一度検証する必要がある。
戦後も66年を経過すると、こうした日本への呪縛も大分解けて来たとは思う。まず、皇室は昭和から平成へと代替わりしてアメリカとの関係も希薄となったし、大蔵省は借金を作り過ぎて、かといって増税もできず、力を失っている。検察は元気がよかったのだが、調書捏造事件など暴走し過ぎたために民意から見放された。戦後、アメリカ占領軍が使った日本支配のための主要な道具が変質し、もろくなってしまっている。
森田:唯一、アメリカによる日本操縦を可能にしている最後のツールが、マスコミであり、電通によるメディア支配体制だ。
戦後体制の脱却、日本の対米従属からの脱却とは、まず、この最後の呪縛である電通支配体制から脱却することなのだ。メディアの自立が、日本が自立する道なのだ。
ー とはいえ、国民にはメディア・リテラシーも求められる。これを推し進めると「騙される国民の方が悪い」という議論にならないか。
森田:メディアと国民との関係は、二国間交渉である外交とは異なる。外交では確かに「騙される方が悪い」ということもあるが、メディアには国民に正確な情報を伝えるという社会的責務が課せられている。そのためにこそ新聞の過当競争を抑えるため、その値段を維持する再販制度もあり、テレビは国民の財産である公共電波を独占して使用することが許されているのだ。売れさえすればいい、国民を騙しても構わないというのであれば、新聞・テレビが現在受けている恩恵を撤廃され、完全な自由競争に投げ込まれて淘汰される必要がある。だが、そうした状況が望ましいものだとは思わない。
昔から「騙しに歯向う刃なし」と言われてきたが、これは、こちらを騙してやろうと思い定めて仕掛けてきた相手には、結局負けてしまうということだ。騙される側ではなく、騙す方がはるかに悪いのだ。
マスコミの中枢にいる人達は、それなりに学歴社会という競争の中で勝ってきた人々である。たったそれだけのことかもしれないが、巨大権力であるメディアを動かす立場にある。そうした人々には社会に対するきびしい責任感、モラルが問われて当然である。広告費に目が眩んで、電通の言うなりになる現在のメディアは、完全にモラルが崩壊しているのだ。そしてまた、電通も巨大広告企業としての社会的責任を自覚しなければならない。(聞き手・構成 尾崎秀英)
(略)記者は自分がネタを拾ってやろうと言うよりも、各社横並びで政府発表や記者会見を垂れ流すだけになった。まだ、各記者同士が取材ノートを照らし合わせているぐらいだったら可愛いものだったが、今は、会見場に持ち込んだPCで発言を一言一句打ち込み、そのまま本社デスクに送っているだけの記者もいるそうだ。
国民新党の亀井静香氏は週一回の定例記者会見で、ほとんど毎回、記者たちを罵倒している。「君たちは何しにここへ来てるんだ。私の言ったことをちっとも書かないじゃないか。そんなんだったら来ても意味はないだろう。マスコミはもう死んでいるんだよ。」と。そこまで言われても、記者たちは亀井氏のこの発言を書き留めるだけだ。「支持率ゼロの政党代表が何を言っている。あなたに国民に理解される行動が今一つないから、こっちも書こうにも書けないんだ。」くらいのことを言い返す気骨ある記者はいない。要するに、新聞記者たちは去勢されてしまったのだ。
日本の大新聞の政治部記者、大テレビ局の報道記者が、政策問題に無関心なことは驚くべきことである。
2011年8月末の民主党代表選において政策問題はほとんど議論されなかった。政策問題を議論しない方向へ、東京の大新聞と大テレビ局が誘導したのである。新聞記者の質問が「政策」でなく、「政局」に集中した結果だった。
日本にとってとくに重要なのは外交と経済政策である。この二大政策問題について、東京も大新聞の記者たちは、ほとんど無関心のように私には見えた。大新聞の政治記者自身がこの二大問題をほとんど勉強していないからだろう。新聞記者、報道記者は自らの社会的責任に目覚めるべきである。政策問題を勉強し、政治家に政策論争を求め、その内容を国民に知らせるべきである。
<2011年11月に原発を巡って発言により辞任に追い込まれた鉢呂経産大臣について>(1)鉢呂氏が、取り巻いた毎日新聞記者に防災服をすりつける仕草をしながら、「放射能をつけたぞ」と言ったこと(2)「死のまち」と言ったこと、である。この二つの発言をマスコミと野田首相が非難した結果、鉢呂氏は辞任せざるを得なくなったのだった。だが、この二つとも、よく調べてみると、問題がある。
第一の「放射能をつけたぞ」発言は本当にあったのか。これが第一の問題だ。鉢呂氏は「記憶にない」と言っている。私は、この鉢呂氏の発言に嘘はない、と思っている。鉢呂氏は針呂氏を取り囲んでいた記者とその新聞社に問い合わせし、何を言ったか正確な発言記録を教えて欲しいと要請したが、どの社からも正確な発言記録はないとの返事だったそうである。鉢呂氏は誠実な人柄である。「記憶にない」発言には間違いはないと考えてよいと思う。新聞社の側に正確な記者のメモがあれば、それをはっきりと記すべきだと思うが、どの社もはっきりしたことは明記していない。大変に曖昧である。朝日新聞9月13日の37面・社会面に「鉢呂氏の放射能発言、経緯は」という特集記事が掲載された。その中に「在京新聞・通信社が報じた鉢呂氏の発言<抄録>の一覧表がある。これによると、どの社の記者も曖昧である。しかも、発言の言葉がまちまちである。以下に引用する。
毎日新聞・・・記者団に「放射能をつけちゃうぞ」と発言。記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけるようなしぐさもした。
読売新聞・・・防災服の袖を記者にくっつけるしぐさをし、「ほら、放射能」と語りかけた
毎日新聞・・・毎日新聞の記者に近寄り、防災服をするつけるしぐさをして「放射能をつけたぞ」とという趣旨の発言をした
日経新聞・・・報道陣の一人に袖を擦り付けて「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした
東京新聞・・・報道陣の一人に防災服を擦りつけるしぐさをし、「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をした
産経新聞・・・記者に防災服の袖をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」などと発言
共同通信・・・報道陣の一人に防災服をするつけるしぐさをし、「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をした
時事通信・・・記者のうち一人に防災服の腕の部分などを近づけ、「放射能をつけたぞ」との趣旨の発言をした
(新聞社いずれも10日付け朝刊(最終版)の表現から)
鉢呂発言を聞いた記者の毎日新聞でさえも「毎日新聞の記者に近寄り、防災服をすりつけるしぐさをして『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と書いている。<「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言>というのは、あくまで「趣旨」であって、発言そのものではない。「直接自分が聞いた」という毎日新聞の記者すら、鉢呂発言を正確に記すことができず「という趣旨」という表現で逃げている。はっきりしないのだ。
しかも、各社の報道した「発言」に違いがある。
(1)朝日新聞<「ほら、放射能をつけちゃうぞ」>
(2)読売新聞<ほら、放射能」と語りかけた>
(3)毎日新聞<放射能をつけたぞ」>
(4)日経新聞<放射能をつけてやろうか」>
(5)東京新聞<「放射能をうつしてやる」>
(6)産経新聞<「放射能をうつしてやる」などと発言>
(7)共同通信<「放射能をうつしてやる」という趣旨>
(8)時事通信<放射能を付けたぞ」との発言>
すべてが曖昧である。しかも、朝日新聞によると、自社の記者が現場にいたことを明らかにしているのは、毎日新聞と共同通信の2社であるが、2社の表現は違う。その上、両者とも発言のあとに「という趣旨」(毎日)「との趣旨」(共同)と、発言そのものを曖昧にしている。
しかも朝日によると、その場にいた記者は誰も「抗議や反応をしなかった」(朝日新聞9月13日、37面)。現場にいた記者が抗議もせず反応もしなかったにもかかわらず、新聞、テレビが、鉢呂氏を非難する大キャンペーンを張ったのは20時間を過ぎてからだった。(略)マスコミが一斉に鉢呂氏を非難し、辞任に追い込むために鉢呂氏非難のキャンペーンを打ったのか?もしそうなら何の目的でやったのか。
永田町の消息筋は「鉢呂氏が『原発ゼロ』と発言したことで原発推進派が動き、マスコミを利用した。鉢呂氏は、『鉢呂氏排除、枝野経産相実現』をたくらむカゲの原発推進派にやられた」と言っているが、真実なのか?
マスコミは真実と根拠を明らかにすべきである。このことは野田首相にも問いたい。確たる根拠があって鉢呂氏を辞めさせたのか。(略)
ここには「そういうこと(放射能をつけたぞ)は言ってないと思う」との鉢呂氏の発言がある。この9日の鉢呂氏の発言は、総ての報道機関が知っているはずである。だが、報道機関は鉢呂氏の「言ってない」発言を無視した。すべてのマスコミが、鉢呂氏の「言ってない」発言を知ってか知らずか、頭から無視して「放射能をつけたぞ」発言だけを「真実」として報道し続け、国民(政治家、報道陣を含め)に「くっつけたぞ」発言を信じ込ませてしまったのだ。(略)
毎日新聞9月10日(土)長官の1面トップの大見出しは、白抜き文字で<鉢呂経産相「放射能付けた」>である。白抜き文字の大見出しは、新聞社が国民に強い印象を与えるためによくやる手法だ。サブ見出しは<記者に相次ぎ失言>(死の町は陳謝)<進退問題に発展も>である。このような見出しのつくり方は、大新聞がその政治家を辞職させる方向に追い込むときに使うやり方である。
同日の「毎日新聞」2面の見出しは<鉢呂氏失言>(野田政権に打撃)<野党側、追及姿勢強める>である。野党を煽っているのだ。
さらに同日の「毎日新聞」の社会面トップの見出しは<福島県民「ふざけるな」>(白抜き文字の大見出し)、<鉢呂経産相失言><あきれ、怒り露わ>(風評被害拡大懸念も)となっている。
「毎日新聞」(他紙も同じ)は鉢呂氏の、そういうことは「言っていない」発言を徹底的に無視し、大騒ぎをしたのだ。おまけに、いわゆる有識者の発言も載せている。(「はしゃぎすぎだ」ジャーナリスト大谷昭宏さんの話)(「危機感ない政治家」漫画家のやくみつるさんの話)。
毎日新聞を含む東京の大マスコミは、不確実な情報を、確かめないまま暴走し、鉢呂氏を辞任させる大非難キャンペーンを打った。最初にこれを報道したのはフジテレビだが、フジテレビ記者は、現場にいなかった、という。どうしたことか!と言いたい。(略)
鉢呂氏の辞任において「放射能をつけたぞ」発言が決定的な意味を持った。しかし、これが不確かな情報だったことは否定できない。
友人の情報通はこう語っている。
「鉢呂氏はある筋(原発推進派)から狙われていた。鉢呂氏に警戒心が働いていれば、もう少し注意したであろう。鉢呂氏が不用意だったことは否定できない。しかし、マスコミが不確かな情報を使って大騒ぎを起こし、鉢呂氏を辞任させ、枝野氏を経産相にしたことの裏で、誰が動いたのか、検証する必要がある。」(略)
1960年夏、安保闘争が終わった直後に、読売新聞と東京新聞に「全学連元中執の森田実が、ヨーロッパ各地で日本の安保闘争を揶揄する演劇活動をしている」という記事が出た。もちろん事実無根の記事である。すぐに両紙の編集部に電話して抗議したが、取り合ってくれない。すぐに電話を切られてしまった。少し調べてみると、早稲田の学生を中心とする右翼的学生の集団が、ヨーロッパを回り、日米安保条約改定の正統性を訴え、全学連を非難する演劇活動をしているとのことだった。このリーダーの名前が「森田」だった。このことを読売と東京が「全学連元中執の森田実」と書いた。わざわざ書き換えたのだ。
私はまず、読売新聞を訪ね、受付で「この記事を書いた責任者に合わせて欲しい」とお願いしたが、無視された。そこで読売新聞社の玄関に座り込んだ。たった一人である。その頃の私は、共産党から除名処分(昭和33年夏)を受けていたし、新左翼の各派からも嫌われていた。ブントは早くやめていた。ブントも解散していた。この時の私は左翼とも新左翼とも縁を切っていた。少数の同志はいたが、自分個人の問題で応援を頼む気はなかった。半日以上座り込んだあと、社会部の責任者が出て来た。Nと名乗った。彼は言った。
「これ以上座り込んだら、許さぬ。君を抹殺することなどわれわれ新聞には簡単にできる。君が犯罪を犯したと書けば、君はオシマイだ。嘘の記事でも国民は新聞の活字を信じている。君がいくら違うと言っても、誰も信じない。新聞社は君のような小さな記事は訂正しない。早く帰るのが君の身のためだ。帰れ!」私はこう言った。
「そうか!?それかが新聞社の正体か。戦うぞ。これから毎日、朝から晩までこの読売新聞社の前で『社会部のNが、君を抹殺するくらいは簡単だ、君が犯罪を犯したと嘘の記事を書けば、君はもうこの世には生きていることはできない、と言った。読売新聞はそんな無法者の新聞記者の集まりか』と演説し続ける。毎日やる。覚悟しろ」
しばらくの間、怒鳴り合ったが、私が脅しに屈せず、本当に怒り、本気で読売と戦う気になっていることを知ったNは土下座してこう言った。
「悪かった。訂正は出す。時間をくれ」「訂正」は、かなり時間がたってから、社会面の隅に本の2行ほど掲載されたが、何の訂正記事かはわからなかった。だが、過ちは認めた。
東京新聞でも似たことがあった。(略)
しかし、多くの人々は「森田は裏切り者だ」との新聞社の情報を信じた。いまでも新聞記事は正しいと信じ続けている人は少なくない。しばらくの間は、昔の知人と会うのが辛かった。私が「真実は・・・」と言いかけると、「言い訳は見苦しい」と抗議された。親友からも絶縁された。(略)
朝日新聞でも同じような体験をした。しかし、朝日新聞は「絶対に訂正はしない」との態度を取り続けた。朝日の担当者は「朝日新聞の権威を保つために訂正は絶対にしない。どんなことがあっても訂正しない。」と言い続けた。それでは、私は生涯「朝日新聞は誤報をしても絶対に訂正しない新聞だと言い続ける。毎日、毎日言い続ける」と宣言した。すると相手(のちに朝日新聞の大幹部になった著名な記者のI氏)は「訂正は出来ないが、読者欄に森田さんの言い分を書いてください」と妥協案を出して来た。私はこの妥協案を受け入れて、原稿を届けた。相手は受け取って。一件落着したかに見えた。ところが、土壇場で逆転された。私の意見の中から最も重要な部分が削除された。私は騙されたのである。今回の鉢呂氏をめぐるマスコミの対応を見て、1960年安保直後の私の体験を思い出した。
マスコミは相手が弱いと見たら、徹底的に攻撃する。非情である。マスコミは異常に強い権力意識がある。マスコミは絶えず人権侵害を行っている。マスコミの暴走を止めるのは、マスコミ人の強い倫理観しかない。「報道の自由」を抑圧するのは良くないと思う。(略)
長谷川氏は鉢呂氏が経産官僚にはめられた、とみている。私も「はめられた」説に賛成だが、経産省だけでこれだけのマスコミ動員力をもっていたのだろうか?より大きな力が働いたのではないかと思う。鉢呂氏が認めていない「放射能をつけるぞ」発言を、強引に言ったことにしてしまい大非難キャンペーンを行って鉢呂氏を辞任に追い込んだマスコミの仕掛けの裏には何があったのか?(略)鉢呂氏辞任のあと、野田政権が明確に「原発再稼働」方針に踏み出したことだけは確かな事実である。マスコミは裏にいる何者かに動かされた可能性がある。(略)
60年安保が終わって3年ほどたった頃のことだった。浪人生活を送っていた私に就職の機会が訪れた。学生時代の友人が日本評論社編集部の幹部社員を紹介してくれたのである。このとき私は浪人中で、学習塾を細々と経営していた。友人の熱心な勧めで日本評論社編集局の幹部と会った。たいへん良い人だったし、経済学の編集者の仕事にも興味があったので、誘いを受けることにした。ところが、それからが大変だった。入社試験に合格し内定が決まったが、労働組合が私の入社に反対し、こじれてしまった。労働組合員の中に共産党や構造改革派がいて、私の入社を妨害したのだ。私は新左翼とは訣別して自由人になっていたが、彼らは私がまだ新左翼だと信じていたのだ。私は数か月間待たされた。宙ぶらりんの状態に置かれた。人権を蹂躙された。左翼も狂気である。
入社を待たされている最中に「週刊新潮」の取材記者が二人訪ねて来た。会うと、「森田さん、あなたについて重要な情報が入った。あなたは某自民党大幹部の娘と結婚したそうですね。砂川基地反対闘争の闘士が自民党大幹部の娘と結婚したことを記事にします」と言うのだ。「それは違う。事実無根だ。よく調べてくれ。私の家内の父親は医者だ。政治家ではない。とんでもない間違いだ」と言うと、「当事者は否定するものだ。真実はあなたの奥さんは自民党大物政治家の娘だ。証拠はある」と頑張り一歩も引かない。(略)私は、日本評論社を訪ねて、私の入社の実現性について聞いた。社長はもう少し待ってくれ、組合の態度が強硬なんだ、困っていると言った。そこで私は「『週刊新潮』に書かれたらたとえデマであっても、入社は困難ですか」と聞くと「間違いなくダメになる」との答えだった。
そこで私は日本評論社の社長に、新潮社に対しデマを記事にしないよう話してくれと頼んだ。社長は新潮社に電話してくれたが、担当記者二人は引き下がらず、日本評論社の社長を訪ねて来た。私もそこに呼ばれた。そこで社長と私は、二人の記者に「週刊新潮」編集部への私の結婚に関する投書は事実無根であることを諄々と説いたが、納得しない。ついに二人の記者は私の家内の香川県の実家にまで押し掛けた。家内の実家は香川県ではかなり著名な病院である。記者は病院を見ても、家内の家族の話を聞いても引き下がらない。「当事者は嘘をつくものだ」と固く信じていたのだ。戸籍謄本を取り寄せてやっと投書が間違いだったことを知り引き下がったが、記者二人は一切謝罪もせず消え去った。(略)
たとえ誤報でも「週刊新潮」の記事が出れば、私は日本評論社に入社することは出来なかった。闇の投書者は目的を果たすことができただろう。(略)
「自民党大物政治家の娘と結婚した」とのデマを信じた二人の「週刊新潮」の記者は、おそらく社員ではなく、トップ屋だったのではないかと思う。彼らは、たとえデマでも、狙った人間は必ず社会的に葬るという姿勢を隠そうとしなかった。
閑話休題:
アメリカは電通を通じて日本のマスコミを支配し、世論を誘導している・・・日本は民主主義を装っているが実際はアメリカに操作されている・・・俺に言わせれば、日本人は自ら進んで操作されているようにも思う。森田さんご指摘の通り、日本のマスコミは①政治家・官僚を貶めるスキャンダル・噂②予想屋よろしく選挙で誰が勝つ(負ける) しか言わない。今まで単純にこれは日本のマスコミが馬鹿だから、と思ってきたが、「日本のマスコミはそんなに馬鹿じゃない。アメリカからそういう報道をするよう操作されているんだ」と言われればそうかも知れない。
森田さんおっしゃるように、アメリカから独立しないと始まらない。そのカギは憲法9条論議だと思うが、アメリカ様が論議することを許してくれるか?アメリカが操作しなくたって日本人は憲法論議なんて始めないんじゃないか????
①我がマイクロスフトBingチャットで「森田実東京の地上波テレビから干された」と入れると:
森田実さんは、政治評論家であり、日本のテレビ番組に出演していたこともあります。ただし、私の情報によると、彼が東京の地上波テレビから「干された」という主張は、事実ではないようです。森田実さんは、2023年2月7日に悪性リンパ腫のために亡くなりました1。彼の人生には、学生運動や政治評論家としての活動など、多くの偉業がありました。彼の功績を称え、彼の家族や友人たちに心からの哀悼の意を表します。
何らかの意図が働いているのか、電通の「で」の字も郵政の「ゆ」の字も出て来ない。Bing,しっかりしろよ!
②電通の不祥事が大きく取り上げられたのは2015年の女子社員の自殺(その後労災認定)だろう。ネットが力を持ってきて、マスコミも電通も力を失ったせいか、東京オリンピック後、談合の元締めとして電通が叩かれ始めた。電通もオワコンになったようだ。ただし、東京オリンピックという一大イベントをつつがなくやり終えた、という点では電通主導のの談合のおかげ、という面がある。一番問題なのはオリンピックなどというオワコンを誘致しようと考えたことだ。誘致にも賄賂その他後ろ暗いことをし、実行段階でも談合し・・・ところで電通のマスコミ支配亡き後、ネット情報は誰がどうやって操作するんだろう???相変わらず国や政府か。誰かにコントロールされないでみんなが勝手に情婦発信するようになったらカオスだけど”民主的”でもある。結局金持ちがもっとお金を欲しくて情報コントロールしそうだ。
③マスコミの”容疑者”を犯人と決めつけ、嘘をつくものだとするやり口は検察と全く同じ。そんなに「間違えた」と認める事が恐いのか?いやなのか?全く理解不能だ。自分の外に絶対正しい「神」を持たず、自分を「神」にする日本人の最大の弱さ、欠点だ。この欠陥がある限り、日本人は外国人とまともな会話が出来ず、まともな外交もできない。
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