タカラジェンヌ・ハラスメント自殺事件に思う

 人間には弱い者がいる。ハラスメントなどというのは弱い側の言い分を聞きましょう、弱い者の権利を認めましょう、という考えだ。

弱い側に合わせてしつけや訓練をすると全体が弱くなる。レベルが下がる。俺の好きな徒弟制度の否定だ。馬鹿じゃあないかと思う。一番バカバカしいのはハラスメントを「馬鹿だ、弱くなる」と言うと叩かれるからみんなそう思っても黙ってしまうことだ。弱い者は生き残れないというのは自然の摂理だ。そして弱い者が弱い者なりの工夫をしてなんとか生き残ろうとするのも自然の摂理だ。

昔(今でもロシアや中国)は国が検閲し、言論の自由を制限する・・・これは分かりやすい言論統制だ。今の日本(多分アメリカその他西側諸国も)のようにハラスメントやコンプライアンスについてバカバカしいとか弱くなるなどと言うと叩かれる、あるいは叩かれるのが厭だから黙ってしまうというのは合法的な言論統制ではないか?俺は昔の分かりやすい言論統制の方が好きだ。

自殺したタカラジェンヌさんも売れなかったし、それを擁護する元タカラジェンヌも大して売れた人ではない・・・ハラスメントを受けてもハラスメントと思わずあるいはハラスメントと思っても絶える鈍さ、強さがないと売れるタカラジェンヌにはなれないのではないか?

ハラスメントなんて言葉が出て来るから「これはハラスメントだ。」と思って、逃げようとか死のうとか訴えようとかチクろうとか思う。

このことは宝塚に限った話ではなく、スポーツでもお笑いその他の芸能、多くの会社員を含む職人でも同様だ。強くなりたければ我慢しろ或いは鈍くあれ、だ。我慢が出来なければ強くなれない。

弱い奴が自殺して「いじめられました」と遺言すれば「強い者いじめ」が始まる。こうして強い者がいなくなる・・・そろそろやめられないか?強いいじめっ子がいれば、弱い者は逃げる、避ける、あるいは思い切って反撃する・・・そっちの方がいい。「いじめられた」なんて遺言して自殺するのはよろしくない。


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