ガザで壊された倫理、人類は賢くなったのか 作家・宮内悠介さん寄稿
11月17日の朝日新聞デジタルに
「ガザで壊された倫理、人類は賢くなったのか 作家・宮内悠介さん寄稿」
と題した記事が。内容はごく普通の平凡ものだ。ただ、記事の末尾に「人類は賢くなったのか」とある。宮内さんは「人類は賢くなる」と信じていてがっかりしているような印象だ。
俺は人類は賢くならないし、進歩もしない、と信じている。人類の進歩を信じるのは根強い信仰だ。確かに18世紀の産業革命以降、19世紀から20世紀初頭の様々な新しい産業・技術の誕生発達を見て多くの人は「人類の進歩」を信じるようになった。
しかし、20世紀に入って続いた世界大戦、地域紛争、公害、気候変動、共産革命の破綻、格差拡大などは「人類は進歩などしていない(賢くなってない)」と信じさせるに十分だった。それでも、まだ、進歩主義者がメディアや政治その他において主流だ。(彼らの商売、そう信じないと成り立たないからか?)
山本夏彦さんが核兵器廃絶を語って「一度生まれたものはなくならない」とかなんとか言っていた。「一度生まれたもの」の多くが不便だとか悪いとか言われてもなくならない。つまり、人間は進歩もしないし賢くもならないと。
夏彦さんの言葉を再確認すべくネット検索したら「ikuttamの日記」というブログに「山本夏彦名言集 抜粋①」という記載があってそこから俺が更に抜粋:
あれ、老衰の兆なんですよ。年をとってから一番避けなくちゃならないのは、人生の師匠になりたがることと説教すること。年とったからって自動的にひとの師匠になれるなんて、とんでもない誤解ですよ。(意地悪は死なず)
私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うものである。(二流の愉しみ)
本当にしみじみ、いい言葉だね。
別のブログから:
我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である。この世の中は、自分で考える力のある
ひと握りの人と、自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から
成っている。
ひと握りの人と、自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から
成っている。
人は金ほど好きなものはないというが、正義はもっと好きだ。
金銭というものは清く正しいものではない。邪悪な暗いものだから株屋はあっていい。
ただそれには相応の差別があるべきだ。
ただそれには相応の差別があるべきだ。
先方からおしかけてくるものにロクなものはない。 |
正義と良心を売る職業・・・マスコミ、政治家、宗教家・・・ブルシットジョブよりたちが悪い
我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である・・・だから「人は一人では生きられない」というのか?
この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人・・・う~んそうだったか、この言葉、不覚にも覚えていなかった
職業差別・・・夏彦さんのおかげで株屋は人を騙すもの、銀行は慇懃無礼なもの、保険屋は損しないもの、役者は役者になってなければ反社・・・などなど様々な差別意識が身についた
先方からおしかけてくる・・・最近ネットの記事を読もうとすると勝手に宣伝が飛び込んでくる・・・これを夏彦さんが見たら何て言うだろうか?これもなくならないんだろうか?生きるってのも面倒なもの・・・
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